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さよならポエジーというバンド【ライブレポート】

音楽を「作品のようだ」と形容すると、なんだかとっつきにくいクラシック音楽のような感じがする。確かに、ヴィアルディの「春」を作品と言っても差し支えも違和感もないが、現代のミュージックに作品と形容するのはなかなか敷居が高い気もする。

ただ、さよならポエジーというバンドの曲はそう形容しても違和感がないのだ。
まさに、「作品」である。

2024年9月1日、さよならポエジーのツアーファイナル、渋谷eastに向かった.世の小中高校生はおそらくほとんどが学校であろう
しかし、大学生という身分を得た今、昼に起き、また二度寝して、ゆっくりと準備を進めながら渋谷に向かった.大学生3年目にして、ああ大学生してるなと思った日であった。天気は曇りときどき雨という感じで、一言で言うと陰鬱な天気であった、でもそれでいいと思う.なぜならこれから向かうのは、みんなで楽しくひとつになって!!とか、みんなで仲良く肩を組んで!!とか、そういうバンドを見に行くのではない.さよならポエジーを見に行くのだ!と、思うと、雨も許せる気がした。(実際はあんまり許してないが)

現地到着

渋谷に到着した。相変わらずの人の多さで、外国人がマリオカートに乗って、列を連ねていた.人の波をかき分けながら、渋谷eastへと向かう.ライブに向かう際、毎回謎の優越感が発生する.「俺はこれから良いバンドのライブを見に行くんだ!!」という謎の感覚.まあそれはもちろん、誰にも言わず心に秘めておくだけであるが、やはりこういう感覚になるのだ。

現地に到着し、ほろ酔いを1缶飲み干し、会場へ入った.久しぶりに大きいライブハウスに入り、こんなにポエジー好きな人がいたんだ、、と率直に感動した.

ライブに行った際、開演前は他の人たちの様相をめちゃくちゃに観察する、ああこの人はノリ良さそうだな、とか、この人はバンドガチ勢っぽいな、とか、この人はうるさそうだな、そういうことを考えるのである、ならばさよならポエジーのファンを一目見た時の感想は?

ライブ開演〜終演

セットリストは以下の通りであった.Twitterからお借りしたものだ.

セットリスト

全曲の感想を書いていると文章量がとんでもないことになるので、抜粋して述べる.

ボーイング
ああ、ポエジーだなと思った.曲を始める前にいちいち色んなことを喋らない、そういうオサキアユのやり方というか、考え方が好きだ.
「ここにある、どこにもない」
この曲の主人公はなんにも分かっていない気がする、でも、生きるそういうもんな気もする

觜崎橋東詰に月
ああ来た、大好きな曲だ、ゆっくりとしたバラード調の曲もいいが、結局こういうロックしているなと感じる曲が好きだ.周囲の観客も乗っていた、前のお姉さんも、帽子を被ったお兄さんも乗っていた、そういう周囲の反応を見ると、より良い方向に感化させられる気がする。

拘束のすべて
さよならポエジーで1番好きな曲である、実は大阪BIGCATの公演にも行ったのだが、その時はやっていなかった、だからこの曲のギターコードが聴こえた時、思わず胸を打たれた.

『いつかすれ違ったあの盟友の斜に構えた目が好きだった』毎晩のように吐き捨てる胃酸に良く似た面の少年

「伸びた前髪で見え辛くなった嘘臭い本音がまあ正常に絡まってる脳天の隙間から 当時のあの子が大好きだったポップミュージック」

この曲の好きな歌詞だ、なぜ好きか?と問われると、単純な答えになるが、俺みたいだ、、、という回答になる。大学生になってから、物事を斜に構えて捉えるようになった、それがどういうことかというのはここでは具現化しないでおく。厨二病の大学生バージョンだという感じだ.

「嘘くさい本音」もまさにその通りで、「本音」を言えなくなった.けれども、「嘘くさい本音」は言えるようになった.人と本心で話すことは滅多にない.嫌なことでもyesと言うし、良いと思ったことでもnoと言ったりする、素直じゃなくなると言うことである.

でも、そうやって「折り合い」をつけることを学んだことで、過去より格段に生きやすくなった。それが最終的に+に働くか、−に働くかはそんな重要じゃなくて、「人って変わるしな」という感想にとどまっている.物事を斜に構えるというのも、そんな気にしていない

ドラえもんとか、アンパンマンを大人になったらなぜ楽しめなくなるのだろう、

「綺麗事」しか存在しない世界だから?

きっとそう言うことだと思う、世の中綺麗事だけじゃない、むしろ綺麗事で構成される要素はほんの数%で、あとは色々な酷いことで構成されている、そういうことを年を重ねると実感するのだ.

さよならポエジー、大好き!

話が色々と脱線したので、言いたいことを簡潔に言う、さよならポエジーというバンドは、世の中を偏屈に見ていて、嘘くさい大人になりかけている俺に寄り添ってくれるから、大好きだと言うことである。
これはそのままさよならポエジーを見ている観客にも思ったことである.偏屈な人が多そうだな、という感想を持った.(性格が良い悪いと言う問題とは全く関係ないということを述べておく)

でもそれでいいんだよ、素直になるのって難しい、人を素直に褒められない、素直に喜べない、斜めから物事を捉えて、自己中心的になることもある。でもそれが人間だって、教えられているような気がする。
嫌なのにyesと言う、そういう大人になる、でもそれが大人になるってことで、悪いことじゃない。

誰にも頷かなくていい〜
誰にも頷かなくていいのにね〜

さよならポエジーの曲は「作品」だ、こんなにも考えさせられる、ある意味、聴いていて疲れる、そういう音楽も、この世界に確かに共存している。


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