犯罪王トランプの肖像:マグショットをめぐる小史 【若林恵|深夜特報#02】
2023年8月24日。組織的な選挙妨害を行った容疑で、トランプ前大統領がジョージア州で逮捕された。トランプはアトランタ市内にあるフルトン郡拘置所に赴き、その場で「逮捕され、指紋を採取され、身長・体重などを報告し、顔写真を撮影された」とBBCは報じている。
トランプ前大統領が逮捕されるのは今回で4度目、罪状は90を上回るとされる。すでにして珍しくなくなりつつある逮捕劇が大きく世間を賑わせたのは、逮捕そのものよりも、拘置所で撮影された記録用顔写真、俗に言う「マグショット」が公開されたからだった。
逮捕以前から、「トランプのマグショット」は議論の的となってきた。今年4月にマンハッタンで逮捕された際にも、マグショット撮影の有無が論じられた。ニューヨーク・タイムズはこう報じている。
トランプに限ってマグショットは必要ないというのが、ニューヨーク・タイムズの見解だ。しかし、記事タイトル「トランプのマグショットが撮影されない理由」からも明らかなように、世間はそれを見たくてうずうずしていた。8月24日のマグショット公開は、まさに待望の瞬間だった。
反トランプ陣営は、犯罪王トランプの犯罪者たる証がついに晒されたと言わんばかりに話題に飛び乗った。トランプのマグショットが大型スクリーンに映し出された瞬間、客席が湧き上がり総立ちになるバーの映像がミームとして拡散した。8月26日付のニューヨーク・タイムズのオピニオン記事は、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』を引用しながら、トランプの肖像をこう論じた。
一方、メディア巧者のトランプは、本来であれば屈辱の一枚であるはずの写真を、すぐさま反撃のツールとして用いた。2021年1月8日の投稿を最後にツイッターから姿を消したトランプは、「X」と名を変えたソーシャルメディアプラットフォームに、自身のマグショットに「選挙妨害/降伏せず」の文言を添えて帰還した。
トランプ支持者は、ただちに熱狂した。屈辱の一枚になるはずのマグショットは、むしろ支持者を駆り立てた。先に挙げたバーの映像は、ただちに反転され逆ミームとして拡散した。画像をあしらったTシャツやマグカップが、その日の夜のうちに販売されはじめた。ヴァニティ・フェアやウォール・ストリート・ジャーナルは、ヒートアップするトランプ・ファンダムの「マーチ祭り」を皮肉混じりに報じた。トランプ陣営も即座に公式Tシャツの販売を開始した。電光石火のマーチ攻勢は、10億円以上もの資金を集めたとされる。
もっともトランプ公式がマグショットをTシャツに用いたのは今回が初めてではない。今年4月にニューヨークで逮捕された際にオフィシャルのマグショットマーチが販売されている。ニューヨーク・タイムズが上記の記事で予測したとおり、このとき警察はマグショットを撮影しなかった。トランプ公式は、それを逆手にとり、偽マグショットをあしらったTシャツを36ドルで販売した。マグショットはトランプ陣営に利をもたらした。逮捕されるたびにトランプの支持率は上昇した。
準備はすでに整っていた。トランプ自身も、ファンダムも、おそらくは本物のマグショットが投下されるのを心待ちにしていた。眉間にしわを寄せ眼光鋭くカメラを睨む威圧的な表情は、公開後の反響を見越した上で慎重に計算されたものだったはずだ。トランプは屈辱の瞬間を、生涯最高のポートレートを撮るシャッターチャンスへと変えた。
右派左派メディアともに、このマグショットが歴史に残るであろうことに同意している。アメリカの歴史上、元大統領のマグショットが撮影されるのは初めてのことだ。トランプは間違いなく、アメリカのマグショット史に大きな足跡を残した。
マグショットの豊穣な歴史
アメリカは、「マグショットの歴史」という他国にはないユニークな社会文化史を有している。トランプのマグショット公開を受けて、ソーシャルメディア上では、過去の歴史的なマグショットを振り返る投稿が少なからず見られた。
屈辱的なマグショットの系譜には、例えばO・J・シンプソン、ヒュー・グラント、ニック・ノルティ、ジェームズ・ブラウン、リンジー・ローハンがいる。
