社会の歯車だってなけりゃ社会は回らない 2024/10/4
こんにちは!
だいすけです!
最近、すごく涼しくなりましたね。
ふと気づけば、金木犀の香りがどこからともなく漂ってきて空気だけでなく、匂いからも秋を感じさせてくれるようになりました。
僕は秋がどうも苦手です。
何故かというと、夏ってすごく盛り上がる感じがしませんか?
最盛期、ノリに乗ってる、なんとも言えないあの高揚感、むせ返るような暑さの中に隠しきれない興奮のようなものを感じます。
ところが一転、秋は物語の終盤のような、楽しかった日々ともお別れするような、放課後の友達と別れたあとの帰り道のようなそんな寂しさを感じます。
それがどうもダメで、僕の心を感傷的にさせるのです。
秋の落ち着きとともに僕の心も沈んでいってしまいます。
だから、僕にとって秋はその心の沈み込みと向き合う季節です。
そんな空気がそこかしこで漂いはじめた朝。
日記を書いたのに投稿し忘れに気づきました。
何故か投稿の1歩手前で、クリックすれば終わりなのに押し忘れてました。
まぁ、書いた事実はあるのでまだ、毎日書くということについては継続中であります。(適当な定義)
その事実にちょっと落ち込みながらも、部屋で1人勉強をしていると、下から笑い声がしました。
どうやら佐野(妻)のエステのお客さんが来たようでした。
今日来ることは知らなかったので、完全に掃除するのを忘れてました。
だからといって、怒られたりする訳ではないのですがちょっと心の中で「わわわわわわわわわわわわわ。」となってました。
このまま知らないフリをして、引きこもりおじさんになるか、それとも潔く出て今自分の出来ることをやるか。
2択に迫られ、知らないフリをしたらここに居づらくなると思ったので出て皿洗いすることに決めました。
昨日の使った食器を洗ったり、コーヒー入れたりして、お客さんの施術が終わるのを待ちました。
やはり、上で知らないフリをしているより、出てきて良かったです。
お客さんが帰った後に佐野(妻)と会ったら、ものすごく気まずい感じがイメージ出来ました。
施術後はお客さんもリビングに来るので、「みんなで使ってるリビングはお客さんが来る前くらいはみんなで片付けようね」と約束しています。
分かってて上にいるのと、気づいてすぐ下に出て出来ることをやるのでは自分の気持ちが違います。
あー下に降りてきて良かった。
心がスッキリ。
お客さんも施術が終わって帰り、僕も仕事の準備。
最近はタイミーで流通系や工場での作業をしています。
「社会の歯車にはなりたくない」なんてものすごく上から目線で、偉そうな言葉を聞くことが、SNSで匿名性が上がった今、よくあったりします。
でも、良く考えれば歯車がなければ、回りません。
「底辺の仕事」なんてのも、底があるから上があるんだと思うわけです。
まぁ、何が底で何が上なのかよく分かりませんが、昔3Kなどと忌み嫌われていた仕事がありました。
そういう仕事だって無くてはならないわけです。
僕が今やっている仕事は、正直いって誰にでもできる仕事です。
多少は体力が必要かもしれませんが、特殊な技能や能力などは必要ありません。
でも、必要だから存在するわけです。
どんなに人から羨まれる仕事であろうとポリシーなくやっている人よりも、大変な仕事でポリシーもってやってる人の方がよっぽどかっこいいなと思います。
だから、仕事に上も下もないなぁとこういう仕事をしてて思いました。
必要だから存在するわけで、
そこに勝手に人が意味をつけているだけです。
「社会の歯車」とか「底辺の仕事」なんて言葉が無くなって欲しいですね。
というわけで今日はこんな感じ!
それじゃあまた!