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『今日にかぎって』──物語が絵本になるまで
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作/樺島ざくろ 絵/奥野哉子
こまり顔のこの少年。いったい何があったんでしょうか。
第40回 日産 童話と絵本のグランプリで童話大賞を受賞したのは、樺島ざくろさんの「今日にかぎって」です。
はじめて受賞作を拝読した際、1行目の「かぎがない!」にすでに共感した私(編集担当です)。その後も「わかる~」と思いながら読みすすめ、読みおわるころには、それからの絵本制作がすっかり楽しみになっていました。
テンポの良い文章と、心の動きを絶妙にとらえたストーリーが魅力の樺島さん。どのようにして今回の受賞作品がうまれ、絵本になったのか、おはなしを伺いました。
樺島ざくろ
東京女子大学現代文化学部コミュニケーション学科卒業。第39回日産童話と絵本のグランプリ佳作、第40回大賞受賞。東京都練馬区在住。3児の母。
奥野哉子
大阪生まれ。ドイツのアラヌス大学芸術学部絵画科卒業。第26回、第27回、第31回、第32回日産 童話と絵本のグランプリ優秀賞を受賞。第35回 講談社絵本新人賞佳作受賞。絵本に『ながみちくんがわからない』(作/数井美治)がある。大阪在住。
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遊びにきた遠くの公園で、自転車のかぎをなくしたことに気がついたぼく。今日にかぎって一緒に遊んでたウッチーは先に帰ってしまったし、今日にかぎってケータイを充電したまま家にわすれてきた。仕方がないから、自転車を運んで帰ることにしたけれど、そこに現れたのは、苦手なクラスメイトの松田くん。一緒に自転車を運んでくれると言って、歩き出した。松田くんの案内で着いた先は、またまた苦手な山本くんの家! すると……。
今日にかぎって起こる、ちょっとした出来事が重なって、いつもとちょっとちがう今日になる。読後感さわやかな作品です。
『今日にかぎって』ができるまで──樺島ざくろ
-1- 応募作品ができるまで
前年に、第39回 日産 童話と絵本のグランプリにて佳作をいただきました。「サワタリくんのパンツ」という作品です。
10月末の締め切りが迫るなか、なかなか応募作が書けずあきらめかけていたときに、修学旅行帰りの息子のかばんから知らないパンツが出てきまして(笑)。それをヒントに、あわてて数日で書き上げた作品でした。
表彰式会場は大阪府立中央図書館。
東京から行くことを考えるとちょっと迷いましたが、思い切って行ってまいりました。
結果としてこれが良かったように思います。運命の分岐点のようなものがあるとするなら、ここだったのかもしれません。
審査員の先生方のお話が、まずとても勉強になりました。
厳しくも美しい、書き続ける覚悟について話してくださった富安陽子先生。
うまい絵でなくいい絵を描きましょうという高畠純先生のお言葉。
黒井健先生は、佳作作品には作り手に若干のあいまいさ・歯切れの悪さがあったのではないか? とおっしゃっていました。
そして、佳作受賞者が「なぜあと一歩賞金に届かなかったのか」という、いちばん聞きたかったことをお話しくださった吉橋道夫先生。
私たちと優秀賞以上の方々との違いとして先生がおっしゃったのは、自分だけの視点があるか、ということでした。
また私への講評として「友だちへの思いやりを通して主人公の成長が見られる点が良かった」というお言葉をいただきました。
びっくりしました。狙ってやったわけではなかったからです。
優秀賞以上の皆さんは壇上に上がります。キラキラしていました。
いいなあ、うらやましい! そして悔しい。
悔しいって、思いました。
短い時間であわてて作品を出してしまって悔しい。もっと推敲していればもしかして。全力を出し切っていない自分の甘さ・不甲斐なさが、悔しかったのです。
ああ、もっとうまくなりたい。もっとおもしろいものが書きたい。書けるようになりたい。そして来年は壇上に上がりたい。上がろう!
きっちりと悔しさを持ち帰ることができたのが良かったなぁと思っています。
今回はバットを振ったらたまたま当たったけれど、きっとそれじゃだめなんだ。狙って打てるようにならないと。なりたい!
