
ベルリンへ至る誘導路【タクシー映画祭って何?】
2月13日、ベルリンのポツダム広場とマレーネディートリッヒプラッツの近くにある”星の大通り”で開催される「Berlin Taxifilmfest」にて自作『惑星ソラリスへの誘導路』が上映されます。
何気にドイツでは初めての自作上映になります。

『惑星ソラリスへの誘導路』は、その名の通りアンドレイ・タルコフスキーに捧げられた短編ドキュメントなのですが、それは私が彼(タルコフスキー)の映画の中では『惑星ソラリス』が(厳密にいえば未来都市の風景として首都高を使ったりするところが)好きだったからです。そこから50年、同じく首都高を使って、友達とドライブしているだけのありふれた、ドイツ語でいうならザッハリッヒ(sachlich)な映像で、私なりのソラリスへ向かいたかったというわけなのです。
ところで首都高シーンは『惑星ソラリス』という映像作品の〝傷〟になるのでしょうか?
完璧主義のタルコフスキーには珍しく、当シーンには、日本語の看板がそのまんま流れていきます。
現地に住む我々から見たら、継ぎ目も明らかな引用は瑕疵そのものにも映りますが、異国では違った風に受けとたられたかもしれません。(私は、初見では首都高だと気づきませんでしたが💦)
評価は時代によっても変遷するので置いておくとして、私は、彼(タルコフスキー)が未来都市を描写するために首都高を"見出した"という点こそが重要ではないかと考えています。
壮大なシーンを撮るためには莫大な資金が要るため、クラファンを敢行せねば映画は完成しないという短絡や、通り一遍の完璧主義は、映画を豊かにするどころか停滞させ、場合によっては貧しくしてしまう気がしてなりません。(もちろん、資金集めそのものを否定するつもりはありません。プラットフォームの中抜きが問題なのです)
「Berlin Taxifilmfest」の上映形式は、暖房付きの大型タクシーの後部座席で映画を鑑賞するというつつましくも斬新なものです。これは、フィスティバル・ディレクターのKlaus Meier氏によると、ベルリン国際映画祭などの"大きなフェスティバル"に対抗するために生まれた"日曜大工のフェスティバル"ということでした。
不遜にも、私がひっそり開催している一人向けの映画祭=「映画の細胞」と比較してしまいましたが、向こうの映画祭は、公共交通機関としてのタクシーを擁護するデモンストレーションという側面もあるため、あらゆるプロパガンダと距離を取りたい「細胞」とはやや体裁が違うようにも感じます。
"A Film Festival in the Back of a Taxi"という記事でNew York Times誌にも掲載されているようなので、新しい上映形式としてそれなりに注目されてもいるようですが、日本ではまだどこのメディアも取り上げておらず、有能な識者や映画批評家がたくさんいるのに何故だろうと不思議に思っています。
タクシーの乗車システムは、実は映画館における映画鑑賞法とよく似ているのです。
乗客は座席についたあと目的地へ自動的に誘導され、対価として幾ばくかの料金を払う――。
ゆえに、タクシー(あるいはバス)は物語の始まりやターニングポイントに登場し、度々映画のモチーフになってきたのだと思います。
私の映画には別段タクシーは出てこないのですが、「誘導路」の英訳が「TAXIWAY」であること、ほぼ全編車窓からのシーンで構成されている点などを面白がってくれたのかもしれません。
いずれにせよ、映画の中の首都高は、本当にどこにでも接続可能なんだなぁとタルコフスキーの慧眼を再認識した次第であります。