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賞賛より共感


書こう書こうと思いながら、今日になってしまった。定期的に投稿できる方を尊敬する。

自分の気持ちに正直に生きている人っていいね。noteへの投稿を読んでいると、いいな、と気づきをいただけるものは、文章の良しあしじゃないね。

てにをは、とか、文法とかぐちゃぐちゃでも、なんかその思考の赴くままを書きつらねられていても、即興演奏を聴いているようで、楽しい。

逆に、感動話やなるほど話で、完璧な文章なんだけど、そんなに心が動かなかったり。

AIの時代だもんね。完璧って価値がなくなってるよね。

あんな風には間違えられないが希少になっていく(笑)

そして、どんな芸術もそうだね。作者の本心とか情熱と直結してないとなんかピンとこないよね。

あと、な~んだ、そうかと最近思ったのは、よくモチベーションとかいうけど、やらなかったり続かなかったりするのは、本当は本心はそんなにやりたくないことなんだろう。

ちょっと書こうかどうか迷ったんだけど、昨日、衝撃的な(笑)話題をネットで見つけた。それは、あるピアノの先生が、大人の初心者は、中級以上を目指してはいけない、というテーマを語っていらして、これってたぶんわざと煽情的なタイトルにしたんだろうな、とまず思った。 だって子供の初心者だって中級まで(まあ、なにをして中級かはわかんないけど)行けない子もたくさんいるし。
大人って言ったって、30歳と70歳だとまた感じが違う? 私なんかの年になると40歳でも、若くていいな~(笑)(その年の時には、そんなこと思ってなかったのよ。なにもか遅すぎると思っていた!)

よく子供のころからやれなかったから、とかぼやく人もいるけど(私もそうだったけど)それって、もしもっと時間があったら自分はもっとうまくなっていたはずっていう過大自己評価だとおもうよ。子供の時からはじめても、大人からはじめてもうまくなる人はうまくなるし、3歳からずっとやってても結局超下手な人は(よく)いる。 あの漁師さんみたいに(50過ぎ?)、たぶん音大卒業してても(いや自称プロのピアニストでも)弾けない曲をホールで人前で聞かせられる人もいるわけで。

それに、私の世代の(日本の)音大卒のひとたちって、小さいころからやってても、えっ?っていう感じ演奏(特に音色とリズム感が壊滅的)の人も結構いる気がするし(本当に申し訳ありません、言える立場ではございません)。

ただ先のピアノの先生がいいたいことをかばうところもある。
よく大人から(再開ではなく)ピアノをやる人が、指先を使ってボケ防止とか、チャレンジですとか、定年後趣味なしじゃいやだとか、なんか聞こえがよさそう(笑)という理由で始めちゃうような人がいるからだと思う。ボケ防止ってなによ(笑)そういう発想をすることからして、そういう人はボケそう(笑)。

やっぱり動機かな。音楽への愛とか美しいものへの興味とかそういうものが強い人は、大人から始めても三歳から始めた無自覚の音大卒優等生の方を超えられるんじゃないですかね。あ、まずやっていることは競争ではないと思いますけど。

なんだろう、楽器の世界だからなのかな。絵画の世界だと遅咲きの天才って結構いるよね。

もし、自分のピアノ演奏や絵への反応をいただけるとしたら、すごいですね~。上手ですね~ですより、あ、なんか好き。こういうのが好きだっていうの、わかります。とかの言葉の方がいいかな。

最近、「いい感じ、わたし」って思っているのは、やっと弾いていることだけで満足できるようになっていることかな。(自己流の下手くそな)絵を描いている時の幸福感と同じ感じの、弾くだけで気持ちいいっていう幸福感が感じられるようになってきたこと。自分の出している音で癒される感じ(そこまで言うか)下手くそこれでいいって思えるって最強ですね。そうすると、もっと上手になれることが不可能じゃないかもって思えてきちゃう。ま、どっちでもいいですが。



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