この日から、ほんとうに毎日、私は吉橋先生の言葉を思い出していました。
自分だけの視点。主人公の成長。このふたつを含む物語を書こうと決めました。
でも自分だけの視点ってなんでしょう? 奇抜なアイデア? 誰も見たことがないような設定?
たぶんそうじゃない。もっと、ふつうのことの中にある小さな光とか、そういうものに気づくってことじゃないのかな?
正解はわかりません。でも、あたりまえの中で見つけたささやかな宝物みたいな話が書きたいな。そう思いました。
とはいえ、するするとお話が生まれたわけではありません。ああでもないこうでもないと悩みながら、私は4つの話を書きました。
受賞した「今日にかぎって」は、そのなかのひとつ。2023年の8月後半に思いついた作品です。
「主人公の成長」というキーワードから、ロードムービーっぽいものを書きたいと思いました。旅を通して自分を発見する物語です。
そういえば息子が小学5年生のとき、塾帰りに電車を間違えて、ひとりで終点まで行ってしまったことがありましたっけ。
その日にかぎって携帯もお財布も忘れていて、それでも勇気を出して人に聞いたり、心細さから涙ぐんだりしながらも、どうにかこうにか帰宅しました。
ほんの2時間程度の出来事。けれどもあれは、息子にとって小さくて大きな冒険だったのだろうな。
そうだ、あのことを書こう。
舞台は、練馬区にある光が丘団地をイメージしました。長女が小学生の頃に、団地の友だちの家に行った際の言葉を思い出したのです。
「団地って同じ建物がたくさんあって同じドアがずうっと続いてて、なんだか吸い込まれそうで不気味でこわい。でもこわいけど、そこがすっごくおもしろい!」
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ちょっとこわいけど魅力的な団地。
心細い出来事を乗り越える主人公。
数時間の小さくて大きな冒険。
そんな断片を何度もこねくり回して、「今日にかぎって」は生まれました。
9月に初稿を書き上げ、しばらく寝かせてから推敲し、送信ボタンを押して応募したのは10月半ばのことでした。
-2- 受賞と責任
受賞のお電話をいただいたときは、足が震えました。
大賞? え、大賞?? ほんとうに?
なん度も聞き返させていただきました。信じられなくて。電話を切ったあと、しばらく泣きましたね…。
うわー! 私、受賞したんだ!
今回は全力を出した手応えがあり、そのうえでの受賞です。嬉しかったですねえ。しばらく無重力状態で、ふわふわした毎日を過ごしました。なにをやっても、ふふふと笑顔がこぼれます。
日産 童話と絵本のグランプリでは、大賞をとると本が出版され、全国の図書館に寄贈されます。
図書館。小さなころから大好きだった大事な場所。そこに本が置かれるなんて。
なんて光栄なんだろう! ふわふわした気持ちのまま、むじゃきにそう思いました。たくさんの子が手に取って、楽しんでくれるといいなぁ。
けれどある夜中、目を覚ました私は、文字通り飛び起きました。図書館に本を置くということが、急に重大なことに思えたからです。
流行や売れる本という本屋さんにおける大人の基準とは違い、図書館で本は静かにずっと出番を待っています。
子どもたちはたくさんの本の中から、どうやって1冊を選ぶのでしたっけ?
自分を思い出してみると、直感、じゃないでしょうか。タイトルや表紙や、本が放つ雰囲気から、今の自分にぴったりの本を選んでいたように思います。果たして、この本を手に取ってくれた子は、ほんとうに楽しんでくれるのだろうか? その子の時間を、私の話は明るいなにかで彩ることができるのだろうか?
そう思ったら、無重力で浮ついていた私の気持ちは急激に重力を帯び、逆に地面にめり込むほどでした。感じたことのない重さと緊張。それは初めて私に芽生えた、作家の責任みたいなものだったんじゃないかと思います。
受賞することをゴールに書いてきた私の作品。これを、どうやったらもっと子どもの心に響くようにできるのだろう?
