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八月のフロッタージュ おおたか静流 meets 浜田真理子 鎌倉女子大学二階堂学舎 松本尚記念ホール 2017.09.09.

今年の2月に体験したプログラムの再演。前回は下北沢の教会だったが、今回は何とも雰囲気のある大学のホール。こうした会場と八月のフロッタージュというタイトル。そして歌われる曲から伝わるメッセージと相まって、普通のライヴとは違う独特の時間を過ごせる公演になっていると思う。

核となるセットリストに変化は無かったし、あいまに挟まれるメールでの書簡も同じだったと思うが、今回はおおたか静流は「東北」を、そして浜田真理子は「はためいて」をと、僕が観た下北沢公演のリストに2曲がプラスされていた。

フロッタージュという意味の " 擦りとる " 対象は「八月」。歌われるいくつかの反戦歌。更にメロディがつけられ歌われた茨木のり子、竹内浩三のそれぞれの詩。前回も感じたことだが、ここから記号的に企画意図をくみ取るのは可能だし、おそらく企画意図もそういうことなのだと想像する。しかし、音楽というものは人の数だけの思いや想いがあるもので、聴いて触れて湧き上がってくるのは限定されたものでは決してない。

例えば「悲しくてやりきれない」。映画『この世界の片隅に』で取り上げられたこともあり、今ではその線で聴くこともできるだろうし、この日のテーマにも合うことだろう。しかし、おおたかさんが歌うこの曲を聴きながら、僕は作者である加藤和彦さんがいないということが浮かんで切なくなり、心を動かされた。しかし、これこそが僕にとっての音楽の魅力である。

実際、二人の歌から受ける印象は今回も自由であったと思う。だから、歌われた曲たちはすべてあの場にいた人の数だけ受け取られ方があったはずだ。僕が音楽を好きで良かったと思うことのひとつは、こうした場にいられ、そんなことを感じられるときだ。

それにしても久しぶりに聴いた「はためいて」の白眉。そのメロディの美しさを含めたこの曲の魅力はライヴ…ナマである。空気を震わせた声と音をその場で聴いて触れて感じてこそ…である。レコードやCDでは絶対に味わえない。ステージ後方から眺められる木々の緑が風に揺れている風景は、まるで「はためいて」が映像化されたものをその場で見せられているようで素敵だった。

コンサートの後、夏の終わりの鎌倉を少し歩いた。だんだんと暮れていく空を見あげながら、「みんな夢の中」のメロディが遠くで鳴った。<2017-09-10 記>

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