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秀吉ゆかりの諫鼓踊は、「勝間」の地名から始まった! 周南市熊毛神社の秋季例祭

周南市呼坂にある熊毛くまげ神社は、もともと「勝間かつま八幡宮」と呼ばれていました。
この熊毛神社で7年に一度奉納されるのが、周南市無形文化財の諫鼓踊かんこおどりです。

2024年(令和6年)10月13日、秋季例祭が行われた熊毛神社に諫鼓踊を見に出かけてきました!


「勝間」の地名を気に入った秀吉

熊毛神社の鳥居

旧熊毛郡熊毛町(現在は周南市)の勝間地区にある「熊毛神社」は、かつては「勝間八幡宮」と呼ばれていました。

安土桃山時代。
朝鮮出兵で博多に向かう途中の豊臣秀吉が、当地に宿泊しました。
勝間かつま」という地名を聞いた秀吉は、喜びます。

「韓を攻める途中に勝間とは、吉瑞である」と言って、熊毛神社に戦勝を祈願したのです。

拝殿前で奉納されます

大坂への帰路に再び勝間を訪れた秀吉は、御礼言上に神社に参拝し、太刀や神馬とともに諫鼓踊と名付けた踊りを奉納したのです。

諫鼓踊とは?

「勝間諫鼓踊保存会」の幟

山口県無形民俗文化財に指定される諫鼓踊は、「勝間諫鼓踊保存会」の方々によって伝えられています。

中世の田楽に起源を持つともいわれているこの踊り。
歌を伴わず太鼓とかねの音で踊られ、拍子木とほら貝の音が合図となりリズムが変わります。

踊りに団扇と棒を加えるのが特色です

また、室町時代に山口を治めていた大内義隆が、家臣の陶晴賢に滅ぼされた時の様子を模したとも伝わっています。

豊臣秀吉のエピソードといい、歴史好きにはロマンを感じさせる伝統芸能です!

小学生が演じる12人の踊り子

鉦を鳴らしながら踊る小学生

地元の勝間小学校の児童12名によって演じられるのが、踊り子です。
中央に牡丹の花をつけた桜の小花を飾った花笠を被り、手には鉦を持っています。

色鮮やかな衣装も特徴

背中には、黄色、赤、水色の3色の旗を一人ずつ差し、「ひもろぎ」をかたどったといわれる腰輪をつけています。
「ひもろぎ」とは、神事を行う際に臨時に神様を迎える依り代よりしろです。
まさに奉納の踊りですね。

12人で一斉に鳴らすタイミングを合わせた鉦の音は、秋の空気に澄んだ音色を響かせていました。

2人の中学生が演じる音頭鶏どうとり

バチ捌き、お見事!

太鼓を鳴らし音頭を取るのは、熊毛中学校生徒2名による音頭鶏どうとりです。
音頭鶏の衣装は、花笠の牡丹の上に剥製の鶏を乗せています。

「諫鼓踊」の「諫鼓」の意味がわからず調べてみました。

「諫鼓」とは昔の中国で君主に対して諫言しようとする民衆に打たせるために設けられた太鼓のことで、「鶏」は鶏鳴によって君主に善政を促し、人々を警醒する想像上の鶏である。

東京都神社庁サイト「諫鼓鶏」より

笠の上に飾られた鶏にも意味があるのですね。

さらに山口県が公開している諫鼓踊の情報では、下記の内容が書かれていました。

鶏の中、1羽は口を開けており、1羽は口をつむいでいる。これは踊の中に闘鶏の場面があり、口を開けた方が負けた姿を表現する。

山口県の文化財

踊りの最中に頭上の鶏を観察しましたが、見分けられませんでした。

体を傾けながら太鼓を打つ中学生

太鼓は、打ち手や打ち方により音色が変化する楽器です。
一定の音程を奏でる鉦の音に、軽やかさを与えているのが太鼓の音色。
歌がない諫鼓踊では、太鼓はアクセントの役割を果たしているといえるでしょう。

大人はひじりと僧

足捌きに年季を感じました!

