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さらば、波動高めで弱めなわたしよ

ひっさびさにスマホでカラオケアプリで歌ってご機嫌のジェニーです

私が歌にハマったのは、小学生の頃でした

確か当時はレーザーディスクとか、ごっついテープとか、機械がカラオケマシーンでした

なんなんでしょう

大人が集まって酒飲んで肴をつまんで、程なくして始まる歌と手拍子

沖縄では踊りも同時に始まると思うのですが、ここ岩手は渋く歌って揺れてしみじみした感じで盛り上がる

そう、民謡や演歌や津軽三味線の音色のように

静かだけれど激しいエモーションがあります


母が演歌や歌謡曲を聴いていて、テレビではアイドルやアニメソング、姉の影響でロックも聴いた子供時代だからか、私のレパートリーはとても広い

どんなタイミングだったのかは覚えていないけれど、小学生の時、茶の間のダッシュボードの引き出しに入っている歌詞本を手に、歌える歌を片っ端から歌っていた記憶がありまして、暇だったのか、ストレス発散なのか・・・

その頃から、火がつくと止まらなくなる性分で


それから高校生になるとカラオケボックスに友達と行って騒ぎまくるということもありました

あまり自分の歌に記憶はないけれど上手くもなく、当たり障りない歌をノリで歌っていたのかなと思います

社会人になってからもカラオケって遊びのプランの一つで、出会いや社交の場でもあって、たいていグループで行って、流行りの歌を歌って楽しむという感じで

私は当時ウルフルズに出会ってハマって歌っていたけれど、あんなソウルフルに上手く歌えていないと思います

それよりも、女友達が歌うスピッツを上手いし可愛いしずるいなーって思ったり、当時付き合った子が選曲したブルーハーツの月の爆撃機が最高過ぎてさらに好きになってみたり

あー、なんか徐々に人を意識してきて声が出ないし、自分の歌に自信がなくて、無難な歌を選んで誤魔化しながら歌っていたような気がします

年齢を重ねるごとに声が出せなくなっていました

歌がって言うよりも、声自体に自信がなくなっていました

学生の頃に叔父に「声が変だ」って言われて真似されて傷ついたこともあるし、クレヨンしんちゃんみたいって言われたこともあって、誰かが真似する私の声って低くて、ダミ声みたいな汚い感じで、醜い感じで、とにかく恥ずかしくて

ただでさえ、私は言いたいことが言えない性格で、声もどんどん出せなくて、好きな人ができても見てるだけになって、お付き合いする人ができても一切話せなくなったりして

とにかく声に自信がなかったし、あれこれ考え過ぎるし、思うように人と話せませんでした


それから月日は流れ、神奈川県にいた姉の家に居候していたのですが、仕事で家を使うから外出しなきゃいけなくて、なんだか人に疲れていたのですが、都会って誰もいないところがなくて、彷徨った挙句、一人カラオケだ!と思いついたわけです


平日フリータイムだと1000円くらいで6〜8時間とか居れるわけです

さすがに初日はノドを痛めました

ストレス発散も兼ねているから、ほぼスクリームです

そして、歌も酷いです

音程もリズム感も乱れ過ぎて

それでも、自分の中に何十年も溜まった鬱憤は止まらないわけです


ノドがヒリヒリしても、咳が出ても、何かに取り憑かれたように歌いまくりました

ハマったと言うより、カラオケ中毒でした笑

週5くらいで行きました

安くて、設備が良くて、ドリンクが良くて、店員さんも良くて、部屋も良いところを探しました

フリードリンクだけれど、あまり飲まない方がトイレに行かなくていいから、その分歌えるってことにも気づきました

コーヒーとか、ジュースよりも水を飲むのが一番身体に優しいってことにも気づきました

本当に一人カラオケか?ってくらいに連チャンで歌います


声量は出ていないんだろうけれど、前よりマシになってきて、ノドも何時間歌っても大丈夫になったりしました

(餓鬼レンジャーと三木道三の歌だけはノドに来るけれど笑)


さて、やっと本題ですよ●


何が言いたいかって言うと、「丹田」のことなのです

私はそれまでも何かの折に「丹田」と言う言葉に触れていたし、スピリチュアルの学校でも気功みたいな、エネルギーワークで丹田を鍛える、とかあって

身体の歪みを取るとか、ダイエットとか、呼吸法とか、ヨガとか、体幹を鍛えるとか、人生のところどころで同じことをやっていて

それでも上手く鍛えられなかったのです

一人カラオケ中毒になって、もっと大きな声を出したい、軽やかに歌えるようになりたい、身体で歌えるように、魂で歌えるように、息をするように歌いたいって思って、ボイトレの体験にも行ったことがあります


小柄でも細くても声量がある人がいるし、何が違うんだろうって思っていました

とりわけシンガーの人って、ダメ人間に見えても、現実創造力は強いような気がしていて、何が違うんだろうって

いくら弱気な発言をしていても、ネガティブに見えても、優しく控えめで「私なんかなんてことないですよー」みたいな人でも、叶えたいことを叶えている感じがする人って何が違うんだろうって


