本体を振り返る影
ご無沙汰しております。
今年は引っ越しを二度繰り返し、その間、コロナ禍においても持続可能な映画制作とは何ぞやと模索しながら体制を整えてまいりました。
まずは4月、木澤航樹さんが主宰する「東京フェイクドキュメンタリー映画祭」のお手伝いをしました。
打ち上げの場で、『合成人間』の芹沢さんらとお会いして「カメラと視線」に関して幾つか話し合えたのが収穫でした。
夏には、同じく木澤さん経由で、高校生が主宰する「ダチュラフェスティバル」のドキュメントを撮影させていただくことになりました。(未編集)
コロナによって、学園祭など学内のイベントが軒並み中止になり、ならば自分たちでフェスを立ち上げてしまえという気概と行動力が凄いと思いました。
ダチュラメンバーが集める人員は、やはりといいますか、同級生か下級生、つまり中高生が主力になるのですが、炎天下彼らと共に駅前でビラ配りをしていて気づいたのは、分別ある大人に限ってビラを受け取らないということでした。
いたいけな少年らが額に汗かいて頑張ってるんだから、ビラくらい受け取ってくれてもいいのにと個人的には思ったものですが……。(タトゥーの入った兄ちゃんやノリのいいお姉さんのほうが、はるかに多く受け取ってくれました)
ダチュラが作り出した枠組みは、一言でいえば、大人が企画したイベントで学生が楽しむのではなく、学生が企画したイベントに大人が参与するという構図。
昨今では悪い意味でしか使われなくなった「大人の事情」に「子供の事情」で対処したような清々しさがあり、村上龍氏にインタビューするなどの胆力も含め、「恐るべき子供たち」ならぬ「心のストリートチルドレン」の膂力を見せつけられた気がして、胸が熱くなりました。
通常だったら知り合えないような中高生からプレゼントなどいただいたりもして、非常に反転した世界といますか、そのような場を設けてくださったサク君、マチクタさん、モエさんには深く感謝しています。
その間に、2019年から2022年まで撮りだめしていた映像をまとめて『sfumato』なる短編ドキュメントも制作しました。
タイトルは、ダ・ヴィンチの有名な絵画技法からとったものですが、別に格好つけたものではなく、アフターコロナの日常を撮り続けていたカメラ及びレンズが事故によって瑕疵した結果、すべてが煙って映るようになったので、何だか今日的で面白い表現だなと思ったことが影響しています。
この映画では、近年試行している「古今テレワーク」の手法による『ラ・シオタ駅への列車の到着』(監督・製作:リュミエール兄弟)の援用の他、『Social Distance Dance』という自作の曲も流れるのですが、同時期に杉本拓さんという音楽家がリツイートしていた『透明な色彩』という、どことなく『sfumato』を彷彿とさせるタイトル曲を聴くに及び、その透明感のある歌声にほれ込んで、作曲をされたcloud monitorさんに完全リモートで編曲を頼み、さらにその音源を盟友nurie orchestraさんにパスし、アレンジを頼んだりもしました。
この辺から、音楽的な関心が増してきて、シンガーソングライターの野戸久嗣さんのライブなどにお邪魔して、SMAPの『Fly』等のライブ映像を勝手に撮らせてもらい、それがいつの間にかボリビアの映画祭で上映されたりもしておりました。
11月には、再び木澤さんとトモトシ氏企画の「新宿で終電を逃してみる」なるアートイベントのドキュメントを撮影。(未編集)
0時から朝方の5時頃までの新宿を周遊するだけと思いきや、トー横キッズとの濃厚な交流などもあり、存外興味深いものが記録されていると思います。
同時期にはまた、友人と長野に行ってはボルダリングの撮影などもしておりました。(未編集)
「三大クラシック課題」の一つでもある「エイハブ船長」にチャレンジする友人Sは、勿論プロの役者でもなければボルダーでもありません。
しかしながら、寒空の中、絶壁に挑んでは墜落してゆく演技を役者さんにやってもらうとなった場合、血豆がつぶれ、鮮血で包帯が赤く染まり出すなどのディテールを要求するほど私は厚かましくもないし、また巨匠でもありません。
