大切なものは目に見えない
この世から芸術がなくなってしまったら世界はどうなりますか?
芸術がなくなってしまったら
世界は終わります。
なぜなら、とここでスラスラと言葉がでません。頭をよぎるのは、芸術がなくたって別に生きていけるし世界が終わったりしないよということです。なぜわざわざ芸術活動(演劇)などという時間ばっかりかかるものに一生懸命になっているのかというと、僕は演劇という芸術活動を通して、単純に心踊り、高揚し、幸福な気持ちを味わい感動したいからです。俳優でいうと、なんの職業にもなれるし、幽霊にもなれるし空だって飛べる。大人のままごと感覚です。それが楽しいし幸福です。実は僕を含むほとんどの人間は概ね幸福になりたいと思い、その一つとして芸術を必要としている、またはしてしまっているのではないかと思っています。まず僕一人でもそう思うのなら実際そうですよね?と言ってもいいのなかと思っています。
その欲求が満たされなくなるとなんか死んだような感じのな~んにもない人間になってしまいそうです。死んだようなって感じは死んだ事がないので想像でしかないですが、そんな感じな気がします。
人間の最大の欲求は「生きる」ことです。それがなくなったら人は死にます。そうならないために、寿命が続く限り幸福になりたい欲求はなくしてはいけないんじゃないかと思います。それには、感動したり泣いたり、笑ったり怒ったり、感情が動く日々を送り続けなければ行けないのではないかと言う事が一つあると思っています。
芸術とは一つ、「感」なんじゃないかと。
物事に触れて心が動く一つ「感」と言ってもいいのかなと思っています。まあそれ以外でも、それでも、感でも、それじゃなくてもいいですが。僕の思う芸術(ART)が失われると、僕で言うところの「感」が無くなり、これがいい、あれもいいと思うことすらできず、それにより何かがデザインされることもなく、まず着る服がなくなり、音楽も消え、色なんて関係なく、丸っこい感じの方が柔らかい感じするよねとか、なんかゴツゴツしてて嫌だねとか、感覚が薄れ消えてなくなっていき、好きとか嫌いとかすらなくなり、人間は無感情になって、傷ついた、傷付けた、ごめん、ありがとう、なども無くなり、いてもいなくても別にいいし、っていうかこの別にいいしってことすら感じられなくなり、もう、なんか、それどころじゃない。って感じになってしまい、ってことすら感じられない。すら感じられない、すら感じ、すら感、すら、す・・・。もうそれはいったいどんな世界なのでしょうか。
恐ろし。
恐ろしいということさえ分からなくなる。。。世界は消えたも同然です。消えたことすら誰も分からず、、、もういいか
とまあ、芸術がなくなってしまうのはちょっと一大事ということです。そして「それ」についている名前を失いたくないというお話。
命名権:ネーミングライツとは
そして僕にとって大切な名前が命名権(ネーミングライツ)たるものによって今変わろうとしています。変わらないようにするために何が出来るでしょうか。
東京都西東京市東伏見市にアイススケートリンクがあります。1997年サントリーが命名権を買収し、サントリー東伏見アイスアリーナとなりました。民間施設でのネーミングライツでは日本初だそうで、公共施設では2003年に味の素が東京スタジアムの名称を購入したのが最初で、それ以降、全国都道府県、市区で多くネーミングライツが道入されており、景気低迷および脆弱財政下の新しい収入源として注目を集めているようです。
施設側のメリットは自主財源の確保および施設運営の安定、施設のさらなる魅了向上などあり、スポンサー側には広告効果が期待できるだけでなく、地域貢献、※CSRといった企業イメージ向上を図ることが出来る。などあり。脳みそゴマ並な僕が調べた感じではだいたいこんな感じらしいのですが、果たして本当にそうでしょうか。
※CSRとは
企業の社会的責任:企業は利益の追求を行うだけではなく、利害関係などに対して責任を負うべきであるという考え方
変わってほしくない名前
それは「北九州芸術劇場」という公共ホールの名前です。福岡県北九州市小倉にあって、小倉駅から徒歩10分程度のところに「リバーウォーク北九州」という「文化・芸術・情報発信・商業」などの機能を持つ複合施設があり、その中に北九州芸術劇場はあります。
