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時代を映し、導いていく本を編む:バージャー作品を翻訳する韓国の出版社「ヨルファダン」を訪ねて

ソウル中心部からバスで西へ約30分のところにあるパジュ・ブックシティ(坡州出版都市)。出版社、印刷工場、製本工場、書店、図書館などが集まり、韓国の出版産業の中心地として知られる計画都市だ。

ここに事務所と博物館を構え、これまで26冊にわたってジョン・バージャーの著作を翻訳出版してきた出版社「ヨルファダン」(悦話堂)。その企画室長であり、バージャー作品の翻訳出版を推進してきたイ・スジョン(李秀廷)氏に、その経緯と韓国でのバージャーの人気、そしてヨルファダン独自の出版スタイルについて話を訊いた。なお、インタビューは『第七の男』(黒鳥社/原題『A Seventh Man』)の日本語翻訳を担当したキム・ソンウォン(金聖源)により韓国語で行われた。

Interview & translation by Sungwon Kim(BABELO)
Top photograph by Jonatha n Lovekin


"作家"バージャーを韓国へ

──ヨルファダンはこれまでに26冊ものバージャーの著作を翻訳出版してきました。これは翻訳家からの提案によるものだったのでしょうか。それともスジョンさんご自身の関心から始まったのでしょうか。その経緯を教えてください。

わたしがバージャーと初めて出会ったのは20代の頃で、彼の代表作『イメージ:視覚とメディア』(筑摩書房/原題『Ways of Seeing』/ハングル題『다른 방식으로 보기』)を読んだときのことです。美術や一般教養の書としても非常に有名なこの本は、わたしにとっても印象深く、読書会を開いたこともあるほどです。

次にバージャーの著作に触れたのは、ヨルファダンで編集者として働くなかで翻訳家のキム・ウリョンさんから提案を受けた『And Our Faces, My Heart, Brief as Photos』(未邦訳/ハングル題『그리고 사진처럼 덧없는 우리들의 얼굴, 내 가슴』)でした。わたしはバージャーを"視覚やイメージについて鋭い洞察を展開する美術批評家"として理解していたのですが、彼がこんなにも柔らかく美しい散文や詩を書くことに驚いたのを覚えています。

2013年3月、この書籍の版権契約のために、彼の妻であるベバリーと初めてメールのやりとりをしました。当初は版権エージェントを通していたのですが、徐々に直接やりとりをするような関係になりました。韓国語版の出版を知らせた際に彼らから送られてきたメールは、いまでも大切に保管しています。ベバリーによると、バージャーはこう言い残していたそうです。「ようやくこの本がまともに出版されたようだ」。

その後、バージャーの他の著作にも興味をもつようになり、1958年に発表された長編小説の処女作『A Painter of Our Time』(未邦訳/ハングル題『우리 시대의 화가』)を手に入れました。この本は1988年に再版された際、新たにあとがきが付け加えられており、バージャーはそのなかで1950年代初頭を振り返りながら、彼が画家の道を諦め作家に転向した理由を明かしていました。冷戦と核戦争の脅威を前に、絵を描くことよりも印刷媒体を通じてテキストを紡ぐことに重要性を見いだしたという内容です。そのメッセージに心を動かされ、わたしは社内で『A Painter of Our Time』の翻訳出版を提案し、実現に漕ぎつけました。売れ行きは、16年後にようやく増刷される程度の低調なものでしたが(苦笑)、この本はヨルファダンにとってバージャー作品の翻訳出版の出発点となり、大変意義深いものとなりました。

その後、知られざるバージャーの世界を一つひとつ発掘するなかで、すでに知られた美術批評家としての側面を紹介するより、作家としての全体像を紹介することで、より価値が高まる人物であると確信するようになりました。2000年代半ばには、ヨルファダンがバージャー作品を翻訳出版し続けていることを知った翻訳家のキム・ヒョヌさんが、ブッカー賞受賞作である『G.』を翻訳したいと訪ねてきました。そのご縁から、ヒョヌさんには当時のバージャーの最新作『From A to X』(未邦訳/ハングル題『A가 X에게』)の翻訳をはじめ、数多くのバージャー作品を手がけていただきました。こうしたさまざまなご縁を経て、今日までに26冊ものバージャー作品が翻訳出版されてきたのです。

