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浜田真理子 コンサート2020 まりごころ 東京文化会館 2020.12.13.
1年ぶりの東京のホール公演だが、単なる1年ぶりではなく、コロナ禍においてのそれである。本人はもちろん、駆けつけるお客さんそれぞれが、特別な思いを持っていたことは容易に想像できる。
僕もそうだ。席に座り、開演を待つ間がいつもより長く感じられた…気がした。誰もが1曲目に何が歌われるのか、息をのんでステージの真理子さんを見つめていたと思う。はたして…。
「夢の中で泣いた」でコンサートは始まった。
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繰り返すが、間違いなく特別なライヴだったはずだが、1曲目に持ってきたのが、とんちピクルスのカヴァーである。続いて「You don't know me」「ミシン」と続いた。あぁ、浜田真理子のライヴに来たんだ…と、少しホッとする自分と、感激する自分がいた。終わってみれば、このオープニングも含めて、洋邦のカヴァーとオリジナルが半々といった、まったく、いつもの真理子さんのライヴである。しかし、これこそが、彼女がいちばんやりたかったことなのだろう。
" うれしい " や " きもちいい " というMC。そうした彼女の思いは全編に溢れていた。MCに笑顔、そして何よりもピアノや歌声から、このコンサートに向かう彼女のポジティヴなエネルギーが、ステージから客席に思い切り伝わってくる。ピアノを力強く叩くシーンが何度もあったが、それは自然に出た感情が指に伝わっていてのことだったと思う。
こんな思いを受け止めた僕は、" よかったね " " よかったなぁ " の思いを、彼女と自分自身に向けて返しながら聴いていた。曲が進むにつれて元気が出てくる。出てくるような気がするのではなく、間違いなく出てくる。上を向き、前を見る元気や力をもらえるライヴはそう体験できないが、この日はそれだった。
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配信で披露された新曲が本編とアンコールの最後に置かれていた。「ロード」と「いとまごい」。配信ではmarinoのサキソフォンや檜山学のアコーディオンなど、他の楽器が加わっていた演奏だったが、この日はピアノ1本。しかし、音の厚さと歌の迫力は、配信の比ではなかった。答えはひとつ。それがライヴなのだろう。そうとしか言い様がない。パソコンの画面からは伝わらないものがある。そんな当たり前のことを知った。
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いつもの浜田真理子のライヴ…と書いたが、もうひとつ、その要素を満たす重要なものがこの日にはあった。
まったくの予想外な曲を、何の前触れもなく、突然、披露する。これもまた、真理子さんの得意とするところである。過去に僕が体験したものを挙げると、たとえば、RCサクセションの「スローバラード」。たとえば、遠藤ミチロウの「カノン」。こうした曲が突然歌われたときである。
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『But Beautiful』発表時(2013年)のインタヴューで、真理子さんはこう言っていた。
「いつかちゃんと歌いたい歌リスト」、
いまの筆頭は「ヨイトマケの唄」だね。
本家がすごすぎるってのもあるし、
うちの母親を思い出して泣けてしまってまだ歌えないってのもあるし。
でもすごすぎないと、私がやる意味がない。
これを読んでから、「ヨイトマケの唄」は、僕の「いつかちゃんと聴いてみたい歌リスト」入りしていたが、まさかこの日、ここで聴くことができるとは夢にも思わなかった。
涙抜きをし、笑いながら歌うことにしたというそれは、すごすぎないと私がやる意味がないと言っていただけある、完全に浜田真理子の「ヨイトマケの唄」にしていたのが素晴らしかった。
どんなきれいなうたよりも
どんなきれいなこえよりも
ぼくをはげましなぐさめた
かあちゃんのうたこそせかいいち
音楽により、泣ける笑いは美しい。笑って泣けるのも、また、きれいだ。すごく、そう思う。
最後の「いとまごい」のイントロで彼女がつま弾いたのは、切なく、それでいて嬉しくなるような「きよしこの夜」だった。<2020-12-14 記>