今変わろうとしている
提案型ネーミングライツ
北九州市の施設に「愛称」を付けてみませんか?と募集されたネーミングライツ。北九州芸術劇場には下記のサポーター候補者が決定し愛称として名前が変わろうとしています。
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サポーター候補者:株式会社ジェイコム九州
愛称(案):J:COM北九州芸術劇場
命名権料:120万円/年(期間7年)
道入予定:令和5年4月
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となっており、それについて何かご意見などある方はメールか郵送、またはFAXで送ってくださいとなっていて、意見提出用の参考用紙も用意されておりそれには、
「主に、以下のような視点でご意見をお伺いいたします。」
・提案施設へのネーミングライツ道入のふさわしさ
・愛称のふさわしさ
・本市のネーミングライツサポーターとしてのふさわしさ
とあり、何一つふさわしくない。とまあそういう事を僕は書いていくわけです。
提案型によるネーミングライツの募集について
時を共にし心を通わせてきた場所
公共施設(北九州芸術劇場)は、税金で建てられた施設であり、コミュニティーや、地域文化を育みながら、地域の人に親しまれていかなければ行けない場所であってほしい。ここで創られ、育ち、観聞きし、支え合う場所であってほしい。実際僕はその4つのコンセプトすべてをおそよ体感し実行にも関わってきたと言っても嘘にはならないと思っています。その大切な場所の名前が変わらない為に僕にできることはなんだろうか。変わらないでほしい。
その昔、小倉北区許斐町にスミックスホールESTAというホールがあった。僕らはそこで沢山の演劇作品を創作し発信してきたが2009年3月31日をもって老朽化により閉館。市民や僕ら演劇人にとってとても愛されたホールでした。
スミックスホールESTAが閉館しても僕らの表現の場は失われず北九州芸術劇場へと移っていきました。北九州芸術劇場がなければ僕らはいったいどこへ向かったでしょうか、もしなかったらこの街は北九州の新しい価値を作れる可能性をなくしていたかもしれません。
開館当初から、時を共有し心を通わせてきた大切な場所の名前が今変わろうとしているというのは僕にとては一大事です。
更にこの命名権の制度がどこか曖昧で不明確に感じ余計に大切な場所の名前よ、そんな曖昧で不明確の中変わらないでくれと願うばかりです。
名前が変わると名刺の内容も変わるのでしょうか、看板や職員が着ているロゴの入ったシャツ、館の物と分かるように貼られているロゴのシール、封筒1枚に至るまで変わってしまうのでしょうか。だとするとその資金はどこから出るのでしょうか。
電話に出るとき、「はい、J:COM北九州芸術劇場です」と言うのでしょうか。「あっ、えっと、J:COMじゃなくて北九州芸術劇場にかけたつもりでした、すみません間違えました」と嫌味を込めて切ったりするのでしょうか!
些細なことのように感じるかもしれませんが、名前が変わりそれを嬉しいとは思えない人がいたとして、変名を業務で実行した時の、馴染みのない、愛のないことに対して抱えるストレスは大きいだろうとな思います。
それと引き換えにお金なわけですが、年間120万円。月に換算すると10万円、そしてその数%が市の財源になるという。名前を変える意味が見出だせない。メリットが分からない。10万円以下で自主財源の確保および施設運営の安定化、施設の更なる魅力向上に繋がるのか。設備がもっと快適に使えるようになって地域の人達に、J:COM北九州芸術劇場に名前変えて良かったねと思われるだろうか?いや、思われないんじゃないか。
こんな意見があります。
劇場が開館した時から劇場に慣れ親しんで来られた、40代女性に聞いてみました。北九州芸術劇場がネーミングライツの候補になって名前が変わるんですがどう思いますか?
Nさん:何に変わるん?
質問者:J:COM北九州芸・・・
Nさん:は?売ったん?
