お寺でSinger Song Marimba 新谷祥子 Live at 龍見寺 2015.07.04.
これまで演ってきたライヴの会場が、たまたまお寺…というのとは訳が違います。何故その場所なのか…について、ライヴ開催に関わった人たちや、それぞれの想いや思いなどがMCでも語られました。生憎の天気は雨…でしたが、それさえも必然のようです。今日に至るまでの時間や経緯を考えれば、オリジナルが少ないセット・リストも、新谷さんらしさと言えるかもしれません。あの場で自分の音楽をどう届けるのか。どう届けたいのか。そしてどう届くのか。こんなことが伝わってきて感動的でした。
童謡やシャンソンなどが取り上げられる一方で、「死んだ男の残したものは」やジョン・レノンの「イマジン」が演奏されましたが、そこで強いメッセージ性を伝えようとしていたわけではなく、あくまでも新谷さんの生活の中で感じたことからの選曲だったのが素晴らしい。音楽は音楽として聴いた人の中で曲が膨らみ、意味を持てばよいのです。そう思います。ただし「イマジン」の歌詞がRCサクセション・ヴァージョンだったことは記しておきたいです。あの場では英語ではなく、清志郎の解釈が相応しかったのでしょう、きっと。
オリジナルで「壇の花」という新曲が披露されました。この曲の演奏中に感じたことがあります。新谷さんがオリジナルを演るときは、ビートというか、リズムの立ち方というか、これがとても強くなるように思います。もちろんドラムやベースなどはいないのですが、明らかに彼女の中では鳴っているし、自分で鳴らしています…と感じるし、その上に歌と演奏が乗っているように聴こえます。これがカヴァー曲になると一変し、歌やメロディと演奏が優先される…と。僕がこれまでライヴを観てこんな風に思ったのは初めてですが、今回はとてもクッキリとした違いが見えたような気がしました。
ところで、「壇の花」は仏壇に供える花を考えているときに浮かんだそうですが、それに似たエピソードとして井上陽水の「夢の中へ」が作られたときの話をしていました。ちなみに新谷さんから陽水の名が出ることは多く、実際にライヴで曲もカヴァーしていますし、レコーディングにも参加されています。今回、他にも「見えない糸」という曲の演奏前のMCでも陽水が出てきました。色々な意味で影響を受けていることが伺えます。
ライヴの前、新谷さんはブログにこう記していました。
" 最高級のローズウッドと共鳴管を使って、奏でます "
お寺の中の音響は独特で、ナチュラルなエコーもほぼ皆無なデッド感。それは客側には聴きやすい音で出ていましたが、演っているほうはどうだったんだろう? 何にせよ、ここでしか聴けない最高級の音のひとつだったことは確かです。雨音や鳥の鳴き声など、自然音の演出が効いていたことも特筆すべき点でした。
いつものライヴでは感じられない時間を過ごすことが出来ました。行ってよかったなぁ。
それにしても、オリジナル曲は一度もライヴでは同じアレンジで聴いたことがありません。しかし、よい意味で裏切ってくれることが多いので、毎回の楽しみでもあります。今回も「風よはこべ」でのそれが顕著で、かっこよかったな。一度は、これまでの既発曲のベスト的な選曲でのライヴを聴いてみたいな。<2015-07-05 記>
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?