見出し画像

"FRED PERRY"いいなぁの話

・まず唐突にファッション自分語りをします

 ぼくは自他共に認めるイギリスかぶれの人間である。
 よく友人には「世界史やってないから(イギリス大好き♡なんて)言えるんだよ(笑)」と笑われたりもするが、イギリスへの憧憬心がぼくをロンドンへの留学へ駆り立てたと言えるし、そのかぶれ具合は僕自身のアイデンティティーとして「イギリスが好きな自分」とさえ表しても良いとすら思う。
 何故イギリス好きを自称するに至ったのかは色んな理由が挙げられるが、そのうちの一つとして「ファッション」がある。小太りで身体がオシャレじゃないぼくは、服の力を借りなければ格好良くならないのである。悲しい哉、それは年々拍車がかかっている問題なのだけど、まぁ仕方ないよね。食事も減らしてジムもたまに行くが良くて現状維持。まぁ仕方ない。
 そんなぼくは基本的に清潔感のある小綺麗な奴で在りたい。そうなると「トラッド」だとか「プレッピー」みたいな言葉が好みに当てはまるわけで、イギリスのブランドとかと相性がいい。ぼくの服装も元々はそっち系のかっちりめだったのだが、最近はもう少し崩した格好が楽なので好き。

 お気に入りのブランドを3つくらい挙げると、

画像1

MARGARET HOWELL
哲学から何まで無茶苦茶好き。でも高いからたまにしか買わぬ。


画像2

Folk
人に教えたくない度No.1のMy Fav。よく着てる。

そんな中で最近大好きになる機会があって気に入っているのが

画像3

FRED PERRY
である。

・女の子だったとしても同じようなの着たい

 この前Facebookに出てきて即保存したやつ。

画像4

可愛すぎじゃない?(服も女の子も)

これなんてまさにプレッピーなんですよ。スカートがズボンだったら全く同じ格好をしたい。なんならぼくが女の子だったらこれそっくりそのまま買う。
 ファッションの自論なんですけど、基本的に色は「3色まで」と思っているんです。靴も靴下も、なるべくカバン・小物含めてです。この写真は水色・紺・緑・黄色... 4色ですけど、実際は同系色で水色・緑(青緑)、水色・紺が2つにまとめられるじゃないですか?そこにポイント挿し色になっている黄色ですよ。最高ですよね。色の対応表が作れるようなコーディネートこそが「まとまりのあるコーデ」だと思います。靴は(黄色に近いので)茶色のローファーとか、外すなら黄色のハイカットコンバースでもいいような。
 ぼく妹が2人いるんですけど、2人ともMen/Women両方でコンセプトを共有するようなブランドはあんまり着ないので、深く服の話できないんですよね。「いいねそれ」止まり。あー、カップルで同じブランドのM/Wをそれぞれ着るの楽しいだろうなぁ。
 ちなみにこのコーデが最高すぎたので、この記事書こうと思いました。

・「いいなぁ」となった日

 FRED PERRYを大好きになった機会のことを備忘録をここに転記。

【5.25.2019】
 前夜に家族の間で相当面倒なことが起きたので、憂さ晴らしにオフの日のつもりで表参道へ買い物に出かけた。
 普段はプロジェクトミーティングでもない限り青山や表参道にはあまり行かないのだが、この日は丁度大好きなアパレルブランドのMARGARET HOWELLと、FRED PERRYがコラボを始めて少し経ったくらいの時で、「これは行くしかないな」と思い、初めてFRED PERRYの旗艦店へ行ったのだ。先週に当分のお金の工面がついていたので、覚悟が決まった。しかし、FRED PERRYの服は買ったことがなく、どんなものかと思い敢えてHOWELLではなくFRED PERRYに行ってみることにしたのだ。
 FRED PERRYの旗艦店を調べて見ると、ものすごい力の入れようで、トレードマークである月桂冠のオブジェテーブルや、マンチェスターのブリック&モルタルをイメージしたダークチョコレートの煉瓦造りであったり、タンノーイスピーカーとレコードであったり、すごいこだわりの感じられる店だったので楽しみにして行った。

 普段はなんだかんだで古着じゃない店の店員さんに対しては緊張するというか、身構えてしまう。自分もアパレルで働いた経験があるが、やはり店員の「店背負ってるぞ」感が威圧となって感じられてしまって、ブランドの店員はどうも苦手だ。身構えながらも店に入って、すぐにコラボのスペースを見つけ、見渡してみる。やはり一大コラボということもあり、種類の少なさの割に相当ゆったりとしたスペースが当てられていた。白と黒のアイテムしかないし、洗練さ加減と高級感がすごかった。値段は知っていたけれども。目当てのポロシャツとジャンパーをすぐさま見つけたが、「ぼくあるあるのサイズ問題」である、MかLか迷い所になる「あれ、これMでもいけるんじゃないか?」という問題に対処するため、近くの店員を探したが、店員はレジカウンターから全く動いていない。威圧感も嫌だが、接客に来られないのもそれはそれで嫌である。仕方なく「すみませーん、試着をしたいんですけども」と呼びに行くと、「はいはい!」と軽やかな足取りでコラボスペースに来てくれた。キャップを被り、ストリート系のお兄さん店員であった。

