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雨宿り

その日、世田谷区は大雨の警戒レベル3相当の状況にあったが、こと私の住むアパートにおいては、いつもよりちょっと通り雨の多い日くらいの天候だった。

台風の名残の雨雲が夜空を灰色に染め尽くしているとはいえ、もう大分雨も降ってなかったので、近所のスーパーに買い出しに行くことにした。だが、一通り食材を買って店を出ようとすると、外は土砂降りだった。

横着して傘を持ってこなかったため、店頭のベンチに腰掛け、眼前のコンビニエンスストアを眺めやりながら、ぼんやりと雨宿りを決め込んでみたが、今回の雨はなかなかどうして止まず、今しがた買ったばかりのミックスナッツを頬張るくらいしかやることがなくなってしまった。

と、そこへ一人のおばあさんがやってきて、私の真横へ腰かけた。

身なりは簡素だがちゃんとしており、マスクをしていて表情は掴めないが、危うげな感じはしなかった。唯一気になったのは、傘を持っているのに雨宿りしに来たことの理由だが、彼女が大いに酔っぱらっているらしいことを考えると、酔い覚ましだろうとすぐに合点がいった。

酩酊により、おそらくはいつもより大らかになっているのであろうおばあさんは、着席後すぐに私のエコバックの中身を確認すると、「酒はないのか? あんたは酒を飲まないか?」と明け透けに聞いてきた。

「酒は全然飲まないんです」

応えながらも、スーパーのベンチでミックスナッツを齧りながら雨宿りをしている見知らぬ男の横に腰かけ、いきなりエコバックの中身を確認し、酒はないかと聞いてくるおばあさんは、あんまり関わってはいけないおばあさんなのではないかと警戒しそうになる。

だが、そうした警戒心の殆どは、自己保身や特に楽しくもない日常生活を何事もなく過ごすための防衛本能でしかなく、翻って死の際に、自分の人生には何事もなかったと後悔する類の過剰防衛である場合が多いという気もする。
そこで、私はこのおばあさんと暫し戯れることにしたのだった。

何しろ、雨が止むまではどうせ暇なのだから。

おばあさんは、私のエコバックから饅頭のパックを見つけ出し、「ひとつくれないか?」といった。
そこまで単刀直入に頼まれると、大抵の人は「別にいいですよ」というしか術がないと思うが、私もその一人だった。

エコバックの隙間を潜り抜けて届いたであろう雨粒が、透明のフードパックに数滴したたっていた。

つぶあん・こしあん二色10個入りのお饅頭から、おばあさんは一色づつ取ってハンカチに包み込み、青い金属パッケージに金色の鳥のデザインがあしらわれたタバコケースから一本取り出して、プカプカやった。

ひとつじゃないのかい。

それから私たちは、雨と煙の中で他愛もない話をした。

おばあさんは70代前半で、元教師をしていたらしいこと。今は介護をやっていて、90代の方を5人ほど世話しているらしいこと。今日は八王子まで行き、知人に貸した金を半額だけ返してもらったらしいこと。30代にスポーツをやっていたお陰で、身体はどこも悪くなったことがないらしいこと――。

「ほれ、触ってみな腕。この筋肉を! ほれ!」
健康を証明すべく、おばあさんは徐に上腕二頭筋を誇示した。

高齢とはいえ、会って数分の女性の上腕二頭筋に安直に触れていいものか?
私はまたぞろ警戒しかけたが、いつまでも力こぶを示させているわけにもいかなかったので、表面をなぞって納得していただいた。
力こぶは確かに隆起していたが、硬くはなく柔らかかった。

やがて、雨が小降りになったので、私はおばあさんに別れを告げ、ベンチを立った。おばあさんもまた、元教師の残滓を感じさせる日本語英語でさよならを告げていたように思う。

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考えてみると、夜中に近所のスーパーの前で雨宿りをしていると、見知らぬおばあさんがやってきて、お饅頭をせがまれ、身の上話を聞くついでに筋肉を触るというような経験は、誰にでもできるものではない。

その意味では、貴重な出会いだったといえる。

だが勿論、こういった偶然に身を委ねることには多少のリスクが伴う。

おばあさんがもう少し若かったなら、或いは私がもう少し貧しかったなら、また反応も違っていただろう。事実、ベンチで語らう私とおばあさんを、通行人の何名かは不審そうに眺めていた。

それは、いうなれば監視カメラの眼だ。

監視カメラは、私の住む区だけではなく、この国の至る所にパノプティコンさながらの全展望監視システムを形成しつつある。
SNSでの相互フォローも、似たような動機から為されている場合が多い。
いい悪いは別にして、相互不信から来る相互監視は、既にして我々の日常に新たなコモンセンスを築きはじめている。

しかし、そんなに警戒しあって、我々は何処へ向かおうとしているのだろうか?

その日は、確かに大雨の警戒レベル3相当の状況だったけれども、スーパーに買い出しに行くことで、一本映画を観るより遥かにオモシロイと思えるような現実の体験ができた。

私は、そういう非日常を包含する日常が結構好きだし、すべてが安全であることを希求しながら、その実どんどんきな臭くなってゆく世界をこそ警戒している。

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