稗粒腫を取り 睫毛を上げる2
ずっと瞼にある稗粒腫が気になっていた。痛くも痒くもないが両目合わせて10個ほど、1ミリに満たないくらいの小さな白いぷつぷつがある。自分でカミソリで取ろうと思ったが怖くて取れず、小さな傷だけが残った。調べると、ニキビなどのように自然に治ることはほぼなく、皮膚科で取ることができるらしいので炎天下の中皮膚科に向かう。
保険証を出そうとしたら、財布の中に…ない!!!今年1番くらいの焦りの中、必死に財布の中を全部見るも見つからず、一旦家に帰った。別のバッグの中に他の病院の診察券やキャッシュカードと一緒に落ちていた。焦り〜
また炎天下の中エグ坂を下ったり上ったりして皮膚科に向かい、受付をしようとすると、『今日は混んでいるのですごく待ってもらうことになっちゃいますね〜 予約とってもらって後日の方がいいかと思います』とのこと。このバカの暑さのなか無駄に2往復しちゃったなあ…なんて思いつつ予約を取って帰る。
3日後、その日もめちゃくちゃに暑くて予約を取ったことに対するデカ後悔の気持ちがムクムクと湧き始めていたがどうにか病院に向かった。受付を済ませ、診察室に呼ばれる。問診を受け、ベッドに横になる。「針で穴を開けて圧出します 針刺すのはそんなに痛くないんですけど、圧出する時は少し痛いです〜」と言われたのを間に受け、ヘェ〜針刺すのはそんなに痛くないんかァ…細い針とかなのかなァ…なんて思って全く構えずにいたら、針刺された瞬間しっかり痛くてかなりびっくりした。「(エ…。そんなに痛くないとされてるこの針刺すのでさえこんなに痛いなんて…。これから先ワタシ…どうなっちゃうのーーー!!!)」なんてまだうっすら余裕を持っていたのだが、ピンセット的なものでの圧出はめちゃくちゃ痛くて変な声と変な汗と涙がとまらなかった。処置の時間はほんの数分だったと思うが、永遠ってこれのことですか…?と思った。
最後に膏薬をべっとり塗りつけられ、傷だらけの瞼と共に帰宅。ほんのり腫れて、視界が狭かった。
睫毛にパーマをかけた。秋葉原にて。
目のキワに生えているという理由だけで身体中のどこの毛よりもチヤホヤされているすっっっくなくてみっっっっじかい毛にパーマをかけるのに2600円かかった。それでもかなり安い方ではあると思うが。「睫」はこの一文字だけで目のキワに生えている毛、という意味であり、それだけならまだわかるが、目のキワに生えている毛、以外の意味はないらしい。「眉」でさえ年寄り、老年、へり、ふち、とかの意味があるというのに。特別扱いしすぎやろ。もしも次生まれ変わることがあったとして、毛に生まれ変わるなら睫毛になりたい。今世の行いで来世が決まるならせいぜいへそ毛くらいだと思う。
睫毛パーマをかけている時にしか味わえない、夢の中にいるような、起きているのか寝ているのかわからないようなあの感覚、気持ち良すぎる。ぐっすり寝ている時は記憶がないから眠りに着く瞬間と起きた瞬間以外「無」だが、あの感覚はずっと記憶がうっすらあるのに眠っているような、なんとも心地よい。あれのために行っているまである。結構美容院だとか病院だとかそういうのが好きだ。
前回、初めて勢いだけで睫毛パーマをしたときはあまりにも元の睫毛が薄くて短くて全然上がらなくてお金をドブに捨てたなあと思ったが、毎日睫毛美容液を塗ったら太く濃く長くなってうれしい。ぱっと顔が明るくなった印象がある。全然三白眼じゃないのに三白眼だね、と言われたり、眠そうな目だね、と言われたりするので目力が欲しい。目力で世の中を威圧していきたい。
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