ヨルファダンが翻訳出版してきたバージャー作品は26冊におよぶ


バージャーと飲み交わした夜

──わたしは『第七の男』の翻訳に続いて、晩年のジョン・バージャーに迫ったドキュメンタリー映画「ジョン・バージャーと4つの季節」の日本語字幕制作および配給に携わっています。この映画を通じてバージャーの人となりに思いを馳せているのですが、スジョンさんが彼と直接親交をもたれた中で、特に印象に残っているエピソードがあればぜひ教えてください。

ここでは親しみを込めてバージャーを「ジョン」と呼ばせていただきますね。ジョンに初めて会ったのは2008年3月のことでした。当時、彼は80歳を少し過ぎた頃。ヨーロッパ出張の際に短い面会をお願いしたところ、予定をわざわざ調整してくださり、食事の席に招いてくれました。場所はパリ近郊のアントニーにある、彼の友人のネラ・ビエルスキの家でした。

当時、ジョンはフランス東部のアルプス山麓に居を構え、妻のベバリーと息子のイブとともに農業を営みながら暮らしていました。ただ、執筆に取り組む際には、このように小説家仲間の家に滞在するのだと話していました。

夕暮れ時、タクシーで約束の場所に到着すると、ジョンが戸口でわたしたちを迎えてくれました。背は高くないものの、がっしりとした体格で、ごつごつした手はまさに農夫の手そのもの。80歳を迎えながらも、しっかりと健康を保っている様子が伝わってきました。食事の席ではワインを楽しみ、タバコを吸い、大きな声で笑っていました。ジョンは空いたグラスを見逃さないほど洞察力に優れ、気配りも抜群でした。そのおかげでみんなお酒が進み、普段はアルコールが苦手なわたしも、つい酔いが回ってしまったことをいまでもよく覚えています。

ジョンは愉快で気さくな振る舞いを見せる一方、その仕草のなかには鋭敏さと繊細さが垣間見えました。低く太い声のなかに繊細な抑揚が潜んでおり、彼の話し方にはいつも十分な間をとる慎重さが感じられました。それは、自分の立場から話すだけでなく、相手のことばに耳を傾けようとする姿勢の表れだったのでしょう。「わたしが語り手だとすれば、それは耳を傾けるから。語り手はまるで仲介人。密輸品の運び屋のような存在」。彼は映画のなかでこう語っています。この発言や彼の著作を通じて、彼の思想の根底には"聞き手"としての姿勢がたしかに存在していることがわかります。

ジョンは翻訳出版の際、韓国の読者のために必ず序文を書いてくれました。また、時には自作のドローイングを送ってくれることもありました。そんなジョンの優しさのおかげで、いまでもわたしたちは息子のイブとの関係を保つことができていると感じています。

(上) 記事「ジョン・バージャーとの晩餐」 。2008年、ヨルファダン発刊の雑誌『本と選択』より。Photograph courtesy of Youlhwadang/(下)女優ティルダ・スウィントンが所属するデレク・ジャーマン・ラボが2016年に製作したドキュメンタリー映画「ジョン・バージャーと4つの季節」。2025年春に渋谷のイメージ・フォーラムにて公開予定。©︎ 2015 The Derek Jarman Lab


「作り難くとも価値ある本を」

──ヨルファダン設立の背景についての紹介文には「作り難くとも価値ある本をひとつひとつ編んでいくこと」という標語が含まれています。わたしはバージャーの著作をきっかけにヨルファダンを知り、韓国の伝統文化に関する書籍を取り扱うその独自のスタイルに深く魅了されました。改めて、ヨルファダンの理念や翻訳出版への考えをお聞かせいただけますか?

