文春トークライブ第12回 浜田真理子「昭和」をうたう。 紀尾井ホール 2016.12.20.
会場の紀尾井ホールはクラシック音楽専用ということだし、開演中も客電はほぼ点いたままだし、歌と演奏の合間には佐藤剛さんのMCで解説が入るしと、通常のコンサートとは趣が違う構成。さらに浜田真理子のファンとしては、事前配布のパンフを見たら、そこで歌われるのはライヴではお馴染みの曲だったことに加え、マイラストソングで取り上げられていたものも多くあったわけで、文字だけで予想すれば良くも悪くも新鮮味が薄れてしまうように感じられた。はたして…。
一曲目の「みんな夢の中」が歌われた瞬間、まるで初めて聴いた曲のような声と音とメロディがあった。同じく、これまで何度も聴いている「街の灯り」や「一本の鉛筆」も新曲のように響く。新鮮味が薄れるどころか真逆。惚れぼれする。そりゃそうだ。歌っているのは浜田真理子なのだから。
浜田真理子の歌を形容する、たとえば " 美しい " のような言葉や単語はすべて僕にはもどかしい。当てはまらないからということでは決してない。僕にはそれらを超える他の言葉があるとしか思えず、しかしそんな言葉は無いからである。
オフィシャルのインフォから引用。
忘れ得ぬ昭和のスタンダード・ソング、知られざる名曲、
懐かしの哀歌(エレジー)をしみじみと、哀切に歌い上げます
佐藤剛さんのMCでは専門的知識を必要とする解説もあったけれど、中心にあったのは昭和の名曲を現代に蘇らせて伝え、後世に正しく残していきたいという、実にシンプルなものだったと想像する。そのためには昭和のうたの素晴らしさを、素晴らしいまま、素晴らしい曲としてうたえる歌手…浜田真理子しかいないということだろう。異論は微塵もない。
冒頭に書いた通り、通常のコンサートの雰囲気ではなかったが、常に中心にあったのは " うた " だった。そこには歌詞とメロディと音と声、そして聴いているお客さんの数だけの " うた " 、時代も世代も超えた昭和の " うた " が主役だった。
歌の力。そして、歌う力。これに尽きる。浜田真理子は凄い。
P.S.
カヴァーの中で唯一歌われたオリジナル曲は「のこされし者のうた」。過去に何度もこの曲で泣かされてきたが、この夜はこれまでとは違う個人的な想いを抱いて聴いてしまい、途中で落涙した。泣ける浜田真理子を久々に堪能。
それにしても今夜、初めて浜田真理子を聴いた人は、昭和をうたうというテーマも楽しめたと思うけれど、この唯一のオリジナルである「のこされし者のうた」は強烈だっただろう。この一曲に心を奪われ、持って行かれちゃった人も少なくなかったんじゃないかと思う。<2016-12-23 記>