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地域で疲弊しないために「仕分け力」で私を取り戻す

地域おこし協力隊がブラックだとなりがちなのは、ミッションがうまくいくいかない(そしてそもそもうまくいかないミッションが設定されることが多い)も含めて、結局のところ地域の人との関係性作りがうまくいくかどうかです。

ミッションがうまくいかないから関係がおかしくなる。協力隊という名前のせいで上下関係ができやすくなる。そしてブラックへ。そんなことをこれまでも書いてきました。

そういう地域おこし協力隊を取り巻く環境があるのは事実ですが、それを理由にしてしまっては大切なあなた自身の時間が無駄になります。

前回の記事で私が地域のボスな皆さんと仲良くなるために、具体的な例として「ルビーの指輪」を使った話をしました。

今回は地域であなたが疲弊しないために、もう少し一般的な話として「2つの輪」の話をします。

大切なことは本から学ぶ

読書はしますか?人生の大切なことは本から学べるときがあります。私の場合もいくつか人生を変えてくれた本があります。何度も何度も読んだ本。何年かたって読みなおすとまた新たな理解が深まる。日々に流される中で、またあの本読んだ方がいいかもなと頭に浮かぶタイトルがいくつかあります。

「7つの習慣」はその中のひとつです。大学生のころに始めて読んだのでかれこれ30年もの間、私に影響を与えています。たくさんの学びがある本ですが、この本で私が良く話をするのは2つです。

ひとつは「刺激と反応の間にはスペースがある」話。もうひとつは「影響の輪と関心の輪」の話。私にとって前者もすごく大事な話なのですが、今回は後者についてです。

この話は数年前の大ベストセラー「嫌われる勇気」で心理学者のアルフレッドアドラーが「課題の分離」として提示したものと同じです。(アドラーが先でそれが下敷きで7つの習慣で述べられている関係のようです)

影響の輪と関心の輪

影響の輪と関心の輪を表す図は、シンプルな2つの同心円です。内側が影響の輪。外側が関心の輪です。

影響の輪と関心の輪
影響の輪と関心の輪

影響の輪とは「自分が影響を与えられる範囲のこと」です。関心の輪は「関心を持つことはできるけど、直接的に影響は与えられない範囲のこと」です。

明日の朝何時に起きるかの決定には影響を与えられます。そして明日の天気がどうなるか?は関心事かもしれませんが、なんらかの影響は与えられません。

自分でコントロールできることが影響の輪であり、コントロールできないことが関心の輪です。

影響の輪に集中するための仕分け力を持とう

人生を好転させるコツは影響の輪に集中することです。その輪の中には自分のできることが並んでいます。そこで力を使えばなんらかの結果が出て、だんだんできることが増えます。

一方で関心の輪に時間を使ってもやきもきするばかりで影響は与えられず、徒労に終わります。

今あなたのやろうとしていること、心奪われていることは「影響の輪」と「関心の輪」のどちらにありますか?

その仕分けをきっちりすることです。あなたがその仕分け力を持てるかどうか?それが問われています。

そう問われたら自分は「影響の輪」に集中していると思うかもしれません。でも、多くの場合かなりの確率で関心の輪に時間を取られています。

話す言葉の主語に現れる

アドラーはこの2つの輪のことを「課題の分離」と表現しました。端的に言えば「自分のこと=影響の輪」「他人のこと=関心の輪」です。それをしっかり「分離しなさい」と言います。そうしないと人生が他人に支配されてしまう。

自分事に集中しているか、他人ごとに集中しているかを見分ける簡単な方法があります。それは「私は」を主語に話をするか、「(自分以外の)〇〇が」を主語に話をするかです。

日本語は非常にあいまいな言葉で主語が明言されなくても成立します。英語などの言語では必ず「I」なり「You」なり主語が入ります。常にその動作(動詞を用いる)の対象が示されます。それはその動作を行う責任主体が明確ともいえると思います。