当社は韓国において、美術専門の出版社として広く知られているかと思います。創立当初の1970年代初頭は、韓国の出版業界全体が成長を始めた時期。それまでは文学や学術書籍が中心で、文化芸術関連の本を扱う出版社はほとんど存在しない状況でしたが、当社の代表はあえてその分野に着目し、美術に特化した出版社としての活動をスタートしました。

とはいえ、その後50年以上にわたって出版してきた本を振り返ると、美術を主題としたものばかりではなく、写真、建築、文学、人文学など、幅広いテーマを扱っていることがわかります。わたしたちが追求する価値はおそらく「美術関連の本」という枠にとどまらず、「美術的であること」「美しさ」、そして「本らしい本」にあるのではないかと思います。

ご質問にあった「作り難くとも価値ある本をひとつひとつ編んでいくこと」という標語は、その追求を言語化しているように感じます。では、ここでいう「本らしい本」とは何か。それは、本のもつ機能や役割を損なうことなく、同時に美しさを成就する本。そして、わたしたち人間の存在に対して多様な問いを投げかける本。そのように考えています。わたしたちは、特定の分野に特化した専門的な作品よりも、全人的な立場から執筆された作品に関心をもつことが多いんです。

──具体的にはどのような本があるのでしょうか。

『우리네 옛 살림집』(昔ながらの庶民の住まい)は、1960年代から40年以上にわたり民俗学者キム・グァンオン(金光彦)さんが韓国全土の伝統家屋を写真と文章にまとめた記録集です。朝鮮戦争後の急速な近代化・都市化の波により失われた朝鮮半島の古民家形態の多様な姿と構造が地域別に記録されています。家屋に限らず、当時の人びとの生活の知恵や道具など、伝統的な生活文化を立体的に描き出している作品です。

『달밤』(月夜)は、短編小説の名手と称されるイ・テジュン(李泰俊)の作品です。イ・テジュンは植民地支配からの解放直後の1946年に北朝鮮へ渡り、1950年代中盤に粛清されたとされ、それ以降消息不明となっています。『달밤』は、近代化や植民地支配の現実の中で、人間性や心理的葛藤をテーマに扱った作品で、現実社会に無力感を抱く知識人の内面を、素朴かつ詩的に描写した作品です。1988年まで出版が禁止されていましたが、ヨルファダンでは『달밤』を含む彼の名作を収めた李泰俊全集を刊行しました。

『굿, 영혼을 부르는 소리』(グッ, 魂を呼ぶ音)は、コリアン・シャーマニズムである「巫俗(ふぞく/ムソク)」文化の記録写真の第一人者であるキム・スナム(金秀男)さんが、1970年代から10年以上にわたり記録した160枚以上の写真で構成された写真集です。「굿」(グッ)は古代から死者と生者をつなぎ、共同体における人々の苦悩や癒しを共有する伝統的な儀式でしたが、近代化の波の中で迷信視され、消滅の危機に瀕していました。本書はこの儀式の価値を再発見し、土着文化を保存・再認識させるとともに、韓国の民俗文化への新たな理解を促した一冊です。

左から『우리네 옛 살림집』(昔ながらの庶民の住まい)、『달밤』(月夜)、『굿, 영혼을 부르는 소리』(グッ, 魂を呼ぶ音)。Photographs courtesy of Youlhwadang

──ありがとうございます。海外作家の本はどうでしょうか?

海外作家の本を翻訳する際も同様に、わたしたちのこのような方向性に合う作家の著作が選ばれているように感じます。バージャー作品はその良い例です。著作リストを見るだけで、彼の幅広い見識のスペクトラムを垣間見ることができます。『Confabulations』(未邦訳/韓国語訳『우리가 아는 모든 언어』)に収められた「Self Portrait」というエッセイで、彼はこう記しています。「長い間わたしに文章を書かせたのは、何かが語られる必要があるという、その直感だった。語ろうと努めなければ、初めから語ることすらできない危険があるということ。わたしは自らを専門的作家と考えたことはなく、ただどこか空いた隙を埋める程度の人間だと思っている」。彼が著作を小説や美術批評といった特定のジャンルに限定しなかったのは意図的だったのでしょう。語りの必要性を実践するためには、ドローイングであれ、他分野の作家との協業であれ、どのような形式であっても、そのまま語ることが重要だったはずですから。

