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「銃・病原菌・鉄」とアフターコロナ

「銃・病原菌・鉄」は上下二巻、13000年の人類史上、ユーラシア大陸が有利に世界を支配し、それ以外の大陸及び地域が被支配側になった理由を解く、見方によっては歴史ミステリーとして読める書物だ。(ちょっと難解なところや繰り返しがくどいところもある)著者は生理学者&進化生物学者&生物地理学者のジャレド・ダイアモンド。

何年か前に読んだこの本が、新型コロナウィルスが深刻化するにつれて炙り絵のように浮かんできた。今、もう一度読むべきなのかもしれない。再読してみると書き留めておきたくなった部分があった。

食料生産、家畜、都市、感染症の関係性

この本のハイライトは、大航海時代のヨーロッパ帝国主義がアメリカ大陸を制したのは、武器よりも意図せず持ち込んだ感染症の影響が大きかったというくだりだ。スペインのコルテスがアステカ帝国に勝利したのは、一人の奴隷が持ち込んだ天然痘でアステカの人口が半減してしまったことが大きい。

犠牲者には、アステカ皇帝も含まれた。最初この本を読んだ時に強烈なインパクトのあった史実だ。読み直してみると、あらたに引っかかった部分があった。

とりわけ病原菌を巡る状況は、食料生産の違いと最も直接的に結びついていた。例えば、ユーラシア大陸では、もともと動物のかかる感染症が変化して人間がかかるようになった。天然痘、麻疹、インフルエンザ、ペスト、結核、チフス、コレラ、マラリアと言った窒死率の高い病気が、人が密集して暮らす社会を度々襲った。そのため、人々の間にそれらの病気に対する免疫や遺伝性抵抗力が自然に出来上がっていった。ー「銃・病原菌・鉄」(下)ジャレド・ダイアモンド 第18章 旧世界と新世界の遭遇ー

著者によれば、病原菌の多いユーラシア大陸と少ない南北アメリカ大陸の違いは、家畜化できる動物の種類と数の違い、栽培植物の品種の多様性の有無が大きい。ユーラシア大陸は南北アメリカに比べると家畜の種類が圧倒的に豊富で1万年前ごろからすでに、家畜がかかる病気が変化する形で人間に現れていた。多くの家畜は農業の効率を上げ、結果人口が増えて集権的社会作りに貢献したが、同時に感染症のリスクも上がった。対して南北アメリカについてはこのように書かれている。

南北アメリカ大陸で感染症が少なかったもう一つの理由は、感染症を引き起こす病原菌の温床とも言える集落の形成が、ユーラシア大陸より何千年も遅かったからである。ユーラシア大陸ではアジア地域とヨーロッパ地域の交易が発達していて、その経路を通じてペスト、インフルエンザ、麻疹が伝達されたりした。しかし、新大陸では、アンデス、中央アメリカ、合衆国南東部と言ったところに存在していた都市国家が、相互に密接に結びついておらず、ユーラシア大陸に見られるように、交易路沿いに病原菌が超スピードで伝播するようなこともなかった。ー「銃・病原菌・鉄」(下)ジャレド・ダイアモンド 第18章 旧世界と新世界の遭遇ー

情報や技術の伝播と感染症の伝播の速度は比例している。ユーラシア大陸が伝播しやすく、南北アメリカ大陸が伝播しにくかった要因は、ユーラシア大陸が東西に長く、南北アメリカが縦に長いために起こる地理的与件の違いにあるというのがジャレド・ダイアモンドの説だ。東西に長いユーラシア大陸の場合、同緯度間では様々なものが広がりやすい。日照時間や気候与件が似ているためだ。地理的障害(山脈や砂漠など生態環境や地形上の障壁)も比較的少ない。逆に南北アメリカは縦に長く、動植物の生態も緯度の違いで変わる。従って、伝播の速度は遅い。その分、感染症リスクは少なかったというのだ。

