本はときおり、歳月とともに若返ることがある |ジョン・バージャー 【『第七の男』より】
ジョン・バージャー(1926-2017)──小説家であり、美術批評家、ジャーナリスト、詩人でもあった20世紀英国文学における孤高の"ストーリーテラー"が、欧州の移民労働者について語った鮮烈なドキュメンタリー『第七の男』。イスタンブールのスラムで、ギリシアの港で、ダマスカスの路上で密かに読み継がれ、グローバルサウスの労働者を奮い立たせてきた名著を、黒鳥社初の翻訳書として刊行します。発売を記念して、バージャーが2010年に著した新版の序文と、1975年刊行時の序文(本書収録)を併せて特別公開。
Photos by Hiroyuki Takenouchi
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2010年版の序文
本はときおり、著者が年を取っていくのとは逆に、歳月とともに若返ることがある。『第七の男』には、どうやらそれが起きたらしい。その理由を説明しよう。
本書はある意味で時代遅れだ。引用した統計はもはや使いものにならない。各国の通貨の価値は時代とともに変わった。ソビエト連邦が崩壊し、正確には経済ファシズムと呼ぶべき新自由主義という名の世界経済秩序が確立された結果、世界の経済構造は一変した。労働組合と各国政府の力はともに低下した。工場は労働者と同じくらいたやすく世界を移動する。労働力の安いところに工場を建てることは、安い労働力を輸入するのと同じくらい簡単になった。貧しい人びとはさらに貧しくなった。現在起きているグローバルな経済力の集中は類例を見ない。それを動かしているのは世界銀行、IMF(国際通貨基金)、WTO(世界貿易機関)だ。本書は、こうした機関については一切触れていない。
どの分野のクリエイターであっても、自分が何をつくっているのかを理解していることは稀だ。目の前の課題に取り組むことで手一杯だからだ。目の前の作業の先に何があるのか、漠然とした直感しかもつことができない。
ジャン・モアとわたしが『第七の男』の制作に取り組んでいたとき、目の前にあった課題は、1960年代の豊かな欧州諸国の経済が、いくつかの貧しい国の人びとの労働にいかに依存しているかを示すことだった。本書の推進力は政治的なものだった。議論を引き起こし、後押しすることで、何よりも労働者階級の国を超えた連帯が起きることを期待していた。
出版後に起きたことは予想外だった。メディアの多くはこの本を無視した。何人かの批評家は中身がないとこき下ろした。彼らに言わせると社会学、経済学、ルポルタージュ、哲学、そして曖昧な詩的表現との間を揺れ動くただのパンフレット。一言で言えば、不真面目、ということだった。
グローバルサウスでは別の反応があった。本書はトルコ語、ギリシャ語、アラビア語、ポルトガル語、スペイン語、パンジャブ語へと翻訳されていった。本書に登場するような人びとの間で読まれ始めたのだ。
今でもイスタンブールの貧民街で、ギリシャの港で、マドリードやダマスカスやボンベイのスラムで、本書を初めて手にしたときの衝撃を語る読者に出会うことがある。こうした場所に、本書は相応しい居場所を見つけた。社会学的な(ましてや初級の政治学の)論文としてではなく、むしろ家族アルバムに見いだされるような人生の物語、人が生きた時間の連なりを収めた小さな書物として読まれたのだ。
ここでいう家族には一体どんな繋がりがあるのだろう。誰の家族なのか。どの国に住む家族なのか。どんな過去をもち、どんな未来に希望を抱く家族なのか。
こうした家族を繋いでいるのは、おそらく移住だ。本書が相応しい居場所を見つけたのは、離ればなれになることを経験した家族の中でだった。幾度となく語られ、その百万倍も体験されてきた通り、前例のない大規模な移住は、わたしたちが生きるこの時代の歴史的特徴のひとつとなっている。『第七の男』は、家族が生きていくための稼ぎを求めて家族との離別を余儀なくされ、その後も余儀なくされ続けている人びとの家族アルバムとして開くことができる。
昔からどんな家族アルバムにも必ず収められている場面がある。結婚式、長子の誕生、庭や通りで遊ぶ子どもたち、海辺の休日、お互いに微笑み合うように横に並んでカメラに向かって笑う友人たち、誕生日のろうそくを吹き消す誰か、ふたり目の誕生、愉快な親戚のおじさんの最後の来訪、等々。
本書では、それらのイメージがモノクロの写真と文章によって描かれるが、ありふれた場面に見えて、そこには異なる体験が映し出されている。帰国を切望する止むことのない夢。その夢が実現されないことを知って誰もが流す涙。出発する勇気。旅につきものの忍耐。到着の衝撃。移住を勧める誇張された手紙(切符が同封されている)。遠い地での死。漆黒の異国の夜。生存への飽くなき執着。
そして典型的な家族アルバムに起きることがここでも起きる。メッセージが、時の経過とともに変化していくのだ。写真が撮られたとき、それが愉快なおじさんの最後の来訪になるとは知るよしもなかった。彼の死によって写真は変わった。結婚したての夫婦の写真を見て若さを気にすることがないのは、それが当たり前だからだ。35年後、写真のふたりを見た娘が言う。「パパがわたしより若かった頃はこんな感じだったのね!」。そのとき写真はかつての若さへの思いもよらぬ賛辞となる。当たり前のことが、驚きや感動を与えるもの、神聖なものへと変わるのは、人生そのものが驚きに満ちているからだ。
そしてこのことが、ジャン・モアとわたしが本書の制作中、自分たちが何をつくろうとしているのかわからなかった理由を説明してくれるのかもしれない。当初わたしたちは映画を撮ろうと考えていたが、(幸いなことに)必要な資金を集めることができなかった。代わりにわたしたちは、(イメージや文字で記録された)瞬間を本にまとめ、そうした瞬間を映画のシークエンスのように章立てることにした。