このような姿勢がバージャーの開かれた視点につながっており、多くの人びとが共感できる洞察を生み出してきたのではないかと考えています。わたしたちとは異なる文化的背景をもちながらも、その感性は普遍的な共通点を多く備えており、 わたしたちがこれまで多くのバージャー作品を翻訳してきた理由もそこにあるように思います。

ヨルファダンの内観。Photograph courtesy of Youlhwadang

──以前、彼の作品のなかでも特に"愛"を題材にした短編エッセイが人気を集めているとうかがいました。その理由のひとつに、韓国の読者は文化や社会問題に高い関心を示すだけでなく、バージャーの感性的な表現を愛好しているというお話があったかと思います。改めて、韓国の読者がバージャーの著作をどのように受け止めているのか、お聞かせいただけますか。

韓国では、まずは『イメージ:視覚とメディア』や『From A to X』を手にとる方が多いかと思います。前者は美術評論界を代表する古典的な名著で、西洋絵画を中心に、イメージの背後に潜むイデオロギーの構造に鋭く切り込んだ作品です。一方、後者はバージャーの後期の小説で、ブッカー賞の最終候補にも選ばれた作品です。物語は、終身刑を宣告された男と、その男に想いを寄せる薬剤師の女性が文通を通じて交流するというもの。私的で内密な恋をテーマとしながら、それを現代的な問題として歴史的文脈に位置づけようとする、作家の卓越した技量と努力が詰まった作品といえるでしょう。この小説は、パレスチナとイスラエルの紛争を背景にしていると考えられますが、その時代や背景設定はあえて曖昧にされており、抑圧や苦痛を伴うあらゆる状況と結びつけながら読み進めることができます。ふたりの間に育まれる愛が前面に描かれつつも、その背後には濃厚な政治的メッセージが潜んでいるのです。

『From A to X』と並んで韓国の読者に人気がある作品が『To the Wedding』(未邦訳/ハングル題『결혼식에 가는 길』)です。この作品は、HIVに感染した若い女性ニノンと、彼女を愛する男性ジノの恋を描いており、ニノンが絶望や周囲への嫌悪からどのように抜け出していくのかが独特な語り口で表現されている作品です。バージャーは自らが執筆する目的について「人びとを囲い込むゲットーから彼らを解放することだ」と語っていますが、その考えは本作のテーマにも反映されているといえるでしょう。

韓国の読者は、バージャーのフィクションとノンフィクションの境界にあるようなエッセイ風の著作、あるいは美術批評とエッセイの境界にあるような散文形式の作品も好んで読んでいますが、前述のように、社会政治的要素の強いラブストーリーも楽しんでいるのです。


『第七の男』と韓国社会への視座

──『第七の男』についてお聞きします。韓国では日本と同様、あるいはそれ以上に急速な人口動態の変化や外国人の増加が進んでおり、移民問題が大きな社会的課題となっています。こうした現代の韓国社会において、『第七の男』はどのような影響をもたらすとお考えですか。また、スジョンさんが考える『第七の男』の特徴についてもお聞かせください。

バージャーは、自身の著作のなかで1冊読むべき本を選ぶとすれば『第七の男』を挙げると残していました。移住労働の問題は彼にとって、それほど早急に世界の人びとと共有すべき重要な主題だったようです。1972年に『G.』でブッカー賞を受賞した際、その賞金の半分を『第七の男』の制作費に充てたことからも、その思いの強さがうかがえます。

この本では、文章と写真が対等な関係で組み合わされています。『イメージ:視覚とメディア』も同様の構成ですが、そこでは絵が文章を補助するわけでも、文章が絵を補助するわけでもなく、ふたつの異なる構成要素がそれぞれ同等な"言語"として読み解けるよう編集されています。この作品は、生涯の友人であった写真家ジャン・モアとの協業の理想形を体現した一冊ともいえるでしょう。他分野の作家と協力し合い、彼らの視点を柔軟に取り入れるバージャーの開かれた姿勢、また、異なる要素を編集者のようにまとめ上げる独特の著述法によって展開されるこの作品は、編集者であるわたしにとってもとりわけ興味深い一冊です。

