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書籍「なんで僕に聞くんだろう。」感想

著者は幡野広志さんという写真家だ。

2017年に多発性骨髄腫を発症し余命宣告される。

著書のタイトル通り、SNSで幡野広志さんに相談され、幡野さん自身「なんで僕に聞くんだろう」と思いながら回答している。


本書はその相談と回答をまとめたものだ。

わかりやすい口調で回答していくのは読み心地がいい。

気づけば付箋をたくさんつけていた。幡野さんの価値観、道徳観のみで回答していくので、中には少し違和感あるものもある。それでも死を見つめながら生きている人が到達した境地には「なるほど」と思うことも多い。


相談事も多岐にわたる。恋愛、人間関係、人生相談、死生観、親子関係などなど。

幡野さんの人間知がとても深い印象を受けた。例えば年齢差のあるカップルの相談には、相手に結婚する意思がないなら別れたほうがいいとズバッと言う。他にも不倫している人には自分の幸せを歩めと優しく別れを促す回答をしている。

回答が幡野さんの価値観に左右されるところが否めない。

だが、引きこもりの子どもに対する接し方に悩む母親に関しては、母親の文章から愛情が全く感じられないというご尤もな回答もしている。


読んでいるときは、幡野さんの言葉の一つ一つが的確、かつ道徳的であると思いながら読めたが、いざ感想を書くとなると、なんか変な違和感あったな…と思ってしまった。。。

決して幡野さんのことを否定しているわけではない。ただ、これはあくまでも幡野広志さんという一人の写真家が回答しており、絶対的なものではない思いながら読むのがいいかも。

読んでいる間は相談事に対して的確に指摘するのが爽快だったが、読み終えてからその魔法がとけたような感じだ。


自分なら同じような回答できない。それだけに幡野さんの回答をすごいと思ってしまうが、眼高手低でもっとこういう回答のほうがいいのではないかと思うことはある。

幡野さんからすれば僕は写真家なので、なんで僕に聞くのかわからないと言われそうだが、やっぱりちょっと違和感はある。


批評家的な言い方になるが、こういう書籍ってどうなんだろうといつも疑問に思う。絶対的な物差しはなく、自分の人生訓を基に回答するのは、対話と言えるのか。前回読んだヘーゲルの精神現象学ほどではないが、一方通行なやりとりで一方通行な判決を下す構図がなんだか歪に思える。確かに相談事に対しズバズバ答えていくのは読んでいて爽快であった。だが書籍するならもう少し体裁というかいろいろ詰めてほしかった。

読み終えてから見直すと、なんだコレという感じだ。

読んでいるときは感動から涙目になることもあって付箋もつけまくったのに、、、一呼吸置いてから見直すと幡野広志さんの価値観・道徳観を全面に出しているようなものに思えた(もちろん、違和感を感じるのは一部だけ)。

幡野さんからすると写真家の僕に質問してくるんだからしょうがないじゃんと言うだろうけど、それはそれで写真家という逃げ道を作っているようで卑怯に思えてしまう。

話はそれるが、私は司馬遼太郎が好きで、司馬史観なる司馬遼太郎独自の歴史解釈も好きだった。だが専門家から突っ込まれたときの逃げ道が「所詮、小説ですから」で、ある意味これが司馬遼太郎の最後の逃げ道であったのかもしれない。そりゃ所詮小説だが、あまりにも影響力のある小説だからこそ物事への熟知が求められる。

幡野さんの場合、世間一般の道徳が深く考慮され、それを自己の中で蒸留して価値観を構成しているからこそ、人への相談も万人が納得するような上手い言い方になってしまうのではないかと思った。

幡野さん自身も、ここまで影響力のある存在になるとなかなか回答しづらさもあるから、万人受けするようなもなになるなは仕方ないなかもしれないが。


ここまで散々に書いてしまったが、総評は面白かった。

この本は悩み相談の皮を被った短編小説のような面白さがあった。相談事の一つ一つが人生における悩みを凝縮したもので、それ一つ読むだけでも短編小説を読み終えたかのような気持ちになる。それが短く何十個もあるのだから、爽快さもあった。幡野広志さんにはこれから少しでも長く生きてほしいし、少しでも多くの言葉で救っていってほしい。


若造が生意気言ってすみません。

ほんとに面白かったです。

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