お寺でSinger Song Marimba 新谷祥子 ゴンドラの唄 八王子市龍見寺 2019.06.28.
昨年はゲストにクリストファー・ハーディさんのパーカッション、そして君塚仁子さんのオカリナを迎えての演奏だったが、今回はオカリナが三浦咲さんのヴィブラフォンに変わった。
ヴィブラフォンといえば、過去に山本祐介さんと新谷さんの共演を体験済み。その際の仲井戸麗市を交えた三人の演奏を思い出せば、楽器の相性はもちろん、演奏がハマったときの美しさは知っているつもりだ。更にお寺という場を感じさせない音響を作る山寺紀康さんが今回も就く。条件は揃った。はたして…。今年も素晴らしいコンサートだった。
『お寺でシンガーソングマリンバ』は今年で5回目。ということは龍見寺で僕の夏が始まるようになったのも5年目になる。歩くだけで焦げるような時もあったが、今年は梅雨空。しかし雨にたたられることはなく、お寺までの道も快適に感じたりした。
2019年のタイトルは『ゴンドラの唄』。ゴンドラから連想されるもの…水、川、舟などがテーマとなっていて、そういったものにまつわる曲や歌いこまれている曲が取りあげられていた。この縛りがあったからか、新谷さんには珍しく既発のオリジナルが演奏された。「ブルック~女はいつも」と「とめようもない」の2ndアルバムからの2曲。ライヴの度に新曲を披露するスタイルを通しているけれど、過去のオリジナルを今のフィーリングで聴かせてくれるのは嬉しい。
カヴァーは今回のタイトルになった「ゴンドラの唄」を始め、「ブルー・ライト・ヨコハマ」「リバーサイドホテル」など今回のテーマに沿った選曲。途中で三浦さんとクリスのソロも挟まるのでゲストの色も濃く反映されるし、披露されるのはクラシックから歌謡曲までジャンルを超えたものではあるが、演奏を完全に自分のものとしているので、通して新谷祥子カラーが崩れないのはさすが。
三人は楽器を “ 叩いて “ 演奏する。これは楽器演奏で一般的に言われる “ 奏でる “ の感覚とは異なる…と思う。この “ 叩く “ ことの激しさと力強さが視覚的にも音としても表現されるのだが、伝わってくるのはそれとは逆のものになっているのが不思議である。マリンバとヴィブラフォンから伝わる柔らかさと美しさが際立つ。このトリオが叩くと、音は強さよりも豊さが増すのかもしれない。
各々のミュージシャンとしての力量は当然だが、それだけであの感じは出ないだろう。その理由を考えると、やはりお寺という会場が大きいのだと思う。この “ 会場 “ というのは、決して言葉そのものだけを指すのではない。コンサートを企画しているスタッフの手作り感にあふれた雰囲気。そして音響。これを含めての “ 会場 “ だ。
まず、その手作り感は、5回目を数えるのに、かえって増しているように見える。開演前や休憩時間に畳の上でお茶を飲みお菓子をつまんでいると、あまりにもの普通さに囲まれたここはどこなのか、一瞬、わからなくなる。しかし、こうした雰囲気に反比例するかのように、一昨年からお客さんに届けられる音が格段に良くなった。少なくとも、音に集中しているときの僕にとっては、ここがお寺だということを完全に忘れるほどの音響になった。僕のような仲井戸ファンとしては麗蘭・磔磔のPAとライヴ盤のミックスでもお馴染み、山寺紀康さんがその犯人(笑)である。
ここでのコンサートが始まった当初は、音響も新谷さん自身がステージ上で演奏と共にコントロールしており、まさに音までもが手作りと言えたのだが、今では下手なライヴハウス以上だ、マジで。特にヴォーカルは本当にきれいに聴こえるようになった。音が大事なのは当たり前なのだが、そのスタートから知っている者としては、現在の状況は、やはり感動的である。
そんな本格的な音響を手に入れた手作り感というものは、お客さんだけでなく演奏者にもよい影響を与えるものなのだろう。昨年も感じたことだが、演奏する三人に絶えない笑顔がそれを証明しているかのようだ。素晴らしい演奏が良い音で届けられ、そこに笑顔があふれている会場。それを素敵だと言わないのならば、世界に素敵はない。
本格的な会場でも聴いてみたいなぁ…と思ったことは白状する。しかし、ここ、龍見寺だからこそのコンサートなのだろう、きっと。ライヴハウスやホールでこの音を聴くことは、おそらくできない。
今年も僕の夏がやって来た。入口から少し歩みを進めれば、新谷祥子の新しいアルバムが届く。<2019-07-03 記>
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