踊りの輪の中央に紫の衣装を着て立っているのが、僧の姿の「勝間諫鼓踊保存会」会長の阪本さんです。
ほら貝が鳴り音頭が変わるタイミングを「せーの!」と踊り子たちに指示しています。

聖の2人は、歌がない諫鼓踊の中で唯一声を出す役でもあります。
最初は鉦と太鼓の音だけだった踊りに、「えい! やー!」「ほい! やー!」の掛け声がかかりだすと、諫鼓踊もクライマックスに近づいてきます。

最初は円形の踊り手が、終盤には二手に分かれ横一列へ。
聖の2人は中央で、戦いをしているように交差し合う動作を繰り返します。

掛け合いの様子

踊り子たちも聖の「寄れ」「開け」の掛け声に合わせて、列の幅を変えます。
このパートが闘鶏を模したシーンなのでしょう。

7年に一度の大役、踊り子集め

奉納前の記念撮影

「勝間諫鼓踊保存会」では、今回の奉納に合わせてInstagramを開設し情報を発信しておられます。
奉納にお伺いする前に会長の阪本直樹さんに、DMでお話しを聞きました。

実は、諫鼓踊は勝間地区の長男だけで伝承されてきたという情報を事前に得ていたのです。
けれども最近の様子を拝見すると、踊り子には女の子もいます。

「25年くらい前から、兄弟・女子も参加するようになりました。保存会のメンバーが、年齢の合うお子さんに声をかけて踊り子を集めています」

「寄れ」の掛け声で近づく、二列になった踊り子

7年に一度の奉納のため、今回参加した小学生たちが再び踊り子として参加することはできません。

「毎回、踊り子集めが一番の課題です」と阪本さん。

「今回の音頭鶏の中学生の一人は、7年前に踊り子として参加していました。次回は音頭鶏をお願いしたいと、その時から声をかけていたのです。大人の参加者8人のうち7人は、過去に何かしらの役で出演しています」

ほら貝を担当された皆様

奉納が始まる前に、境内に来られていた地元の女性に声をかけてみました。
お孫さんが踊り子として参加されるので、見に来られたとのこと。

「保存会の方からお願いしますと声をかけられたと聞いています。孫の兄弟も参加していたのですよ。今回の孫が最後の踊り子です」

7年に一度の奉納を伝承するためには、地域の方々の地道な努力の積み重ねがあります。

6月から25回、積み重ねた練習

Instagramを見ると、6月からスタートした練習の様子がわかります。
奉納の前日までに25回の練習を重ねてきたと、当日の挨拶でも紹介されていました。

記念撮影のため拝殿前に集まる踊り子の姿を見た時、あることに気づきます。
小学生の踊り子の中には、草履に違和感を抱いているお子さんもいる様子です。

近くにいらした保存会の方に聞いてみました。

「草履を履く練習もしています。中には家に持って帰って練習し、自分で履けるようになった子もいますよ」

諫鼓踊は所作やリズムはシンプルですが、着慣れない衣装を着て慣れない動きをしなければなりません。
ライフスタイルが変わる中で、大人から子どもまで一堂に集まる練習を繰り返す日々は大変だったと思います。

Instagramには、練習の合間の様子や終わってからのお楽しみの時間など、みなさん楽しみながら過ごされる姿が発信されています。

諫鼓踊を未来へ伝えるために!

打ち合わせ中の保存会の方々

Instagramには、笠に桜の小花をつける保護者の姿が発信されていました。
境内でお話しをお聞きしたお祖母様も「やはり準備が大変だったと聞いています」と教えてくださいます。

7年に一度の奉納を伝えていくご苦労はないのか、阪本さんにもお聞きしました。

「14年前に文化庁補助金で踊りや道具、衣装の様式をDVDに保存しています。昔のように口伝ではないので、助かっています。しかし、奉納のない年に公演依頼があっても練習や道具類の確保、衣装の準備が大変で実際には難しいのが現状です」

言葉からは、地域が一体となって、さまざまな方法で諫鼓踊の伝統をつないでおられる様子が伺えます。

奉納が終わった直後の保存会の方々の様子

また7年後、勝間の地で諫鼓踊を見られる日を楽しみに神社を後にしました。

【熊毛神社の情報】

【Instagramにリールを投稿しています】


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