歴史に名を残すマグショットとしては、アル・カポネ、マーティン・ルーサー・キング、マルコムX、ローザ・パークス、ミシシッピのフリーダム・ライダーズの面々、ジェーン・フォンダの画像などが知られている。アメリカ以外の歴史的マグショットとしては、レーニンやスターリンの写真が残されている。
セレブのアイコニックなマグショットということで言えば、フランク・シナトラ、エルヴィス・プレスリー、ジム・モリソン、ジミ・ヘンドリックス、デヴィッド・ボウイ、スティーブ・マックィーン、キアヌ・リーブス、ビル・ゲイツ、カート・コベイン、エミネム、Jay-Z、ジャスティン・ビーバー等々、枚挙にいとまがない。
歴史を振り返ってみると、マグショットは、それが「犯罪者」(撮影された時点ではあくまでも判決前の容疑者)の写真であるにもかかわらず、否定的には受け止められていないことがわかる。マーチン・ルーサー・キングやローザ・パークスのマグショットに「唾棄すべき犯罪者」の姿を見る人は、いたとしても少数派だろう。左手の拳を掲げたジェーン・フォンダのマグショットは70年代のフェミニズム運動を象徴する写真とされている。社会史的な意義はなくとも、フランク・シナトラのマグショットは、現在もポスターとして売られるほどいなせだ。キアヌ・リーブスのマグショットは、その後撮られたどんなポートレートも凌駕する魅力を放っている。マグショットには、ほかのあらゆるポートレートとは決定的に異なる何かがある。
メンズカルチャー誌のエスクァイアは、2016年に「犯罪史に残る、最もスタイリッシュなセレブリティ・マグショット11」という記事すら掲載している。マグショットに映し出されたセレブはファッション・アイコンですらある。
セレブだけではない。オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ警察で主に1920年代に撮影された市井の犯罪者たちの写真群は、おそらく世界で最もスタイリッシュなマグショット・コレクションだ。スタイリング、ヘアメイク、表情、構図のすべてに目を奪われる。ファッションフォトと見紛うばかりの写真は、BBCのTVドラマ『ピーキー・ブラインダーズ』の衣装考証において参照されたほか、故カール・ラガーフェルドにもインスピレーションを与えたとも言われる。2017年にはシドニー博物館で展覧会も開催された。
ベルティヨンの発明
そもそも警察が容疑者の写真を撮影し、事件資料として保管するようになったのは19世紀半ばのことだという。写真という新たなテクノロジーを犯罪捜査に役立てることを世界に先駆けて取り組んだのは、パリ警察だとされる。
マグショットの起源を語るにあたって、パリ警察のアルフォンス・ベルティヨンという人物の名がよく言及される。ベルティヨンは、しかしながら、マグショットの生みの親ではない。人類学を学んだベルティヨンがパリ警察で最初に任された仕事は犯罪者の写真の管理だった。
容疑者の写真が犯罪捜査に導入されたのは、累犯者を特定するのに役立つと考えられたからだった。ある事件の逮捕者が警察に連行された際に、写真のアーカイブのなかから同一人物を探し出せるようにすることが当初の目論みだった。
しかし、1874年に開設されたパリ警察写真局の写真データベースは、マグショットを撮り始めてわずか8年で7万5000点にまで膨れ上がってしまう。ベルティヨンは、そのデータベースから累犯者を探す任にあたっていたが、「被告がひとり連れられて来るたびに、7万5000枚を順番に調べろとおっしゃるのか? 絶対に不可能だ」と、至極もっともな悲鳴をあげたとされる。
ベルティヨンは、その非効率を打破すべく一計を案じた。ベルティヨンのイノベーションは、写真を捜査に導入したことではなく、むしろ撮った写真をどう分類するかにあった。ベルティヨンは、それまで名前のアルファベット順に整理されていた資料を、身体的特徴に従って分類することを提案する。
表象文化論を専門とする橋本一径の『指紋論:心霊主義から生体認証まで』は、生政治の歴史を認証技術の発展・受容史から辿った画期的に面白い本だ。橋本はこの本でベルティヨンのアイデアをこう解説する。