『第七の男』は出版からすでに半世紀が経過しましたが、この本が扱う主題は、現代においてもなお重要性を失っていません。人件費の高騰や大都市への人口集中に伴い、韓国では都市部と農村部の双方で外国人労働者や移住労働者の数が増加傾向にあります。それに伴い、彼らに対する搾取や差別が深刻な社会問題として長らく顕在化しているからです。

バージャーが芸術を判断する美学的基準は「作品がいかに人びとの社会的権利への認知を喚起し、主張または助けあうための勇気を提供できるか」というものでした。1960年、彼が33歳の頃に宣言したこの考えは、晩年に向けて表現が柔らかくなりつつも、彼の著作全体を一貫して支える核となっていました。「人生は、常により良いものへ向かいたいという渇望が心から消えぬほど、辛さを増すだろう」。『A Painter of Our Time』の巻頭で引用されるマクシム・ゴーリキーのことばのように、『第七の男』は悲哀や悔恨に満ちた名作であり、わたしたちの世代が読み継ぐべき作品であると感じています。

これまで18カ国語以上で翻訳出版されてきた『第七の男』。左上は2010年刊行の英語版(再販版)、右上は2004年刊行のハングル版。中央にあるのが2024年に黒鳥社より刊行された日本語版だ。Photograph by Sungwon Kim (BABELO)


"出版都市"の存在理由

──ヨルファダンはソウル西部のパジュにあるブックシティを拠点としています。ニューヨークタイムズの特集記事でも紹介されたように、パジュ・ブックシティは韓国の文化産業と地域行政が協働しながら進めている実験的プロジェクトだと理解しているのですが、ヨルファダンはどのような経緯でこの特区構想に参加することになったのでしょうか。

パジュ・ブックシティの都市計画は1980年代末、出版業界の複数のプレイヤーが集まり、共同で効率的な出版のエコシステムを構築しようという挑戦から始まりました。この計画は、政府による産業的支援を受ける「国家産業団地」でありながら、民間が主導して計画を立案し、政府がそれを受け入れて進められたというめずらしい事例です。

ここは自然に形成された都市ではなく、特定の目的のもとに人為的に造成された特区として位置づけられています。1970年代、朴正煕政権下の開発独裁(政府や指導者が強い権限をもち、経済成長のため工業化を政策の最優先課題に掲げ、それに反対する勢力を抑圧する国家運営の形態)は危機的な産業空間を残しました。そこから脱却し、人間性の回復と共同価値の追求を目指す理想的な都市として計画されたこのプロジェクトです。計画段階や建設過程では多くの懐疑的な意見が寄せられたそうで、特に都市計画の専門家からは「なぜ出版社が1カ所に集まる必要があるのか?」という疑問がたびたび投げかけられました。わたし自身も入居後にその問いを自問し続けたことを覚えています。

この都市の存在理由を証明するには、まだ時間が必要かもしれません。ただ、実際に訪問していただければおわかりいただけると思いますが、出版や印刷、製本、紙類、流通など、出版関連のさまざまな企業が近接しているため取引が便利で、費用削減の効果が期待できる点はたしかなメリットといえるでしょう。それ以外にも、わたしなりの解釈で説明するならば、"本"という媒体と"出版"という産業が内包する他の産業との根本的な"異質性"が、その理由のひとつではないかと思います。つまり、本は商品でありながら、単純に商業性だけに頼ることは許されず、また、時代と密接に結びつくことが求められる一方で、時代から距離を置くことも必要とされるのです。こうした産業特有の"異質性"を維持するために、ソウルという大都市から適度な距離を保ちながらも近接しているこの地域で、同業種の事業者が共通の理念のもとに集まり、特区を形成してそれぞれの空間を創造する──このような取り組みは、地球上のどこかで一度は挑戦してみる価値があるのではないでしょうか。わたしたちの「열화당책박물관」(ヨルファダン博物館)も、その試みを空間的に具現化した例といえると思います。

