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ASMR映画考①《序・胡蝶の夢》

映画を観ている最中に寝てしまった。
そんな経験はないだろうか。

恥ずかしながら、私は偶にある。
寝不足を捺して映画館に赴いたというのでもなく、内容が期待外れで興味を失ったというのでもなく、凝(ぎ)っと集中して観ていた筈なのに、途中からウツラウツラしはじめ、気が付いたら眠っている。
これではイカンと気合を入れて再度挑戦するも、またぞろウツラウツラしはじめ、やはり寝てしまう。
いつの間にか、観ることと観ないことの狭間に落ち込んでしまう。

たとえば、漢文の授業中に居眠りをする學生などは、現在(いま)を生きる自分と漢詩の中に描かれる世界のあいだに何の関連性も見つけられないが故に退屈して寝てしまうのだろう。しかし優れた漢詩の中には普遍的な事柄が扱われていることも多いので、担当教員ともなれば、「君が見ていたのは、蝶の夢かい?それとも蝶が君になった夢かい?」等と學生を挑発し、彼・彼女らが自ずから関連性を見つけるようキッカケを与えるべきだと思う。

では、映画鑑賞中に眠っている隣人を起こす場合はどうすべきだろう。

振りかざすべき職権も立場も明確でない以上、授業中の居眠りを是正する教師よりか、はるかに困難な為事を引き受けることとなるだろう。

もしそこが映画館であったなら、鼾がうるさい等のクレームをいれるくらいはできる。しかし畢竟お金を払って観にきているのは彼・彼女らなのだから、上映中どう過ごそうと、客である彼・彼女らの自由ではある。

またそもそも、映画鑑賞中に眠るというのは悪いことなのか。
心底不快な映画なら、彼・彼女らはすぐさま席を立ち、映画館を後にしている筈だ。そうでない以上、彼・彼女らには惰性と、 幾許かの心地よさが担保されているといえる。

映画を観る時、観客は概ね空調のゆき届いた暗室に隔離され、薄暗がりに明滅するスクリーンの前で行動を抑制されている。
映画館という場が、観ることに集中すべく夾雑物を排除した結果としてあるならば、寝室もまた眠ることに集中すべく設えられた空間であろう。(レイトショーというスタイルは、或いはこれらの共通点を活かした上映方式なのかもしれないが)

夢現(ゆめうつつ)の状態で、ウツラウツラと観る(寝る)映画という夢。或いは、 夢という映画を寝る(観る)。

これもまたひとつの映画鑑賞のカタチ足り得るのではないか。

(続く)


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