わからないけれど、いい作品にしたい。しなくっちゃ。強く思いました。
-3- 『今日にかぎって』ができるまで
12月の出版に向けて、改稿作業が始まりました。
原稿用紙10枚の童話として応募した「今日にかぎって」ですが、全ページにカラーの絵が付き、絵本として出版されます。
3月9日の表彰式後の打ち合わせに続き、はじめに行ったのは、登場人物のイメージのすり合わせでした。
「今日にかぎって」の登場人物は4人。
この4人の背の高さや髪型などの身体的なイメージのほか、服装や持ち物、家庭環境、性格・特徴、趣味など、思いついたことを人物表に書き出しました。
ほんとうのところ、私はそこまで具体的に考えて作品を作ってはいませんでした。けれど書き出してみると、自分が生み出したはずの登場人物の知らなかった面にハッとし、奥行きを感じました。
そうか。頭の中から飛び出したこの子たちは、お話に出てこない部分でもちゃんと生きて生活しているんだ。
登場人物を生み出すということは、一部とはいえ、その子たちの人生を取り出して書くことなのだなぁ。新鮮な気づきでした。
また童話作品を絵本にするにあたって、見開きごとに本文を分割し、絵に合わせて文章を整えるという作業も経験しました。
ページをめくる楽しさ。場面が変わるおもしろさ。
子どもの小学校で何年も読み聞かせボランティアをしていたはずなのに、私はそれがどんなにすごいことなのか、あまり意識したことがありませんでした。
あの、次のページへ向かうワクワク感はあたりまえなんかじゃなくて、楽しませよう、おもしろがらせようとする素敵な工夫の積み重ねだったんだ!
これも大きな発見でした。
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完成した絵本とは台割がちがっている
6月に、うめはらまんなさんの銅版画の個展にうかがったことも、貴重な経験です。うめはらさんは第39回の絵本大賞を受賞され『なんかひとりおおくない?』を出版された方です。
個展では、応募原画と実際に絵本になった原画が並べて比較展示されていて、とても勉強になりました。大幅な変更の跡が見られましたが、作品が良いものになるためならいくらでも直そうと思ったと明るく話してくださいました。
「私は、改稿作業が楽しくて。終わって手を離れてしまうのが淋しかったくらい。ざくろさんもこの半年が良い半年になりますように」
そう激励していただき、勇気をもらいました。
私も、手にとってくれる子どもたちに少しでも届くように、できることはなんでもやりたい。覚悟が決まりました。
その後はいただいたラフ画を見ながら、絵に合わせて文章の修正を重ねました。何度も推敲して応募したはずの作品でしたが、いえいえとんでもない!
絵で説明できるところは文章をカットしたり、表現を言い換えたり。大小たくさんの見直しをしました。
この修正のチャンスがあってほんとうに良かったと思っています。受賞を目指して書いた応募作品を、読者を意識して書き直す経験をさせてもらいました。
少しでも読みやすく。少しでも読む人の心に届きますように。
同じ思いで最後まで一緒に走ってくださった、BL出版の杉本さんには心から感謝しております。
約9ヶ月間の素敵なマラソン。終わってしまうのが、私も惜しくて淋しかったです。
絵を担当してくださったのは、奥野哉子さん。
団地が舞台となるこの作品で、この世で奥野さんにしか描けない魅力的な団地を描いてくださいました。
最高です! ありがとうございました。
私は、奥付けのゲラが上がってきたときのことが忘れられません。
そこに樺島ざくろと、私の名前がありました。
奥付けって、映画のエンドロールみたいだ。
そう思ったら涙が出てきて、夜中にひとりで泣きました。ほんとうなら、ここにもっともっとたくさんのお世話になった方々の名前が並ぶはずなのに。
私の名前が最初に来るという責任と、それから感謝。忘れたくないなと思いました。
私の頭の中にあった小さなお話は、こうして少しずつ変わり、形を得て完成しました。
『今日にかぎって』はもうすっかり私の手を離れて、今は本屋さんに並んでいます。なんだか子離れをしたような気持ちです。
新しいクラスになんとなくなじめず、クラスメイトのいない公園を選んで、いつも同じ友だちとばかり遊んでいた「ぼく」こと渡辺くん。
さあ、いってらっしゃい。
きみの小さな冒険が、どうかだれかの心に響きますように。
選んでくださり、関わってくださり、背中を押してくださった全ての方々。そして本を手にとってくださった皆さんに、心よりお礼を申し上げます。
絵について
樺島さんが大切に作りあげた物語は、こうして絵本になるべく育っていったんですね。一緒に制作ができて、当初思った通り、私もとても楽しく、わくわくした時間を過ごさせていただきました。