このように容疑者たちの身体を計測し、その特徴にしたがって分類する方法は「人体測定法」と呼ばれる。トランプがジョージア州の拘置所で、身長と体重を申告することを求められたのは、おそらく、この人体測定法の名残りだろう。報道陣によれば、トランプの自己申告による身長と体重は、俳優のクリス・ヘムズワースのそれと同じだったことから虚偽申告を非難された。とはいえ、正式に計測もしていない自己申告の情報が記録されているところに、マグショット撮影を含めた逮捕における手続きが、むしろ儀礼・儀式と化していることが伺われる。
いずれにせよ、ベルティヨンは、ほどなく数万点のデータベースのなかに累犯者を見つけ出すことに成功する。さらに、1887年までに6万件以上の測定を実施し、そのうち約1500人が偽名を用いていたことを特定する。この過程で、ベルティヨンは、もちろん、写真を撮影する方法も「科学化」した。
その後のマグショットの基本様式となった横顔の撮影は、ベルティヨンの発案だった。しかし、彼が実施した「人体測定法」は手間がかかるものだった。加えて、写真や計測だけでは「それがその人物である」ことを立証するには不十分だった。写真はせいぜい、それがある人物に「似ている」ことしか明かせない。そこに指紋捜査という画期的な手法が登場する。指紋は、写真が到達できなかった「人物の同一性」を客観的に特定することを可能にした。マグショットの有用性は低下した。
ジョージ・セミナラの著書『マグショット:ハリウッド犯罪調書』は、ニューヨーク市警が指紋鑑識を導入したのは1903年だとしている。その後、それは「野火が広がるように猛烈な勢いで世界中に普及し、1920年代までにベルティヨン式身体計測法を駆逐してしまった」と書く。
アメリカに現存する最古のマグショットは、ミズーリ歴史博物館に残るもので、1861年に撮影されたものとされる。アメリカの法執行機関は、パリの最先端の捜査手法をいち早く導入していた。であればこそ、指紋の登場によるマグショットの退潮がいち早く察知されていてもおかしくはなかった。しかしアメリカにおいて、マグショットは以後100年以上も廃れることがなかった。
アメリカの法執行機関は、撮影したマグショットを積極的に公開することで、それを文化として社会に定着させた。19世紀以来、アメリカの警察では容疑者たちのマグショットを市民にむけて公開する「ならず者のギャラリー」(Rogues' Gallery)が一般化した。市民は、好奇心と怖いものみたさに駆られながら、警察が公開するマグショットを楽しみながら鑑賞したという。以後、マグショットはアメリカの情報生活において、ごく最近まで極めて身近なものであり続けてきた。
また、マグショットをめぐって20世紀に入って起きた大きな変化は、それまでは外部の写真家が撮影していたマグショットが、警察自身によって内部で撮影されるようになったことだとセミナラは書いている。ファッションフォトと見紛うような、オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ警察のコレクションに見られるスタイリッシュなマグショットは、こうした事情によって消え去ることになった。しかし、警察が撮影した素っ気ない即物的なマグショットは、その「生々しいリアリズム」ゆえに、大衆のより生々しい注目を集めることになったとセミナラは指摘する。
抑圧のツールとしての写真
NBC Newsは、ジョージ・フロイド事件と、それに続くBlack Lives Matterのプロテストを受けて、「マグショットに反対する:人種差別的警察機構による非人間化ツール」というオピニオン記事を2020年に掲載した。記事はマグショットの撮影と一般公開がもたらした歴史的な害を訴える。
「人種差別に基づく疑似科学的な理論」と非難されているのは、まさにベルティヨンの「人体測定法」だろう。橋本一径は、ベルティヨンが導入した手法が、当時の人類学の知見を踏まえたものであったと説明している。
NBC Newsの記事はついで、アメリカでのマグショットの隆盛において、ニュースメディアが果たした役割の大きさを指摘する。
