何かを残すという事は、誰かを助けるという事
はじめに
この記事では、2024年の初夏から年末までの情シス業務の中で直面した困難と、それに対する対策、そして学びをシェアしたいと思います。
自身の心情や当時の状況に焦点を当て、どのように乗り越えたかについて、同じような方へのエールとなればと思います。
その情シスは絶望と失望感の最中にいた
時は2024年の初夏に遡るーー。
その情シスは絶望と失望の最中にいた。
ともに業務を進め切磋琢磨してきた仲間達の卒業、脱退が彼の心に傷を負わせていたのだ。
別れによる失望と、残された仕事の多さに(大げさ)寝込むほど失意の底にいたのだった・・・。
「あれは、千尋の谷に落とされた気分でしたね」(本人より)
要はチームの中から退職者が複数名いまして、やっべー、これからどうしようとなってました。数字で言うと3名→1名になったのです。
業務を行うだけでなく、物事の一次判断も私に課せられる状況となったので、胃が痛かったです。
引き継ぎと覚悟を決める
情シスの担当分野は大きくわけて4つです。
リソースの問題から保留となっている業務もあります。
アカウント発行やデバイス管理など、定型的な管理業務はじめ引き継ぎは出来ていましたが、以下の問題が個人的に課題でした。
地方のフルリモート勤務だと、明日出社しますね、という機敏な出社対応は難しい。どうしたものか、と悩んだり、業務量も多かったので数日は落ち込みました。
ひとしきり寝入った後に、こうなったからにはやるしかないよねっていう背水の陣で、とりあえずやろう。谷に落ちたら這い上がるだけ。ネット上には先人たちの知見があるし、情シスSlackもあるし、SNSもあるし、中でダメなら外に聞ける場所はいっぱいある。
そうだ!いっそ、俺の世界を作ればいい!とポジティブに捉え、やーってやるぜ!と言う、ちょっと危ない精神論で動くことにしました。
社内からの信頼+作業時間を作るためにやったこと
とはいえ思っていた通り、業務量も多かったので普段より負荷は上がりました。
初夏〜年末にかけて振り返ってみると大変だったもの(現在の活動中も含む)
- ISMSの体系や普段のPDCAの解像度を上げながら活動のリード
- 情シス業務の見える化(情シスは普段何をしているか)
- 資産管理の全体的なルール見直し、洗い出し、所在確認など
- タレマネ導入に向けて検証やアクセス権、データ整合の確認
- 複数年契約のSaaS値上げに対して更新が必要な説明資料や他社製品検討
時間にすると、月平均20時間くらい?作業時間が増えました。
引き継ぎ後、1人でやる事になってからタスク漏れ、手戻りが結構あった他、ヘルプデスクが溜まると、諸々、作業進捗が遅くなってました。
クレームこそなかったのですが、まだですか?とリマインドをされた事もあったので、快く思われてない雰囲気もあったかもなあとリモートながら感じていました。
このままでは情シスに対する信頼も落ちるし、心やっちゃう!と思ったので作業改善に乗り出します。
作業時間の捻出
朝、昼、夕の30分ほどはSlackをオフにして通知を切り、集中タイムを作る
Slackスタンプを使って投稿を見てます!アピール
カレンダーに作業ブロックの時間も入れる(大体会議が入ってこなくなる)
AMはこれ、PMはこれと時間刻みのマルチタスキングに出来ないなら、この日はA、明日はBと決めてそれ以外はやらない、シングルタスクの脳にする
資料は最初から100%を目指さず、背景、目的、ゴールセット、メリデメ、のような型を決めて、あとはMTGやレビューで完成形にするなどして時間を短縮
社内からの信頼を得るために透明性を意識
定型的な業務(アカウント発行やキッティング)
Jiraでタスクを起こす->サブタスクが自動で出来上がる仕組み作り
上記をチェックリストにして、総務や後にJoinする業務委託へ依頼できる体制
サブタスクの項目を下地に作業レビューをしてダブルチェックを行いミスや手戻り防止