わたしたちは、まるで写真のクローズアップのように、できるだけその瞬間に近づこうとしたが、そうしたがために、のちに明らかになった通り、多くのものを捉え損ねた。わたしたちは現実が孕む曖昧さ、摩擦や抵抗を取り除くことに喜んで抗った。近視眼的ではあったけれど、いくばくかの思慮はもち合わせ、とりわけ単純化を拒むことにおいては烈しく思慮深かった。その結果、わたしたちの手に余るような現実は、単純化されたつくりものからは決して得ることのできない見返りをくれた。このアルバムを生き長らえさせてくれたのだ。
今日、本書は復刊され、新しい読者と出会う。その中には初版刊行時には生まれていなかった若い移民もいるだろう。何が変わり、何が変わっていないか、彼らはたやすく見抜くに違いない。そして、自分の両親であるかもしれない本書の主人公たちのヒロイズムや自尊心、絶望を我が事として認識する。その認識は、困難な瞬間において励ましとなるだけでなく、他の瞬間においても不屈の勇気を後押ししてくれるに違いない。
ジョン・バージャー
2010年
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読者への覚書
夢を見る者は夢の中で意思をもち、行動し、反応し、話すが、自分では変えることのできない物語の展開に従っている。夢は本人に起きている。夢から覚めたあと、誰かにその解釈を委ねることもあるだろう。ところがときおり、夢から脱出しようと自ら眠りを破ろうとする者がいる。本書の主題である、わたしたちが見ている夢において、同じことを試みようとするのが本書である。
移民労働者の経験を概観し、それを彼らを取り巻く物理的かつ歴史的な状況と関連づけることは、すなわち、今この瞬間における世界の政治的現実をより正確に把握することに他ならない。対象は欧州だが、指し示す内容はグローバルだ。主題は不自由である。この不自由は、客観的な世界経済システムと、その中に押し込められた移民労働者の主観的な経験が関連づけられることによってのみ十全に理解される。煎じ詰めるなら、不自由とは、客観と主観の関わり合い方なのだ。
本書はイメージと文章で構成される。両者は個別の表現形式としてそれぞれのやり方で読まれるべきものだが、ごく稀に文章を説明するために画像が用いられる。ジャン・モアが数年にわたって撮影した写真は、言葉では届かない何かを語りかける。画像の連なりは主張となる。その主張は、言葉によるものと対等にして引けを取らないが、形式が異なっている。文字情報があることで写真が理解しやすくなる場合に限って写真の脇にキャプションを添えた。逆にそのような情報がそのページに必須ではない場合、キャプションは巻末に一覧で記載した。なお、何点かの写真はジャン・モアではなく、本書のデザインとビジュアル構成を手がけてくれたスヴェン・ブロムベリによって撮影されたものである。
本文中にはいくつもの引用文が挿入されているが、引用したページにその旨が記されず、巻末に出典が記載されているものがある。それに関連する事実や出来事の一連の過程が、単なる著者名以上の広がりをもつような場合がそれにあたる。
欧州北西部に移り住んだ移民労働者の多くは旧植民地からやってきた。英国であれば西インド諸島、パキスタン、インドから、フランスであればアルジェリアから、オランダの労働者はスリナムから等々。彼らの労働条件や生活環境は南欧からの移民たちと似通っている。南欧からの移民たちと同様の搾取も経験してきた。しかしながら大都市における彼らの歴史は植民地主義と新植民地主義の歴史と関わっている。ゆえに、何百万人もの農民がそれまで縁のなかった土地に移住するという新しい現象をより正確に定義するために、本書では欧州からやってきた移民労働者にのみ焦点を当てた。写真でも文章でも英国に直接的に言及しないのは同じ理由からで、英国の移民の大半は旧植民地の出身だ。恣意的な区分けではあるが、焦点はより明確になったはずだ。
欧州に広がる移民労働者のうち、およそ200万人が女性だとされる。工場で働く者もいるが、多くは家事労働に従事する。彼女たちの経験を十分に書き記すにはそれだけで1冊の本が必要となる。その本がいずれ書かれることを願う。わたしたちがここで扱うのは男性移民労働者の経験のみである。
本書は1973年から1974年前半の間に執筆された。その後、資本主義は第二次世界大戦以来最悪の危機に直面している。この危機は生産の縮減と失業をもたらした。いくつかの産業で移民労働者が削減された。本文中で用いた統計のいくつかはすでに古くなってしまっている。しかしこのような危機的状況にあってなお、西欧が何百万人もの移民労働者に依存し続けていることから明らかなように、この経済システムはもはや移民労働者を抜きにしては存在し得ないのだ。
ジョン・バージャー|John Berger
1926年ロンドン生まれ。小説家・批評家・画家・詩人。1972年、英国 BBCで企 画/脚本/プロデュースのすべてを担当したTV番組4部作「Ways of Seeing」 で広く存在を知られる。同名書籍は美術批評界の金字塔とされ、欧州市民の多 くがアートや文化理論を理解する契機を得たとされる。同年、小説『G.』でブッ カー賞を受賞。70 年代にフランス農村に拠点を移し表現活動を続け、2017 年 に 90 歳で逝去。主著『イメージ」視覚とメディア』(伊藤俊治訳/ちくま学芸文庫、2013年)、『G.』栗原行雄訳(新潮社、1975年)、『果報者ササル:ある田舎医者の物語』村松潔訳(みすず書房、2016年)、『批評の「風景」:ジョン・バージャー選集』 山田美明訳(草思社、2024年)など。
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