【ミリーのぼうしは ほんとうのぼうし? うそのぼうし?】 子どもたちの質問に答えて―
2009年の発売以来、子どもたちに大人気の『ミリーのすてきなぼうし』。国語の教科書(光村図書・小学2年生)にも掲載され、広く親しまれています。このお話を読んだ、北海道・紋別の小学校の2年生の子どもたちから、作者のきたむらさとしさんにこんな質問が寄せられました。
「ミリーのぼうしは、ほんとうのぼうしですか? うそのぼうしですか?」
きたむらさんは、どう答えたのでしょうか――。
『ミリーのすてきなぼうし』を読んで、感想文を書いてくださって、ありがとうございます。とてもおもしろく読みました。
それからぼくの書いた、ほかの絵本もよんでくださって、ありがとうございます。とてもうれしかったです。
さて、みなさんは、ミリーのぼうしが、ほんとなのか、うそなのか、クラスで話しあったのですね。さて、どちらでしょう?
じつは、このお話を書いたぼくにも、すぐには答えられません。
でも、みなさんからきたしつもんに答えたいと思ったし、どう答えたらいいのか、考えてみました。
―では さいしょに、もし、ミリーのぼうしが、うそのぼうしだったとしたら、どうでしょう。
ぼうしやの店長さんは、はこのふたをとって、「これは、とくべつな ぼうしです」と言いました。
なぜ「これは、うそのぼうしです」と言わなかったのでしょうか?
ミリーは空っぽのおさいふから、ぼうしのだいきんをはらいました。それはうそのお金でしょうか。うそのお金だとしたら、どうして、ぼうしやさんは、そのお金をうけとったのでしょうか?
家に帰ってきて「ママ、わたしの あたらしい ぼうし、みて!」と言ったミリーに、おかあさんは、「ママも そんな ぼうし、ほしいな」と言いました。
どうして、「ぼうし? そんなもの、見えないわよ」とか、「ママも、そんなうそのぼうしが、ほしいな」と言わなかったのでしょうか。
では、こんどは、もし、ミリーのぼうしが、ほんとうのぼうしだったら、どうでしょう。
ほんとうのぼうしが、いきなりクジャクのぼうしになったり、ケーキのぼうしになったり、ふんすいのぼうしになるなんて、ありえませんよね。
目に見えてさわれるような、ほんとうのぼうしだったら、形をかえようと思ったら、つばを上げたり、下げたり、リボンやピンを、つけたり、はずしてみたりして形をかえるくらいしか、できません。
どんなものにも形をかえられるぼうしなんて、見たことありません。
さてさて、ミリーのぼうしは、ほんとのぼうしなのか、うそのぼうしなのか、なんだかよくわからなくなってきました・・・。
ここで、このお話の文章をもういちど、読んでみてください。
ぼうしやさんの店長さんは、「おおきさも かたちも いろも じゆうじざい。おきゃくさまの そうぞうしだいで どんな ぼうしにもなる、すばらしい ぼうしです」と言いました。
このなかに「そうぞう」ということばが出てきます。
「そうぞう」というのは、漢字で書くと「想像」とか「創造」と書きます。
「そうぞう」というのは、頭のなかでいろんなことを考えたり、思いえがいたりすることなのです。そしてときには、それを、みんなが見えるようなものに作ってみたりすることです。
では、ここに書いてあるとおり、ミリーのぼうしは、そうぞうのぼうしなんだとしたら、どうでしょう。
ミリーのぼうしは、ミリーが「そうぞう」したことや、考えたことが、形になるぼうしなのです。
だから、「こんなぼうしがいいな」とミリーが思うと、すぐに頭の上にそんなぼうしができてしまいます。
店長さんは、目には見えないけれど、「そうぞう」すればどんなぼうしにもなるぼうしを「そうぞう」して、ミリーの頭にのせました。
ミリーは、ぼうしやさんがかぶせてくれたそんなぼうしを、「いいな」と思ったから、「そうぞう」のお金で、ぼうしのだい金をはらいました。
店長さんも「そうぞう」のお金をうけとりました。
そうぞうのぼうしなら、クジャクになったり、ケーキになったり、ふんすいになったりするのも、じゆうじざいですよね。だって、それを考えて「そうぞう」するだけでいいのですから。
そうぞうのぼうしだから、ミリーのぼうしから、おばあさんのぼうしへ、鳥や魚がとびうつることもできるし、歌をうたうことだってできるのです。
おかあさんが、「まあ、すてきね」と言ったのは、おかあさんは、ミリーがかぶっているのは、そうぞうのぼうしだということが、わかったからです。
みなさんが、このお話がほんとうなのか、うそなのか、考えたのは、とてもだいじなことだと、ぼくは思います。
お話って、よくうそみたいなことが書いてありますよね。
みなさんは、「アリババと40人のとうぞく」というお話を知っていますか?
これはおおむかしに作られた話です。その中に「ひらけゴマ!」とさけぶと、どうくつの大きな岩のとびらが動くということが出てきます。このじだいには、モーターも自動ドアもありませんでした。そう思うと、このとびらは、うそのとびらかもしれません。
ではどうして、お話を書く人は、こんな、うそのようなことを、書くのでしょうか。
―それは、「ほんとうのこと」が言いたいからです。
うそを書いて、ほんとうのことを言うなんて、へんだと思いましたか?
では、ここでもういちど『ミリーのすてきなぼうし』のお話のことを考えてみましょう。
ミリーはお金がなかったので、ぼうしが買えませんでした。
ぼうしやさんの店長さんは、がっかりしたミリーを、たのしい気持ちにさせてあげたくなりました。さあ、どうしようと考えながら、てんじょうを見つめているうちに、あっ、そうだ、そうぞうのぼうしがいい、そうぞうのぼうしだったら、ほんもののお金を持っていない、このお客さんにぴったりだ、と思ったのです。そしてミリーのあたまに、そんなそうぞうのぼうしをかぶせてあげました。
このぼうしやさんの、ミリーにたいする気持ちは、うそではありません。「ほんとうの気持ち」です。
くらくてさびしい水たまりのぼうしをかぶったおばあさんが、ミリーからにっこりとあいさつをされて、なんだかたのしくなったのも、おばあさんの、「ほんとうの気持ち」です。
ミリーのおかあさんが、ミリーの見えないぼうしを見て、「ママも、そんなぼうし、ほしいな」と言ったのも、おかあさんの「ほんとうの気持ち」です。
物語を書く人は、読む人たちに、ほんとうのことや、だいじなことをつたえたくて、物語をつくります。
そんなとき、ときには、うそのような話にしたほうが、「ほんとうのこと」がうまくつたえられることがあるのです。
物語とかお話って、そんなふしぎなものなのです。