同性愛について【カトリック教会の教え】
カトリック教会は、同性愛について実際どのように教えているのでしょうか?
カトリック教会の教えは『カトリック教会のカテキズム』、通称『カテキズム』という本にまとめられています。昔は『公教要理』と呼ばれていました。教義を章ごとに分けて説明しています。段落ごとに番号がふられ、番号をひけば、その箇所が読めるようになっています。
以下は、そこからの抜粋です。要点を後半にまとめました。
***
抜粋
2357 同性愛とは、同性に対してのみ、もしくはおもに同性に対して性愛を抱く男同士、または女同士の関係を意味します。これは時代や文化の違いによって、きわめて多様な形をとっています。その心理学的原因はまだ十分には解明されていません。これを重大な堕落としている聖書に基づき、聖伝はつねに、「同性愛の行為は本質的に秩序を乱すもの」であると宣言してきました。同性愛の行為は自然法に背くものです。これは生命を生み出すはずのない性行為です。真の感情的・性的補完性から生じるものではありません。どのような場合であっても、これを認めることはできません。
2358 無視できない数の男性や女性が、同性愛の根強い傾向を持っています。この傾向は、客観的には逸脱ですが、彼らの大部分には試練となっています。したがって、同性愛的な傾向を持つ人々を軽蔑することなく、同情と思いやりの心をもって迎え入れるべきです。不当に差別してはなりません。これらの人々は、自分の生活で神のみ旨を果たすように、キリスト信者であれば、自分のこの傾向から生じる困難をキリストの十字架の犠牲と結び合わせるように、と呼びかけているのです。
2359 同性愛的な傾向を持っている人々は貞潔を守るよう招かれています。内的自由を培う自制の徳によって、時には友人の献身的な助けのもとに、祈りや秘跡の恵みによって、少しずつではあっても確実にキリスト教的完全さに近づくことができるし、またそうしなければなりません。
***
要点
・同性愛の性行為は、聖書や聖伝(カトリック教会の聖なる伝統)の中では「重大な堕落」とされ、カトリック教会の教えはそれに基づいています。
・「自然法(神が自然の中に制定された秩序)」にかなう性行為とは、生命を生み出すものであり、それは男女の差異による感情的・性的補完性から生じるものです。そのため、同性愛の性行為は「自然法に背くもの」、その行為の「本質」からして「秩序を乱すもの」となります。
・同性愛の根強い「傾向(同性に惹かれる感情)」と同性同士の「性行為」には違いがあります。同性愛の「傾向」は客観的に見れば、秩序からの「逸脱」ではありますが、それ自体は罪にはなりません。同性同士の実際の「性行為」が罪となります。
・同性愛の傾向は、それを経験する人にとっては大きな試練であり、苦しみを伴うものです。十字架です。彼らを不当に差別したりすることはあってはなりません。同情と思いやりの心をもって迎え入れるべきです。十字架は復活へとつながる道です。自分が抱える困難を、キリストの十字架と結び合わせれば、それは大きな実りを生み出します。
・「貞潔(ていけつ=心と体を清く保つこと)の美徳を実践することは、すべての信者に求められています。同性愛的な傾向を持っている人々も、これに呼ばれています。自分の感情に流されるのではなく、それを自分でうまく制することができるようになれば、わたしたちは心の自由を得ることができます。
・友人の献身的な助け、祈りや秘跡の恵みによって、わたしたちは少しずつではあっても、確実にキリスト教的完全さに近づくことができます。これは神からの呼びかけであり、わたしたちに求められていることです。
出典:『カトリック教会のカテキズム』, カトリック中央協議会, 日本カトリック司教協議会 教理委員会 (著, 監修), 日本カトリック司教協議会教理委員会 (翻訳), 2007.