やる人
gooooooooodest do it morning !!!
今日も1日を有難うございます
どうしようもない時ほど、意味もなく、唐突に、豪快に
「がはははははははは」
って笑ってみると、少し晴れて来ます
少し曇った心が
少しどんよりした心が
昨日、私はここで「ゆっくりしましょう」とか「温かくして過ごしましょう」とか「焦らず、慌てず、のんびり」とか、頭では、言葉ではそう思って書いていましたが・・・
3月に保護した迷い老犬のカフェオレが、病院に行った土曜日の日から、なんだか急激に弱って、立つことすらできなくなって、いつかこんな日が来ると覚悟の上ではありましたが、今までと違うお世話が増えて、やはり、慣れないことには四六時中神経が休まらないというか、余裕がなくって、お腹空いてても先にわんこの事とかを優先するし、好きでやっていることだけれども、介護状態ってこんなにも心や体に余裕がなくなるんだよなって改めて思いました
そして、やっとお風呂に浸かっている時に、いつもしているルーティンな感謝の独り言とか、そんなことすらできなくなるし、なんだか、自分の書いた言葉が綺麗事でしかないのかなと思ってしまい少し落ち込みました
世の中には、平気でポイ捨てする人がいたり、意図して意地悪をする人がいたり、弱いものを傷つけたり、それが悪いことだと知りながらも手を染める、それってなんでかなあと、どんな心理なのかなと前から不思議で、人知れず考えていました
私も、きっと忙しいと、疲れて何も考えられないと、小さな日常の喜びとか、そんな感情とかはどこかへ行ってしまって、それでも、やるべきことはあって、自分で自分をあれもこれもしなきゃって自分を追い詰めてしまうなあと思いました
かと言って、介護しないで見捨てるとかもできるわけがなく、かと言って、24時間張り付いてもいられない
幸い床暖房のある実家なので、わんこの寝場所を玄関近くから、リビングへ移動し、ヒーターや灯油ストーブもつけた乾燥南国状態は、私には辛いし暑いし、リビングと茶の間には家族の洗濯物を干すので、これがまた洗剤や柔軟剤が臭いし、キッチンも繋がっていて、音や臭いがストレスになっていることもあり、あまり長く一緒に居られません
でも、お陰様でカフェオレじいちゃん、昨日より食欲も戻って、動きたそうな感じもあって、一応動物病院に今日も行きましたが、体温が0.4度上がっているし、「まだ大丈夫だ、寒いと一晩で死ぬ、とにかく温めて、食べられるものを食べさせて体温上げて」と言われました
こちらの動物病院の先生は、延命治療をしない方がいいという考えなので、私と同じなので、少し適当ではありますが、昔ながらの獣医さんという感じで好きです
先に待っていたパグ連れのお客さんも、「ここの先生は適当だけれど、それが適度でいいんだよね」と言っていました
動物が好きな方は同じかと思いますが、やはりシニアになったり、介護状態になると、言葉も話せないぶん、余計に心配したり、気を揉んだり、冷静に考えられなくなったり、一人で悩んだりすることがあると思います
だからこそ、連携をとるお医者さんはとても大きな心の支えになるし、大事な存在です
けれども、お医者さんが言うことだから、と、言われるままに検査や治療や薬と、それが正しいのか、当事者である動物には聞けないし、飼い主さんが判断するしかないのです
ですが、やはり疲れていたり、余裕がないと考える時間も隙間もない
私は前の愛犬カンクンが低タンパク血症と診断された時は、別の獣医さんでしたが、言われるがままにプレドニゾロンと言う副腎皮質ホルモン(ステロイドホルモン)を何ヶ月も何年も飲ませ続けてしまっていたのです
数値が良くなったら、腸内の検査をやる予定でしたが、ずっと数値は良くなならず
いつしか脂肪腫という悪性腫瘍ができてしまいました
愛犬が癌だと分かって、私もやっと本気で病気や健康や栄養や病名や薬や西洋医学について、自分なりに勉強したのです
