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「橋浦洋志先生の講演を聞いて」       

※2024年10月27日に福島県現代詩人会 第45回詩祭「講演と朗読の集い」が開催されました。当日、詩人で筑波大学名誉教授の橋浦洋志先生に『詩を読むということ』と題しまして講演していただいた内容、感想です。県詩人会の令和25年1月の会報に掲載予定です。

 今回の詩祭は、詩人で茨城大学名誉教授の橋浦洋志先生に、『詩を読むということ』について講演していただいた。(Ⅰ)詩を構成するもの(Ⅱ)詩を構成するもの(Ⅲ)詩の基本的論理(Ⅳ)詩(ポエジー)とは、の四つの項目の順で講演は進められた。  
 まず、先生はご自身と詩の出会いを話してくれた。橋浦先生が中学三年生の時の、国語教師が授業には珍しく詩に時間を割いてくれたそうだ。授業を聞いて「この先生が、こんなにも熱心になるものだったら、自分も飛び込んでみてもいいんじゃないか」との感情が沸き上がったという。詩に惹かれる人々は同じような時間を経るものなのだろうか。私も先生と同じような経験から詩に関心を持った。またこんなふうにも思った。詩人それぞれが書く一編の詩は違えど、私たちの心の根底には生きとし生けるものの、共有する思いがやはりあって、それこそが、争いが生じている世界の戦火を止める、可能性、一筋の光なのではないかとも、お話を伺いながら、ふと考えた。
 「言葉や詩とは一体何なのか」という実は大変難しい問いも、先生は論理的にわかりやすく説明してくれた。詩が身近ではない方に、詩の魅力を説明することは難しい。私なんぞ人に問われると、「読んで感じてほしい!」と心中で叫ぶだけで、「う~ん」と唸って、口から出る説明に、相手の表情は冴えず、それを見てさらに自分が落ち込むというのを何度も経験している。
 さて、先生によると、「言葉」には規律があり、表現者の自由を許さず、だからこそ書くことは規律との闘いでもあるとのことだった。また、規律の中にあっても、よく耳にする慣用句ではなく、他に表現はないか、「もっと自分だけの言葉になれないかを見つけ出すことが大切」ともおっしゃられた。では自分だけの言葉とは何かというと、その表現方法の一つとして「比喩」が挙げられる。比喩を使うことで言葉の規律を破り、言葉の自由を獲得できるとのことだった。
 また、「現代は、視覚は使われるが耳が使われていない」とし、日本語の母音と子音の一拍一音の原則について、数編の詩を例に説明があり、深く理解することができた。「詩を読むとき書くとき、ゆっくり読んで一拍一音を大切にすることが大切」との言葉に、詩の創作において大変な金言をもらったと感じた。
 私の中で、「詩」は自分を支えてくれた大切なものだった。が、それを言語化できない歯がゆい思いとともに今まで生きていた。けれど、今回、橋浦先生の講演で、「言葉」や「詩について」わかりやすい説明を聞き、共感や感嘆が沸き上がり、自分を理解してもらえているような、不思議な熱い気持ちで心が満たされた。言葉を紡ぐ者は、それがどんなに言語化することが難しい事象、感情であってもあきらめてはいけない。それを教えていただいたように思う。橋浦先生に深く感謝申し上げたい。