2019年総括 細胞が小躍りした店
まもなく2020年。今年も色んな店や人との出会いありました。純粋に美味しかった店、行ってよかった店は多々ありますが、一年の中でリピートした店は他の店と何が違ったのか?あらためて自分に問いかけてみました。特に美味しかった、コスパがいい、楽しかったというのとも違うし、話題の店に行った満足感でもない。よくよく考えれば、細胞レベルへの訴えかけがあったのではと思うのです。細胞が喜んで踊っている感覚。その感覚を細胞が覚えていているので自然とまた行きたくなる。自分もまた行きたくなるし、その感じを他人にも体感してほしいし、一緒に味わいたいと思う。細胞が喜び小躍りした店、今年一年自分にとってのそんな店はこんな店でした。
解脱な快感「食事 太華」(芝)
江戸料理で話題になりつつある「食事 太華」。ここで食事をいただくと意識が食材に持って行かれるような感覚に襲われます。ちょっとしたトランス状態。料理に集中、と意識しなくても自然に一体化しちゃうのですよ。「百合根って、こんな食感でたっけ?」「コハダの天ぷら鱚より上品だ。酢締めよりこっちかも」とかを耳を澄ますように全身で感じる。見た目はごくごくシンプルな料理でだからこそなのか、口に入った時に予想を超えてくる素材感に驚きます。ただし、シンプルに見えて余分な手間はかけていないかと言えば仕込みにはすごい手間暇をかけている。海原さんは、できている味が嫌いで、調味料的なもの(例えば煎り酒)も自分で作っていたり、味噌を重力に任せて自重の力で固形と液体に分けたり、あまり他の店でやらないことをやっています。結果、口にした時予想通りがない。そのギャップで料理に自分が取り込まれ、食材と対峙してる感覚になるんですが、それが気持ちいい。一種の解脱みたいな感じ?奇をてらっている料理では全くないから、余計に気持ちいいのです。
コハダの天ぷら。江戸の屋台で生まれた天ぷらは、江戸前の魚介だけのものでした。コハダと言えば今は鮨ですが、天ぷらで食べられていてもおかしくはない、という仮説からやってみたというもの。
料理長の海原大さんは、名前は海に原っぱに大きいと豪快なのですが、ともかく謙虚で真面目すぎて可笑しいというと失礼ですがやっぱり可笑しい。今時の料理人さんはスマートに、料理や自分のプレゼンも上手な人が多いんですが、海原さんは全くもってというか、ひたすら職人さん。小さな厨房に一人。料理中は明らかに余裕がなく一心不乱で客席はほとんど見えてないかも。料理が出てくるペースも良いとは言えない。それでも料理がやってくると口福の泉が湧くのです。この一年、気がつけば「メトロミニッツ」(noteで再掲)「料理通信」「JAAA REPORTS」(広告業界誌)で「太華」の江戸料理のことを書きました。
今年気にしていた東京の味ということの引きも、この店にはあると思います。日本の食文化や日本料理というと西高東低が染み付いて京都の味が日本代表をはっている。それが悪いということではないのですが、東京らしさの発露はどこかと言えば江戸料理にあると思います。中世(室町時代)までは儀式料理、つまり階層料理が料理文化の中心でした。これが江戸時代になると、大衆料理文化が花開き、料理は自由になっていく。料理本が刊行され、ミシュランの100年も前に江戸では料理番付がありました。寿司・天ぷら・そばだけが江戸料理ではなかったはず。そこをきちっと掘ったら、まだまだ面白い東京料理はできるんじゃないか。東京は京都と違って、関東大震災と世界大戦で二度街が壊滅しています。その時に失われたものは食文化も含めて大きいと思うのです。が、こう来たか、という復活のさせ方はあるのではないか。そんな可能性を、文献のヒントや妄想とともに楽しめるのがこの一年の「太華」でした。これだけ江戸料理と言っておいて、年明け発行 dancyu(2月号) ではこの店のリピーターに大人気のとりの唐揚げとポテサラを紹介しています。ここにも海原さん的江戸料理の考えが逆流的に生かされていると思います。詳しくは本誌をご覧いただければ。今は、とり唐の店と思われないように祈っています。
そして、ここの料理を食べながらやってみたくて仕方なくなってしまったのがジョージアワインとのペアリング。師走某日、ストックホルムで「アンバー」という日本でいうオレンジワイン(ヨーローパではアンバーワインという言い方の方が普通)のバーを営む友人が帰省した機会に、お店にお願いしてジョージアワインを持ち込ませてもらって念願の会を開催。
日本酒でも最近のキレイ系では臭みが立ってしまう魚卵。塩イクラ、醤油イクラを、ムツヴァネ(2015)と合わせてみる。ジョージアワインの伝統的な造り方は、エチケットのような紡錘形の素焼きの甕に、収穫したブドウを種も皮も場合よって茎部分も一緒に漬け込む。独特の渋みや複層的な果実感、野菜っぽさ、ハーバルな感じがあります。魚卵に馴染む!
