人間ランド
gooooooooodesting Mozart motorcycle morning !!!
今日も人間やっていますジェニーです
昨日動物保護のための事業計画書を書いてみようと紙とペンを用意しました
そして、事業計画書ってなんだっけ?ってとこから始まり、調べると事業の目的や、事業内容から、ターゲット層や売り上げの見込みや収支計画など具体的な数字を書いていく作業が必要になると知りました
そうなってくるとフリーズするのです
難しい言葉って、眠くなるのです
いつもここで断念します
が、もう一歩進めて、動物保護系の事業計画書を調べました
参考になりそうなものもあるし、色々見るうちに、動物保護を餌にビジネスにしていると言う内容の記事まで見つけてしまい、切なくなって、他にも、ただただ保護しても、ブリーダーやペットショップ、法律的なものまで、全体の意識が一緒じゃないとイタチごっこだと思いました
それだけじゃなく、相葉くんの番組でも表されるように、保護していくって、厳しい現状に切り込んで行かないといけないわけで
そんな度量が私にあるんですか?って
ただ、好きだから守りたいって、可愛いからってだけじゃ務まらないってことをヒシヒシと感じ、弱気になったりしていました
やっぱり、はっきり言って、私一人じゃ無理です
抱えきれません、精神的にも肉体的にも物質的にも
とにかく、今苦しんでいる動物を生き物を救いたい
けれども、そこだけにフォーカスしたら、次々と出てくる問題に飲み込まれると思うのです
そうなると、もっと根本的な解決をしたいって思ってしまって
そうなると、今すぐ思いつかないし、どこをどうすれば一番良いんだろうって考えているうちにまたフリーズして、結果何もできないパターンに
違う違う
なんでもいいから始めようって頭では分かっているのに、その「何でもいい」が抽象的過ぎて、右なのか左なのか、上なのか下なのか、前なのか後ろなのか、方向が見えないと動けないのです
そして、こんな時は
手放すに限る!
そう思って
まず美味しいものでも食べよう
とか
海でも行こう
とか
歌でも歌おう
なんてやっている自分を世間はどうしようもねーって見るのかなあとか
でも、なんだかんだ
ここで、あーでもないこーでもないと書かせてもらっているからか
長い間悩まされた右手だけの手湿疹が、この冬は出ていません
密かにとても感動しております
喜んでおります
心から嬉しいです
5年前、バッチフラワーレメディのコーディネーターさんに言われました
「手湿疹が出ているのは、自分の才能を活かせていないからかも」
と・・・
それから、自分の才能のどこの何をどう活かせばいいのか、試行錯誤し、創意工夫し、食事に気をつけたり、ストレスを溜めないようにしたり、運動したり、睡眠をきちんと取れるようにしたり
一時期は、甘いものも、小麦粉も、カフェインも、乳製品も、刺激物も摂っていないのに、手湿疹が出る時がありました
酷い時は、膿が水泡みたいに出て、ものすごく痒いので我慢できず搔きむしり、血が出て痛くて、爪の甘皮もなくなり、腫れて握ることもできなくなったり、夜も熟睡できず、右手だけまるで別の生き物のように感じました
24時間綿の手袋をして、なるべく水を触りたくないので、自炊もやりたくなくなりますが、出来合いのものはお金もかかるし、栄養面でもバランスが崩れるので、どっちにしてもストレスでした
お風呂や顔を洗うのも、掃除も、何をするにも利き手である右手を使います
あれって一体何だったのか
薬が飲みたくなくて、ステロイドの薬も塗りたくなくて、病院に行かずに治そうと思ったのですが、あまりに酷いので、せめて漢方を処方している東洋医学の標榜もある皮膚科へ行きました
散々待たされ、診察は一瞬手を見ただけで、こちらの目も見ず、舌も見ず、診断名とか原因とかも言わない、「じゃこの薬飲んでください」だけ
来るんじゃなかったと思いながら、出された漢方も、添加物が入っているもので、いかにも漢方ブームで出している感じで
東洋医学を学んだはずなのに、パソコン見て、患者を診ないって何なの?
