あつまれどうぶつの森は、めんどくさい。
毎日投稿6日目。
2月10日、僕の数千円が消えた。
無職10日目の僕は、早くも退屈をこじらせて『あつまれどうぶつの森(以下、あつ森)』を購入したのだ。
僕は大のゲーム好き。特に好きなジャンルはアクション。有名どころで言うならば、ダークソウルやバイオハザードといったゲームが挙げられる。自宅では日々血なまぐさい戦いに身を置き、外では草食系男子として過ごしている狂人だ。
そんな僕でも、密かにあつ森への興味を抱いていた。あつ森が発売されたのは昨年3月。買おうかと思ったことが何度かあったが、他に優先度が高いゲーム(当然、血なまぐさいゲームである)が複数あったので、なかなか手を出せずにいた。
そして時は現在。時間はたっぷりあるし、じっくり遊べるゲームをやってみるかということであつ森を購入したのだ。
あつ森のゲーム内容はいたってシンプルである。
素材を集め、好きなように島をデザインしていく。それだけ。
『なにもないから、なんでもできる』とは言い得て妙であり、あつ森を表現する素晴らしいキャッチコピーだと思った。
あつ森は、『無駄』をうまく落とし込んだゲームだと思う。例えば、木材を集めるときには
斧を振る→落ちてきた木材を拾う
という2アクションが必要になる。つまり、2回ボタンを押さなければならない。
それに加えて、手持ちのバッグには収納限界があるし、わざわざ自宅に行かないと余剰分を収納することができない。結果、素材を採る場所と自宅・店を何度も往復しなくてはならないのだ。
僕がゲームをクリエイトする立場なら、キャラクターが木材に『触れるだけ』で拾うことができるようにデザインしただろう。ボタンを1回押して斧さえ振るえば良いからだ。どこにいても自宅に収納できるようにしたり、売却できるようにもしただろう。つまりは、徹底的に無駄を削ぎ落としたゲームデザインにするのである。
それなのに、あつ森において僕たちはあらゆる動作において操作を要求されるのだ。なぜだろうか。
この理由を、僕は『リアリティの追求』だと考える。
あつ森において、プレイヤーは島での自給自足生活を営む住民であり、現実世界と並行的に存在するものである(実際、島での時間の流れは現実とリンクしている)。
その中で、ゲーム的要素と現実的要素を絶妙な配分でミックスさせるにはどうしたらいいか。それを制作者である任天堂は追求したのだと思う。
だからこそ、わざわざボタンを押して拾う必要があるし、斧はすぐに壊れてしまう。物を収納するために自宅へ走る必要もある。斧なんて、壊れないようにすることはゲーム的には簡単なはずだ。現実と同じような『めんどくさいこと』をあえて強いることで、現実感を演出しているのだ。
他には、釣りや花の栽培、化石の発掘がある。すべて語るのは蛇足だが、削ぎ落とせる無駄は数えきれないほどにある。それなのに、なぜだかのめりこんでしまう。
知らず知らずのうちに、島民として確かに『生活』してしまっているのである。
すっかり僕は虜になってしまった。もう血なまぐさい戦いはうんざりだ、とさえ思い始めている。
まだ10日目の弱小島だが、どこまで発展できるのかが楽しみだ。
あ、転職活動もしなきゃ。
モンハンライズを予約しているのは秘密。
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