日本語はそこがあいまいでも成立するからこそ、日々話をするときに意識をしないと「自分のこと以外が主語の会話」が増えてしまいます。増えていても気づきにくいです。

「地域が」を主語にしだすとしんどくなる

たくさんの協力隊と話をしてきましたが「地域が」を主語に話をし始めることが多いです。もしくは地域に対して「受け身」表現で話すケースです。受け身表現はその文字の通り主体的ではなく相手にゆだねています。

地域が〇〇、地域に〇〇させられる、求められる。「地域が」は「行政が」にも変わりますし、「(地域の中の)〇〇さんが」にも変わります。

あとは噂話なんかも完全に関心の輪になります。「自分以外の誰かが、自分以外の誰かのことを〇〇と言っていたらしい」、そんな話を誰かにするのは本当に無駄だと思います。

「自分以外の誰かが『自分のことを』〇〇と言っていた、と聞いた」といったケースはどうでしょうか?そのことをあたなに言った人がそもそもダメだと思います。かろうじて、だからその〇〇さんに××の話をした方が良いよ、とかあなたがその人に影響を与えるためのヒントをくれたならいいです。でも、ただそう言っていたよだけなら、その人はあなたの友達でもなんでもないと思います。

私は「無視する(やりすごす)」も立派な選択肢

地域の中でどこかの誰かが自分のことをなんらか悪く言っていたと聞かされれば、それは気持ちはしんどくなります。でも、その話を聞かされただけでは自分は何も影響を与えることはできません。

影響を与えるなら「その人」となんらか話をする必要があります。

でも、すぐにはそれは叶わないこともあると思います。そういうときは「私は」を主語にして「私は無視する」と決める。無視すると言い切るのが難しければ、「私はやりすごす」と少し動詞を変えてみてもいいです。もしくは「私はひとまずやりすごす」と一定期間の猶予を与えてもいいです。とにかく私はを主語にして明確に言うことです。自分の中で無理のないニュアンスになるように調整しつつ、心に決めましょう。

影響という言葉はなんらかアクションを起こすイメージがありますが、必ずしも影響を与えようとしなくてもいいです。私がこの件に関して何もしないことも「しっかり選択したなら」それでいいです。

どんなときも自分を主語にして、やるにしてもやらないにしても、明確に選択していることを意識する。そうすることで「やらされ感」や「どうにもならない感」が薄まります。ブラックが少しホワイトに中和されます。

主語に「私」を取り戻そう

地域おこし協力隊として「新しい場所」に「なんらかの役に立つために」行く。役に立たなくては、結果を出さなくてはとのプレッシャーもかかる。成果が出れば認められるんじゃないかと思うけど、簡単に結果は出ない。

周りの状況に振り回され始め、あなたの会話の中から「私」はだんだんと姿を消し、その代わりに「地域(周りの環境)」が台頭してくる。

主語に「私」を取り戻そう。

私は主語が私になっていない地域おこし協力隊の人と対話をするときには決まって

「で、あなたはどうするの?」

と聞きます。周りはどうでも良い。あなたの言葉、あなたの意思が聞きたい。そこで強気な言葉が聞きたいわけではない。どんなに弱々しくてもいい。今ここで目の前にいるあなたの「等身大の私」の言葉が聞きたい。

それが聞ければ、「そっか、じゃあこういうところからやってみたら」などと助言もできるようになります。なのですが、「弱音を吐いてはいけない」そう思うのか、なかなか「素の私」を出してくれません。

責任感だよなあと思いつつ、無理しなくていいんだけどなと感じています。

あなたが私に「素の私」を見せてくれるかどうか?はあなたの選択であり、私にとっては「直接影響を与えられない関心の輪の範囲」です。私にできることは、素のあなたを安心して出してもらえるような人間になることです。それを考えて実行することが「影響の輪に集中すること」です。

地域に入る側も、地域で受け入れる側も、それぞれがしっかりと影響の輪に集中してコミュニケーションがとりたいなと思っています。

次のnoteでは「影響の輪の広げ方」について書いてみようと思います。


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