とかなりながら
あとで自分で調べたら、怒りっぽい人に出す漢方で、当たってるって思いました笑
とまあ、なんやかんやありながらも
私もついにここまで来たわけです
えっへん!
才能を活かせているのか分かりませんし、まだまだって気持ちもありますが、体が何よりの証拠です
頭で考えても、心で感じることも、何も分からないとしても、体は分かっています
反応してくれています
自分が今、大事にされているのか否か
ちなみに、ギフテッドというIQ130以上の生まれつき高い知能や才能を持つ人がいて、周りに馴染めず、生きづらさを感じていたりするそうです
発達障害と診断されている人の中には、そういう方もいると私は思います
なんせ日本の医療や教育や社会環境も遅れているというか、偏っているというか、異彩を劣とみなすところがあります
いつからそうなったのか・・・
狭い島国ならではの保守や防衛本能もあるとは思いますが、外見だけ同じでも意味がないし、社会全体へのメリットもよく分かりません
アホな大人たちに物申すから、「へりくつ屋」とか「めんどくさい」とか「物分かりが悪い」とか、まるで私がダメ人間かのように扱われ、そのまま自分を否定して生きてしまいました
天才を潰すも生かすも環境次第で、私は天才って一人ではなれないと思っています
日本には埋もれている天才がもっともっといるんだと思いました
そして、障害者としての烙印を押される悲劇より、周りが気づいて、伸ばしてあげられる環境になって欲しいと心から願います
かと言って、何でもかんでも褒める親とか大人って違うと思うのですが
親が出来ていないから、子供も低レベルに満足したり、高レベルなのに「もっと頑張れ」って言われたり
そもそも己のコンプレックスを子供に押し付けるのが間違いなのです
むしろ、何も分からない自分をバカだと思えてる親の方が、基本的な愛情を注いであげられているし、良い影響を与えているかもしれません
「ダメな親でごめんね」とか、やってあげた的な恩着せがましくない限りは
栄養のある、質の良い食事を与えるとか、掃除の行き届いた心地良い住空間を与えているとか、歯を磨くとかお風呂に入るとか身の回りのことがきちんと出来たり、ちゃんと食べて、ちゃんと遊んで動いて、ちゃんと寝られるようにしていれば、子供って勝手に学んで勝手にすくすく育つと思うのです
どんな言葉をかけたかよりも、お金や物をどれだけ与えたかよりも、親の愛は生活そのものの居心地の良さだと思います
どんな子供でも受け止める深い心と、命の大切さを教える厳しさと
親同士の言い争いとか、大人同士の醜い会話とか、子供に対してでなくても、言動や所作や姿勢、生き様って子供はちゃんと見ています
むしろそこから感じ取ったりする部分が大きいのかなと思います
どんなに子供に偉そうなこと、立派そうなこと言ってても、行動が伴っていなければ意味がないし、大きく見せるよりも、出来ないことを出来ないと言ったり、間違えたら謝るとか、完璧じゃなくても誠実さや、真摯に子供に向き合っていれば信頼されるはずです
好き嫌いは相性があるし、血が繋がっていようがいまいが、そこはどうしようもない部分だと思います
子供もいつまでも子供じゃないのです
どんな最低な親でも、人間だし、自分で選んで生まれた家だから、そこから何を学んで、ここから自分はどう生きたいのか、だと思うのです
片親だから、貧しいから、複雑な家庭環境だから、だからなんなんだ
ちゃんとしている人はしているし、間違えても、道を踏み外しても、そこから大きく成長する人もいるし
敷かれたレールを優等生で生きていても、些細なことで転落するかもしれないし、人生に本当に大事なことを学べていないかもしれない
人は失敗した時にこそ成長するのだから
悔しくて悲しくて痛くて苦しくて辛いからこそ、もう嫌だ!って心の底から思うからこそ、変わろうって思えるし、自分の本当に気付けたりします
今日も話があちこち散乱して
短くしようと思ったのに、長くなりましたが
最後までお読みいただき有難うございました
何はともあれ
一度きりの人生です
ゆるく楽しく心地良く
呼吸を整え、脳と体を整え、波動を整え
参りましょう
ではまた〜♪