ゆえに最近は、誰の指示もなく独り命がけのことをやっている人物(そういう人物が身近にいればですが)にフォーカスしています。
出演者に無理を強いるのではなく、テーマと合致するような人物を映画に呼び込むこと。或いは、その人物の人格及び存在から構造を膨らませてみる。
そのような試行も含めてのチャレンジであったように思います。
この映画の主題歌は、前述の野戸さん他複数人の作曲家が自曲を編曲してくださっており、機材の面ではGoプロや知り合いからライトセーバーのCG製作費代わりに借りた360度カメラ等も援用しはじめています。
CGといえば、金子ADから引き続き番組ひな形のお手伝いなどさせていただき、その上がりから諸経費を補填することができていました。いつもありがとうございます。
杉本拓さん、角田俊也さん、飯田克明さんが多摩水道橋下で行うライブパフォーマンス(?)「まったく違う三人」での撮影条件は“どんな形でもよいから作品を発表すること”だったので、先のGoプロや360度カメラに3台の異なるカメラを加え、『sfumato』で部分使用した壊れたレンズなどもフル活用し、自由に撮らせていただきました。
ちなみに飯田さん(またの名を下北沢の詩人(しにん))は、『透明な色彩』でcloud monitorさんに詩を提供してもします。
撮影中、皆さんがいっとう気になっていたのが、定価8,000円ほどの脆弱センサー搭載のGoプロだったことが妙に面白かった次第です。
また、実験性の強いイベントであるにも関わらず、撮影費の支払いなどもきちんとされており、総じて風通しのよいイベントだなと思いました。また、ささやかではありますが手法上の実験もできて、色々収穫がありました。
忘年会も、飯田さんの「第二休憩所」にて、いつもの「三人」と、いつもではない「三人」とで過ごさせていただきました。(本当はそこで、当イベントの記録映画『Π』を『映画の細胞』のサンプルとして持参して、愛のある酷評など期待していたのでしたが……)
『映画の細胞』は、私と木澤さん及びkkazukima氏で、かれこれ2年ほど考え続けている企画なのですが、ごくシンプルにいうと、従来通りマスに向けて映画を作るのではなく、一人の観客に向けて、一人の監督が映画を作り届けることはできないかという、映画の成立条件を巡る問い直しです。
コロナを経てつくづく感じたのは、「大ヒット」や「満員御礼」は、感染予防のために観客席を一席ずつ開けなければならないような世界には矛盾した価値観ではないかということです。
また現在のように情報が共有されやすい時代では、どんなにポリコレを意識していても、マスを対象に制作される以上、必ず誰かしらを不快に思わせ、また傷つけもする要素が含みこまれるのではないかという懸念がありました。
最大公約数としての観客ではなく、最小公倍数としての観客を想定して映画を作るには、どのような仕組みが必要なのだろう?
そのような問答を繰り返すうちに2年もの歳月が過ぎてしまいましたが、それでも飽きずにこのプロジェクトを妄想し続けているのは、30人乗りの観光フェリーが荒れた海に出航し沈没するのなら、2人乗りのボートではどうだったのだろうかとか、ハロウィンは10月31日前後にのみ開催されるが、任意の日付に変更して少人数で楽しむような習慣を身に着けたほうが得策ではないのかとか、元首相の銃撃と同日に亡くなった市井の人々のことを誰が報じ誰が弔うのだろう等々、その都度『映画の細胞』に引き戻されるような思索に沈み込まざるをえない事案が多かったからだと思います。
またこの実験は、おそらく人知れず行われ人知れず終わること請け合いなのですが、一人の観客に届けばOKという極端に低い(本当にそうだろうか?)達成目標を掲げてもいるため、ほとんど絶対に成功するので、何としても敢行したいと考えています。
今年は、フェイクドキュメンタリー映画祭、ダチュラフェスティバル、ボルダリングドキュメントの撮影、まったく違う三人で、計4回ほど打ち上げに参加しましたが、それ以外は主に編集に充てておりました。
2023年は、それぞれの映像にふさわしい形を与えられればいいのですが。
それでは皆様よいお年を。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?