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【無料記事】清宮普美代・小山龍介対談|巫女を受け入れるALコーチの場づくり

アクションラーニングの日本における第一人者、清宮普美代さんに『イノベーションを生み出す「学び」ーアクションラーニングが導く創造の世界』というテーマでご講演いただきました。

この記事では、講演に続き、清宮さんからアクションラーニングを学んだ小山龍介との対談をお届けします。(文・山下悠希)

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「学習者の質問」が人に力を与える

小山龍介(以下、小山) アクションラーニングのキーとなるのは「質問」ですよね。どんな種類の質問が、「はっ」となりますか。

清宮普美代(以下、清宮) 種類より量の担保がキーなんですよね。質問する組織と質問しない組織があって、質問する組織のほうが結果として創造性が高いわけです。質問できる環境を作っていくのが第一段階です。逆に言うと、質問できなかったりする。

小山 でも、一方で詰問はだめという。

清宮 それがトレーニングの部分です。力を削ぐ質問じゃなくて力を与える質問は、質問する人のマインドセットなんですよね。マリリー・アダムスが「ジャッジャーズ質問=判断者の質問」と「ラーナーズクエッション=学習者の質問」というのを言っています。同じことを聞くのでも、何であなたはそんなだめなのという聞き方と、これどんないいことがあるのという聞き方があるんです。学習者の問いをつくれというのが第一にあります。

私はトレーニングするときに、「あなたは」と聞かないで「私たちは」という問いにしたほうがいいとよく言います。「私たちは」という問いにすると機能しやすいし、質問会議をするときのキーになると思うんです。でもジャッジが入っていると、問いには聞こえないので。

小山 責められている感じですよね。親が子どもに「なんでこんなことしたの」みたいなのが典型的なジャッジ。ジャッジが入っていない場合には、頭の中で内省します。

清宮 特に今の「なんでこんなことしたんだろう」というのは俯瞰(ふかん)する質問になるから、メタ認知というかダブルループの学習を促す問いになりやすい。そのためには、ルールを設定したりコーチがいたりということで、心理的安全が担保しやすい仕掛けになっています。質問会議をやるときに、心理的な安全が担保しやすい状況の中では、学習がくるくるって回る。だけど、担保できない状況の中では詰問会議になる。

15年続けてきた中では、やらされたメンバーが新任課長になって、今度はトレーニングに来たりするわけです。そうしたら、黒いやつと白いやつがあるんですよねと言われます。白というのは普通の質問会議なんだけど、黒いやつは、お前はなんでそれをやらなかったのかと、みんなに吊るし上げられて、私が悪かったですと言わされる。黒くなっちゃだめです。

メタ認知ができている人ほど「いい質問」ができる

清宮 支援するとか共感性を担保しながら、もう一つ視点を変える「いい質問」と言われているものがあります。いろんなフレームというかメタ認知ができている人ほど、いい質問がしやすい。

すごくおもしろいなと思うのは、1人でもメタ認知ができる人がいると連鎖していくんですよね。違う観点から問いを作る人が1人出てくると、メタで見ていない人たちも、そういう観点がだんだん使えるようになってきます。

小山 メタ認知ができる人は何が違うんですか。

清宮 それは、今ずっと考えているんですよ。最近出ている成人発達理論は、きっと成人の発達段階だと思います。発達段階が上がっていくにしたがってメタ認知力が上がっていったり、メタの範囲も広がっていったり。メタ認知がどんどんいくと、自と他が逆に一緒になっちゃったりするのかもしれないと思うんですよ。

小山 僕はお能をやっているんですが、お能の「離見の見」というのが、まさにメタ認知なんですね。自分を第三者の目で見るという。ある種、離見の見をどうやって身につけるかみたいなところが、伝統芸能においてもトレーニングのすごく大きな眼目になっているんです。

清宮 本当に安全な状態でほかの人の質問とほかの人の答えを聞いているのは、メタ認知になりやすい。要するに構造としてどういうふうに見えるのかみたいなことです。安全な状態で、自分の中から出てこない問いと答えを見ていると、それを吸収できるわけですよね。そうすると離見の見ということが、あの人の立場だったらそう見えるという認知がしやすいんじゃないかなと。

小山 視点が変わるわけですね、岡目八目じゃないですけど。まるで自分の分身が、質問している自分を見ているみたいな状態ができると、メタな認識になるということですよね。

