黒鳥社より年始のご挨拶|blkswn CEO土屋繼
今からちょうど2年前(正確には3年前の年末)のことだ。
しばらく音沙汰がなかった若林から1通のメールが届いた。
「WIREDクビになった。色々あるんだけど、俺のために会社つくってくんない?」
何だそれは・・・・・・苦笑。
これまでも現実世界の実務的な話になると、この男は僕に連絡してくる。
これで社会人になってからは3回目だ。
もちろん即答で「了解」と返した。
それから諸々の準備と調整を経て2018年3月13日に黒鳥社は誕生した。
以来、2冊の出版物を世に送り出し、数社のクライアントに対して幾つかのアウトプットを提供してきた。そして何名かの外部の株主にも応援してもらい、神谷町になかなかの事務所を構えることも出来た。今のところ、当初の想像通りとは言えないが、何とか沈まないで2020年を迎えることができた。
そんな中、ふと考えることがある。「時間」についてだ。
こんな話を聞いたことがある。時間哲学という学問では、時間とは何か?について思索するわけだが、諸説有りながら、ほぼ全ての研究者において合意されている事項が1つだけあるという。
それは「時間の流れ」についてである。時間とは「未来」「現在」「過去」の順序で流れているということだ。
ほとんどの人間(僕の感覚では8割ちょっと)は「過去」「現在」「未来」という順序で時間が流れていると思っている。が、しかし、時間哲学の世界ではその逆であり、それが常識なのだ。
僕なりにこのことを考えてみると、未来というのは誰1人として予想だにできないもので、過去の蓄積とは全く無関係に、連続性とは無縁に非連続でやってくるということなのだと思う。つまり、何かに対していくら努力しようが、地震や台風などの天災や交通事故など、過去とは全くもって非連続的な事象が突如現れ、今までの努力みたいなものが一瞬にして抹殺されることがあるということなのだ。
そういう意味で、未来から時間はやってくるのである。
ただ、僕らが欲しい未来というものが仮にあるとするならば、それを実現させようと僕らは必死に努力し、そこに近づこうとしない限り、その未来にリアリティはない。ただそれが実際に実現するかどうかは誰1人として予想することができない。
でもそこに向かって努力し前に進まないことにはその未来に近づくことはない。なので、どれだけリアリティを持ってそこに向かうことができるかが重要だ。実現したいと願う未来(あるいは起こって欲しくない未来)の実現の幅を如何に狭めるのか、と言い換えても良いかもしれない。
「小さくて大きい政府」という概念も、何となくの世間一般の見通しに対して、悲観や絶望だけが先行して単に未来がやってくるのを待ち続けるのではなく、ある種の未来を実現する方がbetterだな、とリアリティが伴った状態で「想像」し、実現に向けて色々な力を投入しながら近づいていくための道標になるのかもしれない。(弊社のfacebook投稿に対するコメントを読む限りそれは正しい気がする)
黒鳥社が成し遂げたい、果たしたい役割みたいなものがあったとして、それが実現できるかどうかは分からないけれども、そこに向かって進んでいこうと思っている。
「社会を再想像する」という、ミッションのようなものを掲げたコンテンツメーカーとして、また色々なことが起きると思うけれど、2020年もアウトプットを続けたいと思う。
書籍を購入いただいたみなさま、様々なイベントにご来場頂いたみなさま、noteでコンテンツを購入頂いたみなさま、Podcastを聞いていただいたみなさま、クライアント企業のみなさま、株主のみなさま、そして黒鳥社の外部パートナーのみなさま、2019年は大変お世話になりました。
本年も皆様と関わりを持ち続けることが出来ることを切に願っています。
いま「想像」しているよりも、ほんのちょっぴり良い「未来」を。
黒鳥社 愛宕神社麓オフィスより
株式会社黒鳥社
代表取締役CEO/マネージングディレクター
土屋繼