概念共有の悲劇
「概念を共有する」と言った場合、外部にある何らかの概念を誰かと共有するという意味合いで使用されることが多いと思われる。
しかし、概念は外部に存在するだけでなく、自分自身もまた概念に属する者である。
あなたが日本人なら、日本人、アジア人、人間、生物といった概念に自らも属することになる。
ここでの「概念を共有する」は、自らが属する概念を、その同じ概念に属する他の誰か、何かと共有するという意味で使用する。
例えば、
日本人と中国人は、アジア人という概念を共有している。
中国本土人と香港人は、中国人という概念を共有している。
朝日新聞と産経新聞は、新聞、マスコミ、メディアという概念を共有している。
「概念共有の悲劇」とは、概念を共有する者は、同じ概念を共有する他の者の不始末による悪影響をも共有してしまうという見方、仮説である(「ひとくくりにされる悲劇」と言ったほうが分かりやすいかもしれない)。
「概念共有の悲劇」は、誰かにとって、同じ概念に属するもの同士の違いを見分けられないほど、その概念や概念に属するものに対する知識または関心が希薄な場合に生じやすいと考えられる。