火と花の私
「その綺麗な言葉はきっとお母さん譲りでしょう」
師に言われ、私はずっとモヤモヤしていました。
恵まれたことに、私には「書く」才能があると仰ってくださる方が少なからずいます。私はずっと本を読んでいる子供でしたし、創作の真似事も小さい頃からしていました。そして幸いなことに文系であったために、「書くことをしたいんです」と名乗れる程度には文才があるのだと(自分で言ってて恥ずかしいですが)思っていました。
師に「言葉がお母さん譲り」と言われた時、私はすごく納得がいきませんでした。
母は生まれた土地で育ち結婚し娘を産んだ、いわゆる箱入り娘的な一面のあるお嬢様です。接客の必要な仕事をしていることもあり言葉も身のこなしも丁寧で、クラスメイトからも羨ましがられる優しいお母さん。家事も仕事もできる美人の母を、私は自慢に思っていました。
しかし、私が成長していくにつれて、母に対して不満に思うことも増えてきました。
箱入り娘で少し見栄っ張りな部分もある母は、強制はしないものの「こうであるべき」という自論を容赦なく私に刷り込もうとすることがありました。私が広い世界を知るほど、将来について真剣に考えるほど、母の頭の固さに反発するようになったのです。
また、母は…こう言ってはアレですが……語彙力や読解力が皆無なのです。
常識的なことはきちんとしているのですが、私の言いたいことがなかなか伝わらなかったり、伝えても的外れな感想を言われることも多く、むしゃくしゃとした気持ちになることがありました。
そんな母が私の言葉を作っているだなんて、正直あまり考えたくなかったのです。
私は、自分の言葉が父譲りだと思い込んでいました。
父は考古学者になりたいと思っていたこともある生粋の文系で、常に本やネットから新しい知識を吸収しています。政治も経済も歴史も父に聞けば大体のことがわかる…そんな人です。
ただ、短気で思ったことをその場で言ってしまうタイプで、私は何度も父の鋭い言葉に泣かされてきました。私もカッとなるとすぐ口が動くことが多く、不本意ながらよく血の繋がりを実感しています。
ところで、私は学校で神話を学ぶ中である概念に興味を持ちました。それは火の存在です。
火とは人間の技術進歩の象徴であると共に、コントロールできないと危険にもなりうる力の象徴でもあります。日本神話では国を産んだ女性イザナミが、神であるにも関わらず火の神を産んだことにより火傷で亡くなっています。またギリシャ神話でも神々は人間に万能な火を与えるべきではないと考えていました。
ふと私は、父が火のような人だと思ったのです。
多くの知識や語彙は確かに父の人生を明るくしていますが、その力が強いが故に制御できなくなったとき私や母は傷つくこともありました。そしてその火をきっと私も受け継いでいるのでしょう。
では、私は母から何をもらったのでしょうか。
母の細やかな気配りはその繊細さにあります。私の悩みをじっくり消化し導き出してくれた答えは抽象的であっても助けになりました。また父があまり衣食住にこだわらない反面、母は五感が良く匂いの変化によく気づきます。音楽や料理が好きで、「次の人生があるなら調理師になりたい」という母の発言は私が思っていたことでもあり、思わず笑ってしまいました。
風を受け、水を受け、それらのひとつひとつに揺れながら根を張っている。きっとその姿は無垢で潔癖で真っ白で。
そうか。
私は母から花をもらったんだ。
繊細なアンテナを張って、一方的に受けるしかない自然の力を敏感に察知している。その場で生きるための手段は選り好みせず吸収し、明日も嬉しそうに光を浴びて。
「その綺麗な言葉はきっとお母さん譲りでしょう」
私は花として感じたことを火として出力しているのだと思います。
物書きとしても、確かに私には父の血も母の血も流れていました。