この辺りを読みながら思ったのは、かつては”食料生産の安定→人口密度アップ→感染症の温床”であったのが、現代の場合”経済発展→人口密度アップ、集権化→感染症”の温床 となっているのではということだ。農業に変わって人を集約しているのは、現在社会では経済だ。人が密集するところは、感染のリスクが高い。これは歴史的に普遍の事実だ。新型コロナウィルスの場合、極地的クラスター感染が飛び地状態でみられるものの、感染症の基本的性格は、やはり大都市病であるということだ。

病原菌は、農業が実践されるようになって、とてつもない繁殖環境を獲得したと言える。しかし、病原菌にもっと素晴らしい幸運をもたらしたのが都市の台頭だ。ー「銃・病原菌・鉄」(上)ジャレド・ダイアモンド 第10章大地の広がる方向と住民の運命ー

都市は分散できるか

著書で取り上げられている大航海時代と現代では、社会背景も技術も大きく異なる。今や地理的分断は、空路やデジタル技術の革新が小さくしている。私たちはもう都市にいなくても求めれば大概の情報は得られる手段があるし、移動もできる。情報や物流は、どんどんインフラ化している。それなのに、私たちの多くは今も都市に執着している。

今回の感染の世界的深刻化の後に、社会は変わると皆言っている。しかし、東日本大震災の時もそう言っていた。震災後はどうだっただろうか。とても中途半端に、元のもくあみに戻ってしまったように思える。その後も大きな自然災害、台風や豪雨が続いている。文明が肥大化し、人災的な気候変動もその大きな要因と言われる。

日本に関していえば、いつも犠牲になるのは地方で、東京だけが奇跡的に被害から逃れてきた、ように見えた。2020の東京オリンピックは、国家的希望であり問題を覆い隠す盾でもあった。その盾が、倒れた。

いつの頃からか、東京だけが何もないなんてありえないと思うようになってきたが、それは菌としてやってきた。都市部の菌の破壊力は凄まじい。人の密集空間は、菌にとって非常に好都合。文明社会では、経済性の高い都市部こそが菌の餌食となる。その勢いは、収まっていない。

罹患と収束の先に、世界は今度こそ変われるだろうか。希望を感じていることがあるとすれば、人が分散し、都市が小さくなることだ。今はまだ移動が脅威になる段階だけれど、収束した時、日本であれば東京の一極集中を見直す最大の機会になるといいと思う。

私たちの周りにはデジタルのエコシステムと移動手段があるのだから、人が分散して、拠点を複数持つ人が増えれば、ベースの部分で菌の感染脅威も低くなるはずだ。その時、食料との向きあい方も変わるだろう。全て外注に頼っていた食料生産、加工も料理も、人々が自分の手の中に、少しずつ取り戻すことで、人は、都市生活では気づかなかった非デジタルで、生きている手触りのようなものを食べ物から感じることができる、と思う。食べ物の生まれる近く、土や森、海、川に人々が何かしら接点を持つようになることで、デジタルとの付き合い方がバランスの良いものになればいいのにと思う。

「銃・病原菌・鉄」では、狩猟社会と農耕社会を大きく対比している。人の密度が低く、所有性の低い狩猟社会と、人の密度が高く所有性の高い農耕社会。

栽培化や家畜化は、より多くの食料を生み出すことによって、狩猟採集生活よりも多くの人口を養うことを可能にする。そして食料が生産できるようになると、定住生活が定着する。狩猟採集民の多くは、野生の動物を探して頻繁に移動するが、農耕民は自分たちの畑や果樹林のそばにいなくてはならないからである。ー「銃・病原菌・鉄」(上)ジャレド・ダイアモンド 第4章 食料生産と征服戦争ー

狩猟生活に戻るという話ではなく、感染症収束時に考えるべきは、圧倒的な都市定住、都市密着を考え直して、少し移動性のある生活にシフトしてはどうかということだ。拠点を分散することで生まれる新たな関係性や、選択肢が、新しい仕事や生活の一部になること、そんなことを増やせないだろうかと、この本を読みながら考えている。

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柴田 香織    KAORI SHIBATA by KOTODAMA PRESS
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