あとおひとり、本作で欠かせない絵をご担当くださった方がいます。樺島さんもご紹介くださった、奥野哉子さんです。
白場の使い方が絶妙で、あたたかみと独特の雰囲気がある絵が魅力。奥野さんの制作の様子も、少しご紹介したいと思います。
-人物-
まずご検討いただいたのは、登場人物です。樺島さんが丁寧に考えてくださった人物イメージと舞台設定をもとに、ご検討いただきました。
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身長や体格、色や持ちものなど、樺島さんのイメージをもとに練っていきます。「ぼく」は平均的な男の子、スポーツマンのふたりは肌が焼けてる、などなど……おふたりのイメージが合わさって、4人みんなが魅力的で特徴のある登場人物になりました。
-物語の世界を絵にする-
「おはなしに絵をつけるって難しいです」とおっしゃっていた奥野さん。私もハッとさせられるような視点で、深くおはなしを読みこんでくださっていました。
今回は、帰り道が舞台の作品。同じような構図、同じような風景、同じような雰囲気の絵が続かないようにしなければいけません。奥野さんともたくさん打ち合わせを重ね、たくさんのイメージを描いていただきました。回想シーンも多いなか、読者が混乱することのないよう、奥野さんがわかりやすく、なおかつ単調にならないように表現してくださいました。
本文で最後まで悩んだのは、「今日にかぎって」が並ぶこのシーンです。
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おはなしのイメージと離れすぎず、でも文章そのままの絵にならないように、奥野さんとイメージをすり合わせつつ何度もご検討いただきました。
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これはラフの一部です。ラフ②までは、「ぼく」の心情と帰り道を迷路のように表現してくださっていました。でも、ほかのページとの兼ね合いもありイメージを変更することに……5回以上のラフを重ね、初期のラフから絵本まで、モチーフは残しつつ大きくイメージや台割が変わり、「ぼく」の混乱や焦りが伝わってくるページになりました。
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-表紙-
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印象的なこの表紙。案が決まったのは、本文の絵が決まったあと、いちばん最後でした。なかなか良い案が浮かばなかったところ、奥野さんがご提案くださいました。
おはなしにぴったりのモチーフのかぎも、奥野さんのアイディア。私もお気に入りです。「ぼく」はゲームが好きなので、それでサイコロのキーホルダーなのかな、と思いお伺いしたところ、「なんとなくです!」とのこと(笑)。こういった遊び心も楽しいですし、大切ですね。
この表紙と同じ表情の「ぼく」、実は本文にも出てくるんですよ。そのページからひらめいたようです。ぜひ、探してみてください。(記事を読んでくださった方はもうお気づきかもしれませんね。)
-アトリエ-
制作中、奥野さんのアトリエにも伺いました。絵画教室も開いておられる奥野さんのアトリエは、作品と自然がいっぱいで、とても素敵です。
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原画修正の様子なども拝見しました。
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なんと奥野さん、原画を描く際の下描きがありません。そのかわり、たくさん描いて、そのなかからこれと思われたものをご提出くださいます。
修正のときも、「こんなかんじかな」とイメージを決めて大胆に描かれていて、見ている私がドキドキワクワクしてしまいました。
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色鉛筆は、中学生のころにご両親からプレゼントされて以来の愛用品だそうです。
このたくさんの色たちから、物語を彩る絵が生まれるんですね。
『今日にかぎって』
こうして、童話「今日にかぎって」は絵本になりました。
たくさんの思いのつまった作品です。子どもたちだけでなく、大人の方にもお手に取って、読んでいただけたら嬉しいです。
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『今日にかぎって』
作/樺島ざくろ 絵/奥野哉子
定価 1,650円(10%税込)
BL出版