モイーズ・キスリング「ルーマニアの女」|頽廃(美)について
キスリング「ルーマニアの女」
「ルーマニアの女」
La Roumaine
(1929)
🎨モイーズ・キスリング
Moïse Kisling
(1891-1953)
🇵🇱ポーランド(エコール・ド・パリ)
👶クラクフ🇵🇱
⭐️サナリー・シュル・メール🇫🇷
🌎ひろしま美術館
キスリングは、2023年末で著作権保護期間満了を迎えたので、満を持して❣️
ひろしま美術館からでーす♪
いつも見てる。しばらく立ち止まる絵。
もの憂げな官能性と死の匂い。この絵はそこまででもないですが、小さな画像で見てもゾクッとする強い頽廃美が特徴で、花と花瓶の静物画でさえ、「吸血鬼」や「蝋人形」の館に迷い込んだかのような、独特の質感を持っています。
エコール・ド・パリのなかで、飛び抜けて好きな画家さんです。
撮影OKなので、カメラを持っている時は、ついついこの絵を写したくなります。
ひろしま美術館にはあと2点ほど所蔵されていますので、またいつかマクロレンズで接写してきます(^^)/
「頽廃派」について思うこと(ちょっとだけ)
思い起こせば、高校の頃からすでに頽廃美が好きでした💦 澁澤龍彦とか読んでました…さすがに強烈すぎて、少しだけですが。「大人ってこういう世界なのね」なんて。(ふつう、そういう大人にはならないということに、やがて思い至りましたが…。)
生まれつき、なんですかねえ。
ちゃんとふつうに生きていますが、そういったものに魅きつけられるので、なんとなく後ろめたい感じもして。
他にも、ネットで「退廃美」の語義を調べてみると(=ごく最近の人たちのイメージがわかるので)、「ダークな」「精神的美しさ」「儚さ」などのイメージで語られているようです。たしかに、「生活態度」としてdécadentを追求する時代ではないかもね。
儚いんですよ、やっぱり。ポジティブでキラキラしたものが絶対に(?)持ち得ない、「懐疑」からはじまる「儚さ」。
この場合の「懐疑」というのは、人生について徹底的に考える態度のことで、それを突き詰めると、いずれ死ななければならない人間ですから「虚無的」にならずにはいられない。
それでも真剣に「懐疑」すると必ず苦しくなりますから、それを抑えつつじっと凝視し続けた精神力がまずすごいです。
そういった人たちが世を去って残されたその人の《実存》を思うと、それ以上「儚い」ものはない。
そう考えると、デカダンスは別に「不健全」でもなんでもなくて、むしろ「誠実」「実直」なことなんじゃないかしら。それを「生活態度」にまで広げると、規範的な(小心者ともいう)私などは、グレーゾーンに入る気がするので、あくまでも心の中に留めておいた方がいいとは思いますが...。
キスリングは頽廃派に分類されるわけではないとは思いますが、百花繚乱の個性集うエコール・ド・パリの中で、格別に妖美な、うたかたの美しさ。「この人の後で生まれて良かった」と思う画家さんのひとりです。
(こういうことを言うと、「不健全な人が不健全なことを言っている」「乗り越えた後の景色を知らない」とお思いになる人もいるかも🤔 でもね、少なくとも彼らは、乗り越えた後の景色も知っていたように思うのです。注視する先がちょっと違うだけだったりするのでは、と。辞書にもあるように、「傾向」ですしね🤔)