当初想定されていた犯罪捜査への貢献が早い段階で期待されなくなっていたにもかかわらず、マグショットがかくも長く生きながらえたのは、その図像が市民にもたらす効果が絶大だったからだろう。そして、その効果は政治化された。
ようやく近年になって、アメリカでもサンフランシスコやニューヨークといった地域では、マグショットの撮影や公開が控えられるようになった。アメリカ中で知らない人はいないトランプの顔写真を、警察が撮影する理由はどこにもない。にもかかわらず、それが議論の対象となるのは、相変わらずマグショットの効果が絶大であることの証左にほかならない。
NBC Newsの記事は、マグショットの公開規制の2020年時点での状況を、こう説明する。
ジョージア州で公開されたトランプのマグショットは、他メディア同様、NBC Newsにも掲載された。
「社会の敵」だけが社会を規定する
マグショットが、アメリカの法執行機関にとって格好の人種抑圧ツールとして用いられてきたのは、NBC Newsの記事が指摘する通りにちがいない。一方で、キング牧師やローザ・パークス、あるいはジェーン・フォンダらのアクティビスト/プロテスターたちのマグショットが、政府や体制に対する抵抗のアイコンとして流通してきたのも事実だ。マグショットは屈辱の表象である一方で、国家や体制への叛逆の表象でもある。マグショットにおいて屈辱と抵抗は、コインの裏表をなしている。それはまた、現代社会における犯罪者という存在の両義性とつながっている。
20世紀は実際、犯罪者に強く魅せられてきた世紀だった。ドイツの詩人/批評家/ジャーナリストのエンツェンスベルガーは、1964年の名著『政治と犯罪』で、ドミニカ共和国の独裁者トルヒーヨから、ロシアのテロリスト、アル・カポネといった犯罪者を俎上にあげ、現代社会と犯罪者の関係を分析する。まえがきにあたる文章で、エンツェンスベルガーは、「犯罪者は、現代の神話の基本的な構成要素のひとつである」と書いている。
いまであれば、「ある程度遠くで起こっている戦争」を「ウクライナでの戦争」に、「まだ起こっていない戦争」を「中国との戦争」に、そして「つまらぬ犯罪者」を「トランプ」に置き換えて読むのがふさわしいだろうか。エンツェンスベルガーはついで、犯罪者に対する熱狂のメカニズムを、こう分析する。
過去の犯罪者たちのマグショットを眺めるときに感じる感情のなかには、たしかにことばにならない葛藤がある。憎悪と憧憬。あるいはそこに「感謝の念」さえあると言われれば、そんな気もしなくもない。マグショットは謎めいたパラドクスだ。そしてエンツェンスベルガーは、それが法というもの自体が孕むパラドクスであることを、ヴァルター・ベンヤミンの「暴力批判論」を踏まえながら説明する。
法はアウトローの存在によって、はじめて定義され、法として認識される。別の言い方をするなら、犯罪者の姿を通して、わたしたちは国家というものの姿を目の当たりにする、ということでもあろう。あるいは、社会の敵だけが、社会を規定する。
トランプがアメリカの政治を恐慌に陥れ、民主党のみならず、とりわけ共和党の一部から蛇蝎のごとく嫌われているのは、かれがエスタブリッシュされた制度の枠外から、それまで隠されてきた国家の本当の姿を浮き彫りにしたからではないか。
真実であろうとなかろうと「アメリカ政府はディープステートが棲息する沼である」と語ることで、トランプは自らをアウトローの身においた。であればこそ、トランプが必要としていたのは、犯罪者としての、国家からの公式な承認だったとも言える。トランプのマグショットは、その意味で、待ちに待ったお墨付きだったのかもしれない。
これは決して終わりではない
The Atlanticはトランプのマグショット公開翌日に、「このマグショットは警告である」と題した論評を公開した。マグショットの歴史を振り返りながら、記事はこう書いている。
トランプは、この逮捕劇がバイデン政権による司法の私物化による「魔女狩り」だと非難する。8月26日のNewsweekが報じた調査は、トランプの言い分にならって、この逮捕劇が2024年の大統領選の選挙妨害であると考える有権者がどの程度いるのかを伝えている。
また、中国共産党の機関紙「人民日報」傘下の「Global Times」は以下の論評を公開し、高みの見物を決めこんだ。