ペアリングには色んなパターンがあると思うのですが、私が合うんでないかなと思ったのは純度のペアリング。「太華」の料理に感じる素材のひだのような感覚とジョージアワインのブドウの持つ全てが包み隠さずあるピュアなレベル感、二つのあり方が似ている。やってみた結果、やっぱり合う。下手な日本酒よりもジョージアワインが合う。お互いに出過ぎず、譲り合いの精神で仲良くまとまる。今年はビブグルマンにも選ばれたので、来年は色んな人の目に晒されるかもですが、予約が普通に取れる限り、来年もリピートすると思います。
族料理、チベットティーに首ったけ「中国旬菜 茶馬燕」(藤沢)
中国料理が本当に今面白くって、行きたいところがいっぱいあるのですが、縁あって今年どハマりしたのが「茶馬燕」。藤沢です。遠いです。でも何回行っただろうか。立地が立地ですから、いくらシェフの中村秀行さんが中国の極地(もはや地方料理という括りも超えてる)料理が得意と言ったって、一般的に受ける料理ではないので、そこは二面性です。普通のメニューも持ちつつ、お願いすれば全力で族料理、発酵料理が、普段抑えているであろうシェフの熱量とともに注がれるのですから、そりゃ細胞は踊ります。小躍りどころではない。メニューをみていただきましょう。
多分初回に訪問した時のメニュー(上)と今年夏のメニュー(下)。一年で族度が上がり、かつ貴州がシェフの今の関心エリアなのかなというのが伺われます。
今年登場したのがチベットティーです。このティーを一口飲んだ瞬間、8人ぐらいいた我々は一斉に黙りました。そしてもう一口。な、なにこの液体!?恐らく全員の頭が軽くパニック、その後さざ波のような臓器の喜びに襲われたはずです。沁みる、沁みる、沁み渡る。何が入っているのか複雑すぎてわからないけれど細胞が喜んでいる。鶏ベースのスープに発酵茶葉、チリ、ライムリーフ、キノコ類、アニス、、、。素晴らしき融合。これを飲んでしまってから、「茶馬燕」=チベットティーはレギュラー決定。
最初にスープを書いてしまいましたが、族の料理も土着的な発酵調味料にスパイス、ハーブが多層で奏でる味というところは同じかと思います。例えばこちらは「跳水魚」と書いて、ナマズの貴州風ドボン。酸味の効いたスパイシーな旨辛ソースに、ナマズを「ドボン」と漬けて食べます。
「ドボン」するとこんな具合。スパイスとハーブと発酵のめくるめく世界に拐かされる喜びが「茶馬燕」の中毒性。そして、食後の爽快感よ。中村シェフは中医学の勉強もされていて、薬膳アドバイザーの資格も持っていらっしゃいます。メンバーに喉の調子が悪いという人がいれば、「喉に良いスープです」とアオサのりと春筍のスープを出してくださったことも。料理の基本は体が癒されて元気になること、自分の体を委ねられる安心感が「茶馬燕」にはあります。結果論ですが。中村シェフは定期的に中国の極地に料理リサーチに行かれているので、彼の地で体感したものがどう表現されるのか、今後もビビッドな食体験を期待してしまいます。
20代シェフ、カルミネが凄い!「ハインツ・ベック」(大手町)
外食で一番多いのはイタリア料理です。好きだし、住んでいたこともあるし、仕事柄もあり。しかーし、イタリア料理という枠をなんとなく自分の中で作ってしまっていたからこその盲点でした。「ハインツ・ベック」は、ローマの「ペルゴラ」というイタリアでは盤石なミシュラン三つ星レストランの総料理長であるハインツ・ベック氏が、自分の名前を冠して「ペルゴラ」の支店としてではなく開いたレストラン。ハインツ氏はドイツ人です。ドイツ人だからこそ、イタリア料理のベースにある地中海式ダイエット(痩せる方法ではなく食べ方)の考え方に感銘を受け、早くから医師と協力し、医学的なエビデンスも取り入れてヨーロッパ的医食同源の美食を追求してきた第一人者です。ですが、正直なところ東京に出来た頃から思っていました。あんまり健康志向とか出されるとイタリア料理っぽくなくない?興味なし。コンセプトで押されると引いちゃうよと。こうしてイタリア料理を食べに行くという選択肢の中にハインツベックはありませんでした。今年はイタリア料理の特集が雑誌では多かったのですが、編集者の頭に、イタリア料理の選択肢として、この店は扱いづらい、もしくは想定外だったはず。そして今年の夏、知人に「シェフが変わって良くなった」と誘われて初訪問だったのですが、これが良かった。本当に良かった。何がよかったって、料理の透明感。何周も出来そうな感じがするのです。見た目の美しさだけでなく、繊細で緻密な皿の中の味のバランスと食べた満足感。でも軽やか。そしてシェフのカルミネ・アマンテさん、なんと28歳でした。(この前29歳になりました)しかもと言っては失礼ですがナポリ人。色々意外すぎる。
国で料理をくくるのはナンセンスと思いながら、まだやっていた自分に気付かされた。おまけにシェフは若いしナポリ人(ナポリ、ごめんなさい)。全てのネガティブ要素を、食べてひっくり返された感じがしました。どれも美しい料理、ともすると最近こういうビジュアルの皿は、パーツを組み合わせたデザインだけで深みを感じないケースも多いのですが「ハインツ・ベック」の皿は、見た目だけでなく手をかけているのが伝わる皿ばかりでした。例えば、パルミッジャーノ・レッジャーノを使ったパスタ。真空でパルミッジャーノの味を事前にパスタに染み込ませているので、後でチーズをたっぷりふりかけるよりも体への負担が少ない。そういう配慮に溢れているので、とめどなく食べられそうな気がしてしまうのです。
この世代のシェフはグローバルに活躍するのは当たり前だし、技量と度量に資金が付いてきた時、彼らの選択肢はどこなのか。日本ではないかもしれません。日本は、食材や産地は魅力的でも、働く時間と給与のバランスは良くないと彼らは言います。料理人という職業のステイタスが低いというのも良く言われることです。20代でこの完成度と柔軟性もあったら、今後どういう道を選ぶのか。若い才能に元気を貰った店でした。星が評価の全てではないですが、今年はミシュラン一つ星。二つくらい付いてもいいのではないかな。
ということで、総括するとこの一年、細胞が小躍りしたのは「江戸料理」「族料理」「透明感溢れる若き才能の料理」でした。
今後の取材調査費に使わせていただきます。