清宮 そうすると組織開発的にも、チームで考えることやチーム学習ができている状態は、誰が質問したのか分からぬぐらいということです。質問したのが自分かほかの人か、分からない状態で、でも一緒に考えるというような。それと同時に、そこだけじゃなくていろんな視点。1人ずつのPCが繋がって、分散処理しながらも一つの何かをやっているみたいなイメージ。「チーム脳」みたいな状態になりやすい。

いい問いがあるといい場も作れるし、場がいいと、いい問いにもなる。そういうことでしかないような気がしますよね。

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コーチの「在り方」が場を豊かにする

小山 心理的安全もそうですが、場や関係性が豊かであれば、いろんな視点が出てくるし、場が貧弱だとみんな同じ視点で質問をする。それで言うと、場を豊かにする存在の人は。

清宮 それはコーチなんですよね。

小山 コーチの「在り方」みたいなものが場をつくるんだと思うんですよね。その在り方というのは、たとえばどんなものですか。

清宮 自分が正しいとか自分がジャッジするというのではなくて、いろんな構造が見えている。認知力でいうと、相当上な認知ができる。コーチの場づくりは、自分を使いながら、なおかつその場を担保して安全な状況で、みんなの質問の量を担保できることなどです。

私がアクションラーニングコーチをトレーニングしているときは、最初分からなかったことがだんだん分かってきて、みんなはこうだと自分なりの軸をつくってもらうというのが一つ目標なんです。

その軸を自分で、また振り返りでチューニングしていく。正しいと思った瞬間に、ちょっとまずい感じになるので、それ自体を俯瞰できるかどうかというメタメタ認知みたいなところを、ずっと続けてやっていってくださいねということでしかない。それが、「在り方」ということだと思うんですよ。

小山 基本的に伝統芸能の教育構造というのは、極めてメタ認知的な教育なんですよ。俺の言うとおりやれ、じゃないんですね。俺もこう教わってきて、こういう自分がいて、だからこうやって伝えるんだと。そういう構造の中に置くと、自分勝手な話にならないかなと思います。

清宮 それは私の感覚からすると、学習の仕方、learn how to learnを伝えているという感じに聞こえます。

アクションラーニングのこれからを考える

小山 そういう構造があるから、伝統芸能で学習が担保される。では、アクションラーニングのコーチはどうやって担保するのですか。

清宮 結局、対面で1人ずつ一生懸命育成することを、ずっとやっていたわけですが、「大丈夫だ」と言う人がいちばん危ないんです。むしろ、できている人ほど「まだまだです」と言うので大丈夫だと思うんです。このシステム自体が、そういう構造なんですよね。

社会がインフレを起こしている中で、人間の成長や発達度合いが高くないと機能しない社会になっています。そういう状態の中で1人ずつ育成するのもいいんだけど、もっと何かないかなと今思っているんです。

そこで、アクションラーニングは実態として体感もできるから、これを。構造化についてちゃんと言えるようにして、エッセンスをもうちょっと的確に捉えて。伝統芸能も、ちゃんと教えてくれるかというと、学ぶという姿勢のほうが強いんだと思うんですね。それが本質なんだけど。みんながアップしていくとか学習力を上げていかなきゃいけない時代に、何がキーなのか。アクションラーニングのシステム、構造の中で、メタ認知や問いについてひも解いて、分かりやすくしたいと思っています。

実際には6カ月ぐらいかけて育成していたのを、3カ月ぐらいとかどんどん短く。しかも100%のアクションラーニングコースだけじゃなくて、職場でここだけは機能するというのでもいいかなとも。本当は全人学的なので、いろいろあるんだけど、もっとやらないと、いろんな意味で間に合わないんじゃないかなと思っています。

アクションラーニングを捉え直して伝える

清宮 結局アクションラーニングって生涯学習だから、終わりがない。そういうコンセプトやそういうものだということ自体を伝えるためには、どうしたらいいでしょう。

小山 成人発達理論もすごくいいし、そういう理論を勉強していくとすごく学びはあるんです。けれども、過去をたどっていくと、ものすごくいろんな思想的なとか社会学的な背景がある中で、今ここにたどり着いている理論ということですよね。実は、昔の人が言っていたことの再発見的なところもあるわけです。

