「保身の帝国」
ちょっと専門的な話になるけどさ。
映画って、割と横に長いのがあるでしょ?
具体的には、2.39:1って比率なんだけど、どうやって引き延ばしてるか知ってたりしますか?
4Kとか8Kで撮った素材の上下に、レターボックスっていう目隠しをしてもできるんだけど、それだと、せっかく撮れた画素を無駄にしちゃうじゃない?
で、この画素を無駄にしないために、アナモルフィックレンズっていう、シネマスコープ映像を撮影するためのレンズが開発されたらしいんだけど、ぼくの所持している(正確には譲り受けた)それは、マイクロフォーサーズのレンズにマウントして、横方向を2分の1に圧縮、編集時に2倍に戻して横長にするっていう、結構な力業をやってるやつだったんだよね。
非常にオモシロイ絵が撮れるけれども、レンズ・オン・レンズなんで、カメラは重いわ、ピントは合わせずらいわで、なかなかに癖があるわけ。
そんな負荷のかかるレンズなので、ある日、やはりというか、ぶっ壊れてしまったんだよね。
正確には、2021年10月7日、22時41分頃、千葉県北西部を震源とするマグニチュード6.1の地震があったんだけど、その際、テーブルの上に置いてあったカメラが床に落ちて、レンズのマウント部分を破損させたんだ。
不幸中の幸いで、カメラ本体は無事だったし、レンズにも傷らしい傷は見当たらなかったんだよ。
でも、さっきレンズ・オン・レンズっていったけど、アナモルフィックレンズがマイクロフォーサーズのレンズの上にマウントしてあるわけですよ。
重量のあるだけ、落下の衝撃も膨れ上がってさ、マイクロフォーサーズレンズのマウント上辺が、アナモルフィックレンズの下辺に張り付いたまま取り外し不能の状態になってしまったってわけ。
いや、初見でみた時は、ぼくも、この程度の被害でよかったって安堵しましたよ。
でもさ、円形の物体に円形のパーツが、地震による圧で、強引にねじ込まれてるわけよ。
手でつかんでもツルツルするし、ペンチで捻ろうとしても、パーツがボロボロになるので、だんだんこれはヤバいんじゃないかと焦ってきた。
工具店を梯子して、やっとこさ、レンズの直径が収まるサイズのペンチを発見した時には、結構感動したもんだよ。
これでいけるに違いない!とね。
で、意気揚々と家に帰って、力いっぱい捻ってみたりしたんだけどさ、微動だにしないんだな、これが。
ぼくは、いよいよ絶望してきてさ。これは映画を撮るなという何者かからのメッセージではないかと、そういう妄想まで抱き始めていたんだ。
しかし、妄想に耽っていても何の解決にも至らないから、今度は、カメラ専門店へ持って行って修理を頼んでみることにした。
ちなみに、この専門店というのは、店名に「カメラ」が入っている、誰でも知っている有名店なんだけどさ。
店員さんに症状を説明し、
「最悪マウント部分が壊れても構いませんし、レンズに傷がついても諦めます」
と、覚悟のほどを伝えた。
「わかりました。工場に持っていかないと見積は出せないので、2週間ほどお待ちいただけますか?」
え? 外注なの?
それは、まぁいいんだけど、2週間待っても連絡がこなかったので、こちらから電話をかけた。すると、
「一件目の工場では修理できなかったみたいなので、現在、二件目の工場に回しております」
と事務的な説明を受けた。
さらに待つこと一週間。
「お待たせして、すみません。二件目のほうでも取り外しは難しいということで、レンズをご返却いたします」
との、またぞろ事務的な報告が届く。
専門店でも無理というなら、これは、いよいよ絶望的ではないか。
いや、しかし、まだ他にもカメラ屋はあるし……
同僚に、新宿にある老舗のカメラ屋さんを紹介されたので、サイトを覗いてみる。
チャットで症状を書き送れる仕様だったので、藁にもすがる思いで言葉を連ねてゆく。
やがて、どこかで聞いたような事務的な返信があった。
「工場で、似たような症例があるか確認を取ってみますので、暫しお待ちください」
また工場……。何なんだろう、この既視感?
