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 なんだかんだ、最近ぼくは色んなところに出入りし、色んな人々に出会うようになった。本当にありがたいことに。なので今あえて自戒の念を込めて記しておきたい。
 「職業に貴賤無し」と「全ての人生に敬意を」ということについて。自分語りのお時間です。


 小学生の頃、父親が旅行会社を潰して焼き鳥屋で働き始めた。物心ついた時から「歯を食いしばってやってやる」みたいな気合に溢れたとか、額に汗する姿は一度も見たことは無かったが、父が「旅行が好き」ということはなんとなく伝わっていた。だからある日、「パパは旅行の仕事しないのかな。またやって欲しいな。パパが焼き鳥焼いてんのちょっとかっこ悪い。」と母にこぼしてしまった。すると母は「どんな仕事してても、悪いことしてなくてちゃんとお金を稼ぐってみんなすごいことなのよ」と諭してくれた。その時は「ふうん。そうなんだ。」と思っただけだったが、徐々にそうなんだと納得した。ちなみに、今までの人生の中で、あの頃に父親の作ってくれたちょっと鉄っぽい味がする親子丼より美味しいと思ったものはない。


 また、生きていて歳を重ねれば重ねるほど、世の中は「もう自分には選べない道」だらけであることに気付く。もう甲子園は目指すことすらできないし、恐らく会社の新卒同期と肩を抱き合って励まし合いながら酒を飲むこともできない。大事にしたい祖父母は早くにみんないなくなった。習ってたピアノの練習もちゃんとやっておけばよかった。そんな風にできないこと・できなかったことだらけだ。だからこそ、他人の人生が全て「いいな」とか「すげえ」とか、自分に無いものだらけで面白く見える。なんなら女の子にもなってみたいと思う。きっと、ぼくが女だったら逆に思うはずだが。
 少し前に観た展示で、先天性四肢障害のある人のパフォーマンスや映像展示を見たことがある。「ちょっと質問いいですか」と聞くと、「おお!何でも聞いてください」と言うので、作品と全然関係ないけど「車イスにダイヤルロックのチェーンが積んであるのは?」と問うと「盗られたり、勝手に移動されたりするんで(恐らく、乗り降りしやすさも含めて駐車する場を考えている)」とのことだった。「一番面白かったのどれですか?」と聞かれたので、「公園の遊具をめっちゃ速く縦横無尽に遊びまわるやつがよかったです。ぼくにはもう無理なんで。」と答えたら「お目が高い」と言われた。やっぱり遊びまわってる時は爽快だったのだろう。いい顔してたし。そういう意味で彼は本当に面白かった。また会いたい。


 そういうことを踏まえて最近思うことは、「職業に貴賤無し」を分かって「全ての人生に敬意を」払うためには、そういうことのできない嫌な奴らと距離を取らないといけないこと。多くの人々と会うと絶対に「え、そういうことする?/言う?」って人にも会う機会が多くなる。でも一応、そんな人にも敬意を払いたいからこそ、なるべく関わりたくない。誰かの大事な家族かもしれない人を「嫌な奴だな」とは思いたくないので。
 恩師が言っていた「integrityがある人/ない人」っていう判断基準が必要なことがなんとなく分かる。ぼくがいわゆる、若手アントレプレナーの軽さがどうも苦手なのは、やっている仕事が立派とか以前に、一人の大人としての振舞いができてない奴も多いからだ。すぐマウンティングを取ってしまうような奴は、上記の敬意とは程遠いところで仕事の力量を推し量っている。そうではない。ビジネスも人と人の関係なのだ。「筋が通ってない」とか「義理人情」みたいな古めかしい言葉も一笑に付すことはできないのだ。
 もう一度言うが、ぼくは付き合ってて心がじんわり温かい人と付き合いたい。「そんなことする?/言う?」って冷や水ぶっかけるようなことする人とは距離を置きたい。

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