あれこれ試して、とにかく食欲があるうちは安心だと思っていました
逆に、私は定職がないから、家にいようと思えばいられるから、ここまで手をかけてしまうのかもしれないし、息抜きができないのかもしれないのですが、私の性質上、一極集中してしまうし、こだわってしまうし、何よりも大事な存在は、何よりも、自分よりも優先事項でした
それでも、無知なため、結果的には後悔ばかりです
でも、だからこそ、今は、そこまでじゃない、それなりに、知恵もあります
だけれど、やはり正解はなく、自分の体が大事なこともわかっているけれど、どうしたらバランスが取れるのか、どうしたら、こんな風に、同じように1分たりとも、1秒たりとも気が抜けない日々を過ごしている方々にも、良い状態、良い気分になってもらえるのかについても考えています
今のところ、その時間、状態は、自分で決めて、意図して、意識的に、無理矢理にでも「作る」しかないなと思います
トイレに入っている時でもいいし、お風呂の時でも、歩いている時でも、寝る前の3分でもいい、1分でもいいから、自分が最高に幸せな妄想をする
余裕のある日々を過ごしている、やらなくていいことの判断ができている自分、家も片付いているから、掃除も楽だし、探し物に時間を取られることもない、移動も準備もスムーズで、毎日が適度で適当でいい加減
そうか、そこですね
「いい加減」
むしろ、これが分かっている、無意識でも意識的にでも、できる人は問題ないのかなと思います
私ができないから、悩んだり、解決しようとしているだけで
そうか、本当にそうなんです
できている人は自然に事も無げにできている
それに、私と同じすぐテンパっちゃう人は、逆にネットとか、ブログとか、何かをじっくり読んでいる暇がないと思うのです
youtubeとか、聴き流しならいいのかなとも思いましたが
活字好きな人じゃないと、動画の方が、音声の方が良かったりするのかなと
というわけで、今日ももうこんな時間に
人間には、苫米地英人先生の言うコンフォートゾーンというものがあって、いわゆる恒常性機能ですが、慣れたものに心地よさを感じるし、そこに留まろうと、維持しようとする防衛本能といいますか
ダイエットして、急激に痩せてもリバウンドするのと一緒で、体が、細胞が、覚えているのです
散らかり放題でストレスだらけの実家でも、旅先では寝られなかったり、帰ると安心感があったり
安定や安泰っていうのは、刺激がないぶん、成長もしないって事です
つまり、今の自分を変えたい時、もっと良い状態を作ろうとしている時に、心地良さを感じている時間が一番大事だと思うのですが、それを維持するためには、その悪魔の囁きに勝つ意思や少し無理をするってのがコツなのかなと思ったのです
余裕がある自分になるために、今までと同じまんまではなく、どこかを変えるために、要らないもの捨てたり、要らない感情も捨てたりしていく、ちょっと「エイッ」て気合いが必要だけれど、なくても困らないものは意外と多いです
今日も、大好きな真っ赤なケーブル編みのニットが毛玉だらけだったのですがなかなか思い切れなかったけれど、新しい自分になりたいし、なるし、もっといいやつ買えるし、「エイッ」って感謝して捨てました
処分をためらい続けていた綿100%のタオルケットもカフェオレのためになら惜しみなく使えました
やはり、オムツやトイレシートも、便利だけれど、あのポリエステルやプラスチック的な素材には疑問だらけなのです
いくらわんこでも、肌に触れるものは天然素材がいいはず!
生理用品もそうです
もう何年も前に私は天然素材に変えていますが、分かる人にしか分からない話です
そろそろカフェオレが気になるので、今日はここまでです
こんなてんやわんやですが、今日は神社にもお礼参り行けて良かったです
皆様も、いつもお付き合いくださり本当に有難うございます
適当に、適度に、いい加減に、風のように軽やかに行きましょう♪
ではまた