週間〜月跨ぎタスク(開発だったりシステム改修)
タスクを細かく切って作業漏れ防止
細かなタスクに期限を切ってタイムラインにして進捗を見える化
情シス業務の全体的な見える化
情シス業務をカテゴライズ(例:アカウント発行->入退社)して、カンバン管理にして、日々のタスクを管理する
カンバン化したカテゴリ毎にタスクの数を登録して、ボリュームの見える化
ヘルプデスクはSlackワークフローからSlackリストに転記して対応漏れの防止
日報はカテゴライズ毎に何をやったのかを記載する
体調と精神管理
普段よりコミュニケーションを取る、情シスの業務や進捗をはJiraやSlackリストを見てくださいとアウトプットする、を心がけました。
普段リモート勤務なため、細かな連絡を始め、安心を伝える文章にする、というのは、特に大事にしてました。(参考したスライド)
年末まで駆け抜けて振り返ってみると
正直、あ、できた。やれてる。と言う感想です。
不安はいっぱいあったのですが、正直、そんな事を言ってられない思ってられない状況だったので、わからないなりにトライ&エラーを繰り返してたら、いつの間にかISMS審査も終わってたなあ、と。
レポーティングが意外と評価された
JiraやSlackリストを見れば情シスが何をしているのか見れる
依頼者は自分のタスクがどこまで行われているの見れる
日報でカテゴリ分けして日々のボリュームを伝える
定例ではカテゴリ毎の取り組み率を数字(%)で示す
上期のFBでは、Mgrと役員から良評価をもらいましたし、グループ内の表彰もいただけました。直接ではありませんがCEOやCOO、他グループのMgrからも良くやってくれていると賛辞をいただけ、ああ、頑張ったんだなと実感は湧きました。
既に構築された環境(ITインフラや虎の巻)があったから乗り越えられた
幸いにしてキッティングはMDM管理で対応。物理的なエラーやオフィスでの交換は、知見のあるエンジニアたちや、社内のバックオフィス部門の力を借りてなんとか乗り越えられました。
ISMSのPDCAも情シス業務も、退職したメンバーたちが残したドキュメントやSlackの過去ログ、進め方が記載されたナレッジ、沢山の資料に助けられました。
過去資料がある。過去ログがあるから後追いができる。情報を残すという文化+それを守っている組織の文化と実行している人たちに非常に助けられたなあ。
慢心、ダメ絶対。ひとりで乗り越えられたわけじゃない
結果として苦境を乗り越え、自信もついて少しずつ安定軌道に乗せられています。
とはいえ、ISMSや情シスの業務整理、環境整備は先人たちの残した遺産があったからできたに過ぎないと思っています。
組織文化がドキュメントを残す文化だった、組織横断して困っていたら協力する文化だった、という事も乗り越えられたポイントだなと。
そのため言ってみれば借り物の力を最大限に利用して壁を乗り越えた感覚が強かったです。
逆に言うとゼロベースで構築した力がないため、そこが今後、もっと自分を高めるためにやる事だと課題も見えています。
最後に
今後はSaaSのリプレイスや、社内PJが数件控えているため、どんなに些細な事でも、解決の糸口になるため作業記録を残すという文化を大切に、引き続き情シスをしていこうと思えた1年でした。
このドキュメント誰にも見向きもされないのでは?と思わず、残すこと。
0からスタートと、0.5や1からスタートでは全然重みが違います。
情報あったー!助かったー!と何度思ったことか・・・
何かを残すという事は、後世を助けるという事。
長く勤めるなら未来の自分を助ける事に繋がります。
業務委託やチームが増員された時に業務がしやすくなります。
どんな記録に助けられたのか
こんな記録があったら良かった
自分が今、残している記録
次回、書く機会があったらそんなことを書きたいと思います。今回はここまで。
終わり