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別れの美学
3月は、「♯別れ」の季節である。
「立つ鳥跡を濁さず」という諺がある。「終わり良ければ総て良し」という諺もある。別れ際に去る者と残る者、双方の本性が現れると思う。最後って大事だと思うんだよな。別れのその時、積み重ねた時間の答えが明らかになるような気がするから。それ故、別れは少し怖いと感じることもある。
会社員生活が長くなってきたこともあり、仕事上での別れ(具体的には退職)もそれなりに経験してきた。「立つ鳥跡を濁さず」の言葉の通り、惜しまれながら去っていく人、反対に「立つ鳥跡を濁していく」人、どちらのパターンも目撃している。できるなら、私も跡を濁さない「清々しい別れ方」ができる人間でありたい、と思う。
「清々しい別れ方」で思い出されるのは、小学生の頃の離任式(他校へ異動される先生を送る式典)での異動する先生がしてくださった最後のスピーチである。私は、その先生に直接関わる機会はなかったため、保護者から「変わった先生」と言われていたのと、ひょろひょろとへらへらとした先生だったということぐらいしか覚えていない(それにしてもちょっと失礼)。
けれど、あのスピーチだけは鮮明に覚えている。素敵なスピーチだった。
「僕は、この学校のみんなが一番だとは言いません。この学校の前に勤めていた学校のみんなのことも大好きだし、みんなのことも大好きだからです。そして、きっと、これから行く学校のみんなのことも大好きになると思います。今までありがとう。」
少しひねくれて感じる方もいるかもしれない。でも、私はこのスピーチを聞いた時、その正直さに清々しさを感じた。先生のここにはいない人たちに対しても気を向けるその姿勢は、「きっと、この先生は次の学校に行った時も私たちのことを大切に想ってくれるんだろうな」と、子供心に思ったからかもしれない。
そして、「この先、いつでも自分がいる場所を好きになれるように、ベストを尽くそう」と思ったものだ。余談だが、私の好きな言葉は「楽しみは自分で見つける」である。
冒頭の話に戻る。別れの場面に遭遇する度、当時の上司が言っていたのは、「去る者は追わず」だった。確かに、その言葉の通り、去る部下たちをさっぱりと送り出していた。ついでに、慣例なのか送別会にも参加しなかった(それはどうなのかと思っていたけれど)。まあ、後腐れがなかったという点では良いお手本だった。
ここまで他者の別れ際を切り取ってみたが、改めて我が身を振り返ってみる。私自身、別れは得意ではないと思う。去る者は追いそうになるし、来る者は拒んで(警戒して)しまいがちな私だ。けれど、始まりと終わりくらいは、清々しく、美しくありたいものである。……それって、エゴなのかな。
文:彩音
編集:アカ ヨシロウ
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