パジュ・ブックシティの風景。人口約50万人の小さな都市で、にぎやかな首都・ソウルとは対照的に、落ち着いた街並みが印象的だ。1998年、出版に関わる事業者を1カ所に集約することで生産・流通の効率化を目指して開設された都市である。Photographs by Kazuhiko Washio


出版社の蔵書を外へ開く

──出版社の名前を冠した「ヨルファダン博物館」は、どのような理念のもとに開館し、これまでどのような展示を行ってきたのでしょうか。

"居住"ということばがありますが、それは"滞在"のような一過性の概念とは異なり、建築を通じてその場所に深く刻まれることを指すそうです。建築という存在が、外形だけでなくその内部を埋める要素までも含むと考えるなら、「ヨルファダン博物館」は、わたしたちがこの出版都市に居住する上で重要な基盤のひとつとなるでしょう。ここでは、ソウルの狭小な都市環境では想像もできなかったような広々とした空間を利用し、これまでヨルファダンが本の制作過程で収集してきた蔵書を一挙に紹介すると同時に、その理由を再構成することができるのです。本というメディアは、自ら開かなければ読むことができない、能動性を必要とする静的な媒体です。そして本は、それ自体で完結した構造をもつように見えますが、決してそれだけで完成するものではありません。本とは、"本たち"という集合体のなかで他の本の力を借りて意味が誕生し、さらにその意味を増幅する存在なのです。

ご覧いただくとおわかりいただけるように、「ヨルファダン博物館」は一般的な博物館とは異なり、図書館、書店、資料室、博物館といった多面的な機能を兼ね備えています。一見すると平凡な本たちに見えるかもしれませんが、実際にはめずらしい蔵書が数多くそろっており、編集者の目には価値のあるものばかりです。

いわゆるアートブックのような芸術作品でない限り、本は一定数以上の複製を前提に生産され、共有されるメディアです。「ヨルファダン博物館」では、単にウィンドウに飾られた遺物や写真映えするだけの作品ではなく、継続的に活用され、新たな文脈で再解釈できる本を収集することを基本理念としています。こうした蔵書を通じて、当社の編集者やデザイナーは本づくりに必要な見識を育み、出版都市の隣人たち、そして本を愛する読者のみなさんとともに「本文化」の理解を深めることに貢献する──それがわたしたちの運営目的といえます。

その一環として継続的に開催してきたのがテーマ別の文献展です。「韓国の音楽」「韓国の民芸」「ハングル」「韓国の自然」「韓国の文学」といった展示に続き、今年は「韓国の視覚文化」をテーマに展示会が開催されています。この展示では、韓国における視覚文化を記録した国内外の図書約1100点を、近代と現代に分けて紹介しています。会期も残りわずかとなりましたが、ソウルにお越しの際はぜひお立ち寄りいただければ幸いです。

(上)2013年春に開館した「열화당책박물관」(ヨルファダン博物館)。もとはヨルファダンの社員専用の図書館としてつくられた。開館時間や入場料などは公式サイトをチェック。Photograph courtesy of Youlhwadang/(下2枚)現在開催中の「우리의 시선이 머무는 곳: 기록으로 보는 한국의 시각문화」(私たちの視線が留まる場所:記録で見る韓国の視覚文化)展の展示物。Photographs by Kazuhiko Washio

金聖源|Sungwon Kim 1985年ソウル生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業後、2007年電通入社。 国内外大手企業の広告制作と新規事業開発に従事。2019年ロンドン大学ゴールドスミスで文化起業論、2020年に奨学生としてブリストル大学で移動・移民 学のふたつの修士号を取得。英フィナンシャル・タイムズ勤務を経て、東京を拠点に異文化間コミュニケーションや日英韓の文化翻訳活動を展開している。https://babelo.co


Photo by Hiroyuki Takenouchi

『第七の男』
ISBN:978-4-910801-00-1
ジョン・バージャー(著)/ジャン・モア(写真)
金聖源、若林恵(翻訳)
造本・デザイン:藤田裕美
発行日:2024年5月15日(水)
発行:黒鳥社
判型:A5変形/256P
定価:2800円+税

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