 試着をしたかったのだが、お兄さんは「ウチのよく買って頂いてます?」とか「MARGARET HOWELLお好きなんですか?」と聞いてくるものだから正直に「恥ずかしながらここのは買ったこともなくて持ってもないんですけど、MARGARET HOWELLは好きでロンドンにいた時も買いに行きました」と答えた。するとお兄さんも「ぼくもコラボするってことで半分仕事で神南の(MARGARET HOWELL)に行ってみたんですよ。『なんでウチとやることになったんですか?いいんですか?』って聞いて。そしたら、マーガレットは自分で試して気に入ったものしかやらないとか、ブランドに着られてしまうような服じゃなくて、その人の個性とか経験を引き出すような服を作ってるって聞いて。すごくぼくも共感するところがあったんです。」と会話が始まりながら、黒のLサイズのジャンパーが出て来た。姿見の前で着てみると、自分でも笑っちゃうくらいに最高の着心地で、お兄さんも「やっぱり肩がスッと落ちてる感じとかいいですね。MARGARET HOWELLですよ。」と言ってくれた。「ポロシャツも、肩のとこもそうですけど裾の○○ステップ(忘れた)も段になってて前が短いじゃないですか。これなんかもマーガレットのこだわりなんですよね。」と、月桂冠のエンブレムのついたコラボ商品を褒めちぎっていた。なんかこのお兄さんも最早ファンで、ファン同士が趣味に共感しあっている感じがたまらなく心地よかった。ジャンパーは目論見通りLで決まり。問題はポロシャツのサイズだったが、「大きいサイズは流行りだし、変な話売るの簡単なんですけど、お兄さんMでいってみて欲しいです」とのことで試着室でMとLを試した。やっぱりLのポロシャツは野暮ったい感じになってしまったが、Mサイズはデブい感じにならなかったのでMにした。

画像5

例の今よく着ている買ったコラボのやつ。

 いざ購入する時、お兄さんが「いやぁ楽しかったです。お兄さん瀧原さんですね!覚えました!また来てください。あと、ガンガン着倒して下さい!着て自分のものになると思うんで!」と気持ちの良いことを言ってくれた。あと、VICEというマガジンもくれた。2階部分から入ったので、1階部分に降りて見て回ってから退店することにした。するとお兄さんがついて来てくれただけでなく、「FRED PERRYの黒っていうのはスキンモッズの色で特別なんですよ。さっきのVICEの若者カルチャーとか大事にする理由なんですけど。」とか「ウエスト・ハム(東ロンドンの労働者チーム)のサポーターから頼まれて作ったシャツがあれなんですよ(チームカラーの臙脂と水色のポロシャツ)。」とか、ブランドのアイデンティティを濃密に語ってくれた。おまけにブランドの歴史がアイテムと共にまとめられたスタイルブックとこの東京店のコンセプトブックもくれた。
 面白かったのが、最後店先のローリエの樹から葉っぱを一枚ブチッと取って、「お客さん全員にはやらないんですけど、嗅いでみてください。次はちぎってこすって下さい。匂い強くなるでしょ?これがウチの匂いです。匂いって強く記憶に残るんですよ。」と教えてくれた。最後に「H原といいます。また来てください!」と言って、ぼくが消えるまで見送ってくれた。ここまでされたらFRED PERRYを好きにならざるを得ないなと思わされる経験だった。
 単にインプットされた知識を披露するだけではなくて、シェアしたいと思うお客さんとのインタラクションがあって、このような一連のproposingがあったんだろうなと考えさせられた。

・布から「服」になるためには

 今見返しても、ぼくは単にお金を払って服を買ったのだとは思えない。彼らのブランドを「分け与えられた」とか「譲り受けた」気がしている。そのくらい誇らしいやり取りであったと思う。その理由としては、もう買った服をただの服とは見なせなくなってしまったからだと思った。

 親友の中で「服なんてどれ着たっていいじゃん。なーに人の目気にしてんだよ。機能性の問題だろww」とか言ってくる古語で言えばすさまじき奴、現代語で言えば趣の無い奴というのがいる。これを書いている今ならそいつに言える。「お前の着ているものはただの布切れの集まりだ!!」と。
 言うなれば、哲学とか文脈とか物語のような、一種アニミズムのようなものを人は「こだわり」と総称するのではないかなと思う。例として適切かどうかは分からないけれども、出兵する兵隊さんの武運を祈った「千人針」はただの布ではない。人々の思いが詰まっているものとして大事に扱われただろう。民族衣装にもそのようなものがある。19世紀の中東国の生活を描いた『乙嫁語り』では、嫁入り道具として一族のシンボルなどを刺繍した布をたくさん持たせる場面がある。この刺繍布は後に自分達で家族の衣服をつくることを想定してのことである。

画像6

©森薫

 お知り合いの芸術家で刺繍で絵を描く人もいたりするが、服というのは、布の時点でもう人の思いや大事な意味を宿す「依り代」が、形を変えて身にまとえる存在になっているとも考えられるのではないか。

 正直、話を大きく広げ過ぎてどうしようもないのだが、ぼくはこのような哲学とか文脈とか思いのようなこだわりがこもったモノを好いてしまう傾向があるみたいだ。ぼくはそういう「服」をいつも着ていたい。人に聞かれたら喜んでその「服」にまつわる話をしたいのだ。

 そういう意味で、ぼくはFRED PERRYがとても好きです。というお話。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?