ミャクミャク様

  これは私の父方の田舎での話です。

 そこは瀬戸内海に面した漁村で、昔はそれなりに人が居たようですが今となっては限界集落一歩手前の小さな村です。

 学生の頃は夏休みの度に父に連れられ父方の祖父母の家に遊びに行っていました。母は義両親との仲が上手くいっていなかったようで、大阪に残り一人の時間を満喫していたと大人になってから聞きました。

 私はその田舎町を気に入っていたのですが、盆になると行われるその村独特の行事は都会暮らしの私にとっては薄気味悪く、内心いやいや参加していました。

 その行事とはミャクミャク様という神様をお参りする「三悪(みあく)参り」というものでした。

 ミャクミャク様が祀られているのは神社と言えるほど立派なものではなく、小さな湧き水の前に鳥居としめ縄、そして縦50cm横60cm高さ100cm程の匣が置いてあるものでした。


 三悪参りとはミャクミャク様が祀られているという匣を村人全員で囲みミャクミャク様に「私達は三悪を犯しません」という意味のお経を4、5時間唱え続けるというものでした。

 三悪とは名前の通り3つの悪いこととされるもので、三悪を犯さないことが村の人々にとって最も大切なことでした。その三悪とは、

 盆の期間中にミャクミャク様へお参りしない

 盆の期間中に村の外から人を入れる

 盆の期間中に村から出る

の3つです。

 私は一度祖母にミャクミャク様とはなんなのか尋ねたことがあります。祖母曰く

 「ミャクミャク様とは村の守り神で、昔村で飢饉が会った時ミャクミャク様が村人を助けて下さった」

 だそうです。祖母に詳しく話を聞こうと何度もしつこく尋ねましたがはぐらかされてしまいました。

 ちょうどお盆の頃、母が夏風邪にかかったという電話がありました。私は母のことが心配になり大阪に帰ることにしました。そのこと祖父母と父に伝えると、

 「盆の期間村から出ると三悪になるからいかん。それに今日は三悪参りの日やろ。お参りせんとそれも三悪になるからいかん。」

 と大阪に帰ることは許して貰えませんでした。

 父までも祖父母に同意するので私は仕方なく村に残り、三悪参りに参加することにしました。

 三悪参りが執り行われている最中、不貞腐れている私を凝視する視線を感じました。辺りを見回してもそれらしい視線の主は見つかりません。怖くなった私はお経を唱えるのをやめて父の後ろに隠れていました。

  その時、それまでより近くから視線を感じました。その視線は間違いなく父の背中から向けられていました。バッと目を逸らすと祖母の肩に私を睨みつける目を見つけました。

 私は確信しました。ミャクミャク様は確かにあの村の守り神なんかではなく、村そのものなのです。ミャクミャク様は飢饉から村人を助ける代償に村人に自身の体を分け与え、村人をミャクミャク様へ変えてしまったのでしょう。

 確かめるように他の村人も見つめるとやはり本来目が着いていない部分に私を見続ける大きな目がありました。父から血をわけられた私自身にもミャクミャク様は宿っているのでしょう。

 私は大人しくこの村を、ミャクミャク様を受け入れることにしました。この村を去り、三悪参りに参加しなかった者は全て厄災に見舞われたことを身体中を巡る血液が教えてくれました。

 

 あれから何十年が経った今でも毎年盆前には村へ帰り、三悪参りには必ず参加しています。

私は三悪を犯しません。

私は三悪三悪様を信じています。

私自身もミャクミャク様の一部なのです。


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