その中で理論の根拠をたどっていくというのが、僕はすごい重要だと思うんですよ。なぜこの質問が効果を発揮するのかについて、最新の理論で説明するという方法もあるんですけど、昔をたどって、いったいこれはどういうことなのかと。

清宮 それは新しい。

小山 縄文時代は戦争がなく争いもなく、なぜそうなったのか分からないんですけども、実際のところはわかりませんが、たとえば「実はそこで行われていたのはアクションラーニングであった」みたいなね。われわれはそういうことを連綿と、文化として受け継いできたんだみたいなこと、そういうふうに根拠をたどって腑に落ちるみたいな、それで自分の在り方が変わるみたいな方向もあるのかなと思います。

清宮 私の中では、すごく新しいです。というのは、アクションラーニング自体はオーセンティックな、割と当たり前のことなんですね。当たり前の話だから当たり前に聞こえちゃうんです。

私は、最新のって言われている感じのもので切っていくとどんなことなのかってことを、説明しようと思っていたんですよ。でも、小山さんがおっしゃっているように、昔を振り返って考えるのもおもしろいですね。

結局、アクションラーニングって実践処方でもあるから。一番最初の論文が1945年なので、もう七十何年ぐらいの歴史の中で、その都度その状況においていろんなことが入っているんですよね。流れている本質はアクションラーニングという流れ。それを複数の人でやっていくということがコンセプトというだけなんで、そういうふうに考えると、なるほどなと思いました。

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アクションラーニングがイノベーションを起こす

清宮 もっと透明で分かりやすい人たちが話をすると、イノベーションみたいなものすごいことが高速で起こる。この人はこういうことを考えてとか、こういうことを言うとっていう面倒くさいのじゃなくて、言ったまんまお互いに考えるみたいな感じのセットだと、機能しやすいんじゃないかなと思います。

小山 たとえば僕が思うのは、巫女という存在はメタ認知なんですよね。巫女って、ちょっとおかしな人なんです。急に変なことを言うわけですね。これは、アクションラーニングのコーチの質問みたいなものなんです。

変なことを言って、われわれが思ったこともなかった質問が学びをガッと加速させるというのは、巫女の役割は結構アクションラーニング的な。

清宮 巫女度が高ければ高いほど、セッションのラーニングが深かったりするんですよ。

小山 そう。みんな一瞬ポカンとするけど、聞かれた本人は「はー」となる。これがやっぱり枠を外れた瞬間だし、視点が変わった瞬間なんですよ。だから、多分視点が変わるというのは、ほかの立場の人の視点で見てみましょうとかのレベルじゃない外れ方をしたときに、すごい衝撃の走る場ができるわけですよね。

清宮 でも、その巫女さんは別にコーチである必要性はないんです。ほかの人でもいいんですよ。ただ、コーチのトレーニングとか場づくりとか、コーチがそういう視点を持っていると、ワッと行く。

小山 そういう意味で言うと、やっぱりアクションラーニングのコーチは文化人類学にある程度精通していてほしいと、僕は思うんですよ。

清宮 なるほど、私もちょっと勉強しなきゃ(笑)。

小山 巫女について知っていて、この人は巫女だって分かるということが、すごくおもしろい。

清宮 多分、組織開発のODプラクティショナーで、すごく質の高い人は巫女なんですよ。場を作ると言ったときに、もしかして本当に電磁波とかそういう感じのものを読み取ったりする。

小山 特殊な回路でね。

清宮 そこに対して、ここに揺らぎがあるとか何かがあるとかという、何かで入る。特に今回「イノベーション」と言っているので、ある意味ハイパーアクションラーニング・セッションのほうの話です。

今、小山さんがおっしゃっているように、ハイパーなほうを知っている人はそっちの威力がすごいから、このセットをそれに使いたくなるというのがありますよ。

いろんな人がいろんなアプリケーションを使って、いろんなことをやっているんですね。巫女的なところに使うときも、巫女的なセンスがある人がそれをやるのだと、すごく機能する場合もあります。だけどアクションラーニングは、センスがなくても近いことができるときがあるんです。

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コーチは巫女的なイノベーターを見抜く

小山 芸術家は本当に育てられるかという議論があるんですよね。特異的な芸術家というのは、教育の話じゃなく超えたところにある。ただ、一方でイノベーションがマネージメントできるかという話も同じなんですけれども、イノベーターみたいな人が活躍できる場作りはできるわけです。