質問者:いや売ってはない。
Nさん:バカやないん。なんしよん。
質問者:・・・。
とまあ一市民には名前が変わるとはそういう感じなことでしかないようです。施設運営がより良いものになるためになど関係ない。
N:「なんか劇場イメージ変わったわ、嫌いになったわ」などと言われかねない。
北九州芸術劇場 事業評価調査報告書によると
蔑(ないがし)ろに出来ない。
あの頃大好きだったスミックスホールESTAのように北九州芸術劇場も多くの人達に愛されている劇場だと思います。16年続いたESTAよりはるかに長い19年。これからも変わらず愛させてくれる劇場であってほしい。できれば名前なんかもそのままで変わらずにいてほしい。
そこにあり続けるということ
慣れ親しまれたものが変わらずそこにあり続けることにより
安らかで落ち着いた気持ちが持てる。
現代の競争社会や管理社会のなかで、嫌でも湧き出てくる抱えきれないほどのストレスを軽減するには、
ここにあり続けているよ
ということがとても重要で必要な気がする。
ここで、名前が変わってもそこにあり続けているじゃないかと言う意見があると思いますが。結論から言うと建物があるだけじゃただの箱です。僕の言っているあり続けているとは違います。僕らは箱に行くのではなく、人に会いに行くのです。俳優、スタッフ、職員、講師、様々な人がそこにはいて親しみのあるその人に会いに行く。
じゃ劇場の名前は関係ないじゃないかとなるでしょうがそれも違います。ここで言う人とは幸福でありたいという欲求を満たしてくれる源、劇場もその源であり、人なのです。
人は人に集まります。人には名前があり、ある意味看板です。それが大きければ大きいほど安心します。それがある時から別の見た事もない看板に代わり、大丈夫大丈夫中身は変わってないから大丈夫よおいで、と言われてもほんとかな。。。と不安になるでしょう。今の看板は「北九州芸術劇場」です、今人はそれに親しみを持っていて、そこに集まっているのです。
などと言えるがそうでもない
ネーミングライツは言ってしまえば単なるビジネスです。北九州芸術劇場はビジネスを始めたのでしょうか。そもそも公共ホール運営とはビジネスなのでしょうか。北九州芸術劇場の名前の価値は120万円程度なんだからしかたない。と思っているのでしょうか。
などと言えることも出来るがそうではない。
事業費の内訳と収支、財源をどう確保しているのかなどHPから見ることが出来ます。それによると
もはや僕なんかが口出しできるレベルではないかもしれません。とはいえ名前は変わってほしくない。年間120万円の確保した財源も全額ではなくいくらか市の財源になってしまう。それでも今少しでもお金が欲しいのでしょうか。
ちなみに北九州芸術劇場の2020年度の事業費は約1億2,000万円。前年度(約2億3,000 万円)から大幅な減少となっているとのこと。
今そこにあり続けていることだけでも簡単なことじゃないということがうかがえる。
しかし、今名前が変わる事により入ってくる財源確保120万円/期間7年がどうしても必要なのでしょうか。僕には見えていないメリットがあるのでしょうか。逆に名前を変えることでどれほどのデメリットが生じるでしょうか。
例えば、「北九州芸術劇場は魂を売ったな」など噂が人を苦しめたりしないでしょうか、19年もの間培ってきた地域の人達との関係性や、思い出、記憶、信頼などが、昔あった場所での事、となったりしないでしょうか。
万が一そうなって価値が急降下しだしたら止められなくなるんじゃないでしょうか。落ちきったところでどこかに買われてしまい、利益を生むためだけの劇場に変わったりしたら・・・。
情報が少なく推測するばかりですが、自治体全体での慎重な議論が必要ではないかなと思っています。大切なものが隠れて見えていない。とならなければいいですが。
みなさんはどう思いますか?僕には思い入れの強い場所ですので変わらないでほしいという個人的な気持ちもあります。ただ、当たり前にあったものが急に姿を変えてしまう事が恐ろしく思え、今は少しの変化でもそれが少しづつ崩れ始め、戻すことが出来ないのでもうこうするしかない、仕方ない。とならなければいいなと思います。
ただ名前が変わっただけなのにという些細なことのように思えるかもしれませんが、実は見えない所から少しづつ芸術が薄れ、消えかけていき、消えて、この街は終わる。そんなことにならなければいいなと思います
こうすれば「変わらずそのままで」ということが実現できますよと提案できればいいのですが・・・。
それでも環境が変わろうと、人が変わってしまおうと「続けてきた」僕に出来ることはある。と思うのですが結局はこんな事を書くことしかできません。どうか名前は変わらないで欲しい。
みなさんは、大切な場所の名前が変わること、どう思いますか。議論のきっかけになれば幸いです。
とのこと
意見募集期間
令和4年10月27日(木曜日)〜11月16日(水曜日)17時
提出方法
住所、氏名を記入のうえ、次のいずれかの方法で提出してくださいとのこと。
(1)電子メール
sou-gyoukeiei@city.kitakyushu.lg.jp
(2)郵送
〒803−8501
北九州市小倉北区城内1番1号
総務局行政経営課 宛て
(3)FAX
093−562−1307
様式は自由とのこと。
ご意見などある方は送ってみてはいかがでしょうか。
飛ぶ劇場 寺田剛史