どうにも嫌な予感がしたよね。
そして数日後、やはりというか、修理が難しいとの事務的な通達が届くわけだけどさ。
ぼくは仕事明け、たらい回しにされた不幸なアナモルフィックレンズを取り戻すため、先にレンズを持って行った有名店に行き、郵送料だけを支払って足早に立ち去っていたよ。
寂獏とした感情に襲われながら、駅への道を歩いていると、ふと「金物屋」の看板が目に入ってね。
思えばぼくは、カメラ屋に相談に行くずっと前から、「金物屋」という古風なネーミングに興味を抱いていたんだ。
てか、「金物」って具体的に何よ?
このまま電車に乗って家に帰ったならば、ぼくはこの不幸なレンズのことを忘れるために、これを自分から見えない場所へ放擲するだろう。
それならば、今一度だけ……
金物屋の店主は、どういうわけか、ぼくが入店するやいなや、
「何かお困りでですか?」
と事務的でない調子で尋ねた。
相当な悲壮感が漂っていたのだろう。
ぼくは、症状をかいつまんで説明した。
「最悪マウント部分が壊れても構いませんし、レンズに傷がついても諦めます」
「なるほど。相当固く嵌ってるね。無理やり取ろうとすると、レンズが割れる。だからみんな手を出さないんだな」
言うと、金物屋の親爺は奥に引っ込み、錆のついた古い万力を引っ張り出してきた。
「まだ使えるかな?」
確かにぼくも、ある段階から、この手を考えてもいた。だが、Amazonで小型万力を調べると、殆どがアナモルフィックの直径を満たさないものだったから、購入を躊躇っていたのだった。
しかし、この万力は何かが違う。
錆の分だけ、ありとあらゆるものを包括し、ひりだしてきた「凄味」があったんだよね。
レンズを固定し、ペンチでゆっくりと回転させてゆく。
いとも簡単に、マウントパーツは取れた。
ぼくは、何度も何度もお礼を言ったように思う。この上蓋と下蓋の悲しき結束は、もう数か月ほどもぼくの内面にこびりついており、その間のQOLは著しく低下していたであろうと感情のままに説明したかったのだけど、それは差し控えた。
代わりに、真心からの支払いをしようと財布に手を伸ばすと、
「要らねぇよ、こんなもん。何にもやっちゃいねぇもん」
と、親爺達は拒むのだった。
だが、それではぼくの気が済まなかったため、先にカメラ屋に支払った郵送費分だけ手渡し、この事務的でない金物屋をあとにしたというわけ。
この一件で、ぼくが何を実感し得たかというと、金物屋の親爺はかっこいいものだなという感慨の他には、カメラ専門店に代表される「専門性」への大いなる疑念であった。
もし金物屋の親爺達が言うように、レンズが割れる恐れがあるから手を出さないのであれば、弁償するリスクのある案件はすべて退けられるであろうし、そもそもトライしないわけだから、エラーもないわけだ。
一体、そういう保身によって確保される信頼というのは何なんだろうと改めて考えてみた時に、実は、至るところに似たような処世が散見されることに気づかされる。
ドローンを巡る航空法の整備、安定的なキャッシュフローとリスクの低い投資行動、劇場での上映作品の選定に至るまで、過度な安定志向が極まった結果、誰もが身動きが取れなくなってしまっている。
自分の責任では何もできないし、何も言えない専門家。
自分の手を汚さない大人達。
何もしないことが、正解となってしまった世界。
そういうわけで、ぼくはそれを「保身の帝国」と名付け、徹底抗戦することにしたんだ。
自分の手を汚し、自分の責任でレンズを直してくれた、あの金物屋の親爺のようになるために。
それによく考えたら、カメラも金属部品で構成された「金物」の一種だしね。
The unexamined life is not worth living.
試されない人生など生きるに値しない。
ソクラテス(紀元前469年頃-紀元前399年)