やっぱり、アクションラーニングのコーチは、巫女であったら困るんですよ。場がまとまらないから。でも、コーチが巫女的な人を生み出すというか、巫女的な人を守ったり、巫女的な人の発言を拾ったりすることをする必要があります。

清宮 巫女センスがあるってことですね。

小山 そう。巫女を見抜くセンスがある。そういった意味で、昨日もアートの議論になったんです。まだ世の中に評価されていない芸術家を見抜くギャラリストのように、こいつはすごいことになるみたいなことを見抜くのが、アクションラーニングのコーチであってほしいと思っているんです。

じゃあギャラリストは何かというと、ものすごい深い教養が必要なんです。残念ながら、教養があるからといってイノベーションは起こせないんです。でも教養を持っていると、こいつはイノベーターって分かるんですよね。だって、過去のいろんなことを見聞きしたり知っているんで、この特異点がすごいみたいな。

清宮 そういう意味では、コーチって全人格的に整っているほうがいいんです。本人がいるだけで場を整える何かを醸し出すという存在、それがリーダーだという感じなんです。でもスターじゃないからね。

小山 イノベーターじゃないんです。

清宮 イノベーターじゃない。アクションラーニングは、実践の手法で振り幅はいっぱいあるので、イノベーションとか創造性とか、人としての真価みたいなところで使えるほかに、人としての信頼関係を作りたーい!みたいなことだけでも機能することもあるから、どのレイヤーでどう使うのかは、その人の器です。

ただひとついえるのは、揺らすという部分においては、すごく安全に揺らせるんですよ。だから成長感は強い。つまり、本当に素晴らしいパーソナルコーチがいると、巫女さんを見抜きます。それで巫女的なことをより発露できる人がいれば、その人はすごくハッピーな人材です。

だけど、そんなにすごいコーチがいなくても、アクションラーニングという場があるだけでも、それに近いことが起こるときがあるんです。

小山 僕は、そういう意味では関心が逆なんですよ。いかに日本からイノベーターを出すかということでいうと、別に大企業で何百人と実践する必要は全くないと思っているんです。

イノベーションという文脈でいえば。それは、ごく限られた人がワッと才能を発露して、その中でみんながそれを共有してパッと行けばいいんですよね。そうすると、現場のPDCを回すみたいなレベルの、今日のイノベーションということで言うと、もうこっちに振り切って、ハイパーなほうの質問会議をどう実現するかです。

そのときのメンバーを、ファシリテーターのさらにスーパーファシリテーターみたいなコーチみたいな位置づけにしたときに、そこに必要な要件が実はいっぱいあると思います。

清宮 教養といっている部分もそうだし、安定しているとか人としての成熟度が高いとか、そういうことですよね。

清宮普美代
日本アクションラーニング協会 代表
WIAL公認マスターALコーチ

東京女子大学文理学部心理学科卒業後、株式会社毎日コミュニケーションズ入社(現:株式会社マイナビ)。Web就職情報などの新規事業の立ち上げや新雑誌創刊と社内システム構築など数々のプロジェクトに責任者として携わる。15年の勤務を経て、渡米。ジョージワシントン大学大学院にて、経営課題を共有化し解決しながら、リーダーと自律型チームを育成する開発手法「アクションラーニング」と出会い、研究を進め、人材開発修士号を取得。
2001年に帰国後、外資系金融機関にて人事責任者、社長室長を経て、2003 年4月に株式会社ラーニングデザインセンターを設立。2007年には国内唯一のアクションラーニング(AL) コーチ認定機関、NPO法人日本アクションラーニング協会を設立。代表を務める。2013 年1 月現在まで、約450 名のALコーチを輩出している。企業導入としては50社を超える導入実績がある。
現在は、AL コーチ、シニアAL コーチの育成や企業導入に対するコンサルティング、講師、講演など多数で活躍。2010年1月、全世界で9人しかいない、日本人としては初めての世界アクションラーニング機構(WIAL) 認定マスターアクションラーニングコーチに就任。翻訳著書に『実践アクションラーニング入門』(2004年 ダイヤモンド社) マイケルJ・マーコード著。著書に『質問会議』(2008年 PHP出版)『チーム脳のつくり方』(2009年 WAVE出版)『対話流』(2009年 三省堂)『20代で身につけたい質問力』(2011年 中経出版)などがある。

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