夏の風物詩
毎日40度近くまで上がる気温。
四季を感じるどころか、生命の危機を感じる毎日である。
昔は寒い冬は大嫌いで、夏の方がどちらかというと好きだなぁと思ってたけれど、
こんなに高温になった現代の夏は、
本当に風情も何もない。
ただただ、いかに生命の危機を回避するかということに日々の気持ちが向くばかりである。
まだ日本は良いのかもしれない。
海外では50度だなんて、人が生きている地球上のことだとは思えない。
外遊びは到底無理だろうから、せめて子どもには水遊びを、と思うも、
水遊びでさえも熱中症対策を!
なんて言われると、長い夏休み、どう過ごしていいのか親としては頭を抱えるばかりである。
庭の植木や植物たちは、朝にこれでもかとたっぷり水やりしようとも、
昼前にはからっからに干からびて、
部屋から見るともう葉っぱが力なく垂れ下がり、見るも無残な姿になっている。
こんなとき、外で"今"その命を燃やして生きている彼らはどうしているのだろうといつも思う。
...そう、一夏に全てをかける彼ら、
蝉である。
どんなに暑かろうと、例年と変わらず彼らは鳴いているように聞こえる。
それにしても、蝉の鳴き声はなんであんなに奥行きがあるんだろう。
サラウンド的な。4D的な。
目を閉じて聞くと尚更、その音の深みに気づかされる。
一匹であんなに立体的な空間をもたらす音を発することができるというのは
すごいと思った。
さらには大勢の蝉ともなると、
もうそれはオーケストラである。
早朝にランニングしていても、
頭の上からヘッドフォンをしているかのように、彼らの鳴き声が迫ってくる。
その声を聞くと暑苦しいけれども、
なんだか感動してしまうのである。
いや、むしろその夏の暑苦しさを素晴らしく演出してくれるエッセンスなのだろう。
しかし、この暑さ。
酷暑に彼らはどれだけ耐えられるのだろうか。
いつまで彼らの素晴らしい合奏を聞くことができるのか。
とうとう彼らが鳴かなくなり、静まり返って外出することもできぬほどに暑いだけの夏が来てしまうのだろうか。
なけなしのアタマを振り絞り、どうしたらいいか自分にできることを考えていかねばならないと思っている。