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子供の頃の味
あるとき突然思い立った。
あの店に行きたい。
小学生から大阪自然教室というものに参加していた。ここに関してはものすごくたくさんの話がありすぎて、それを書くとお店の話にたどり着かないので割愛する。興味のある人は検索してみてほしい。
他になかなかないような野外活動をする特殊なサークルの事務所は大阪駅から徒歩でもたどり着く中崎町駅前の(当時から)古い雑居ビルの3階にあった。
週に一度、木曜だったか事務所に運営者とボランティアや子どもたちの有志が集い、なんだかんだしていた。
そんなときには、このサクラビルの一階にあったいかにも街の中華屋さんでラーメンを食べさせてもらったりしていた。
親と離れて食べる外食は、子供には刺激的だったし、特別なもの。
その一階の中華屋は、その教室に一緒に参加していた同い年の女の子の家族がやっていた。
その子は(確かサイトウさんといっていたのではないか。記憶はあやふやだ)家族のお店を心から誇りにしていたと思う。
白く透き通ったスープ、モヤシがたくさん入ったラーメンは、子供の自分には本当に特別なもので、ずっと忘れられなかった。
調べたら、今もあった。
行こう。
三十数年ぶりでも、場所は覚えている。
すぐそこにあった。
ドアを開けて、言葉を失った。
年月分の時間を経ていたが、記憶の通りそのままで、そして思っていたよりずっと狭く小さかった。
店は変わっていない、自分が大きくなっただけだ。
ご高齢のお店のお二人は、まぎれもなく子供の頃に見た二人だった。息が詰まる。
あの頃は頼んでなかった、瓶ビールからチャーハン、唐揚げ、そして必ず頼んでいたラーメンを。
美化するような加味もなく、全くそのままだった。街の中華屋の、おやつのような味わい。
胸がつまり息が苦しかった。
あれから三十数年、時間が迫ってくるようだ。
全く知らないお店として初めて入ったとしても、かなり好みといえるが、もはやそんなふうには感じられない。
来る前には、店を去る前に昔来た事と娘さんと同い年でよく上に来ていたことを伝えようと思っていた。しかし、出来なかった。なぜか。
また何度か来て、顔を覚えてもらってからでも遅くはない。僕にもこれまでの時間があったように、この店やあの子達にも、長い時間があったはずだから。
ラーメンは350円だった。
あの頃とほとんど変わってないのではないかと思う。あれから数多くのことがあり何もかもが変わっても、ほとんど変わらないようなこともある。
その距離感、パースペクティブ、時空の合わなさが、お互いの時間の際立たせ、今を思わせる。
こうして僕のこの夏も終わろうとしている