宇宙理論でHAPPYちゃんを知って、ものすごく大きなパワーを、エネルギーを動かしている人なんだけれど、人間である自分一人の力ではなくて、もっと大きな宇宙エネルギーを使っているみたいなことを言っていました

テコの原理みたいなことだけれど、そもそもの底力というか、自分の中にある力はなんなんだろうと

緩むことも大事だけれど、気合いも大事
現実を動かすには「意志と気合と気迫」って言っていた

じゃあその「意志と気合と気迫」ってどこから来るんだろうって(どこまでも頭でっかちな私w)


HAPPYちゃんの教えでは、「おりゃー!!!」とか「できるー!!!」とか叫ぶことも大事って言っていて、とにかくうるさくて笑

私はHAPPYちゃんを本当にすごいって思うし、友達になりたい、話してみたいって思うけれど、時々声が強すぎて苦手で、高笑いしたり、声に鋭さがあるっていうか、耳と頭に響くっていうか、話す内容は最高だけれど、声が出す音が苦手でyoutubeとか配信を聴けないって時があって

それも、一体なんなんだろうって思っていた


けれども、それもこれも全部

「丹田」

なんだと気づいたわけです


「丹田」から発せられる声が、意志の強さ、自信の強さ、言葉の強さ

もちろん、響かないように抑えて話せる人もいると思うし、私自身の感覚過敏があるから高い声とか、うるさいのが苦手っていうのはあるけれど

それと同時に今の私がまだまだ(私なんて)って感じのところがあるのかなって

なんていうか、自分の核っていうか、柱っていうか、土台っていうか

どっしりと、ずっしりと、どーんと強固な、動じない、ぶれないものがあれば、そこまで響かないか、流せると思うし、感じ方が違うかもって思うのです


そう、それは「丹田」

何度も言うけれど「丹田」が意識できて、鍛えられれば、声はもちろん、現実創造力も大きく変わる!と気づいたのです


単純にそれだけで良いかもって思えるほど


でも、「丹田」は目に見えないから分かりづらい

自然に使いこなせている人もいるし、時々によって使える人もいるし、意識して強化している人もいると思うのです

何歳でも、どんな外見でも、筋肉量も関係ない


けれども、私のように(笑)優しくて人に譲ってしまう人って、弱い可能性が高いかなって

それでも幸せなら良いんだろうけれど

いい人やっているのって、本当に喜びでやっているんじゃなくて、人間関係が面倒だからとか、自分を犠牲にしていたりとかだと、鬱憤って溜まっていると思うし、心、脳みそで気づいていなくても、内臓や、皮膚や、関節、どこか痛かったり、病んでいたりするんじゃないのかな

全部自分で創造した現実世界なのに、肩コリは仕事のせいだとか、目が悪いからだとか、姿勢が悪いからだとか、何かや誰かがストレスだからだとか、外側に原因を探して、薬で対処しようとしたり、マッサージや、暴飲暴食でストレス発散とか外側だけで解決しようとしたり、一定期間解消されたように見えても根本的には解決していない

自分の内側を視ることができないままだと、問題の種類が変わるか、酷くなるだけのような気がします

というか、私がそうでした


運動でストレス解消できれば、もしかしたら「丹田」とか、自分の内側で感じていることに目を向けられれば、自分が創造できるって気付けるかも


肉体でさえ、粒子の集まり
固定されているようで流動している
なりたい体型にもなれる

全ては意志、「丹田」のちから


私は変に強い時があります
虫とか苦手だけれど、殺したくはないから、以前オフィス内にスズメバチみたいなのが乱入してきて、たいていの女性社員は逃げて、男性社員の誰かが退治しようとしているのだけれど、私は虫を殺したくないから怖いけれどどうにか虫が逃げられるように頭と身体をフル回転させます
逃げ道を作ったり、追い込みをしたり、なるべく安全に、なるべく迅速にできるようにします

そういう時、肝が据わっている、状態になっていたなと思います


だから私も「丹田」使えていたんだなと

同じように、歌も、「丹田」を意識していけばお腹から声が出て、声帯もコントロールできるのかもしれない
できてくればもっとリラックスして歌えて、もっと軽やかに声が出るようになるのかもしれない

私にとって歌は、楽しみでもあるし、喜びでもあるし、祈りでもある

民謡はかつてそうであったように、辛い作業を、厳しい季節を環境を、少しでも明るく強かに生きるために、歌はあるのだと思う

口から出る言霊と波動

震える音が自分や大地や空を繋いだんだと思う


ブルースも然り
黒人の虐げられた悲しみが、やりきれない気持ちが、人間の底力を見せつける
どん底なのに力強い、熱いし深いどうしようもない感情を
音楽に乗せたらカッコ良くなる

生きる知恵なのかも

そうか、死にたくなるけど生きるために、「丹田」が命を燃やすのかも


ちょっと何言ってるのか自分でも分からない笑


ではまた☆

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