偏愛・3751F
1962年から2011年まで、東京の井の頭線を走った京王電鉄の3000系電車。編成ごとにカラーを7色に塗り分けるレインボーカラーを日本で初めて採用し、その伝統は現在でも後進の1000系に引き継がれている。私は幼少期よりこの形式に惚れ込み、時間を見つけては乗り込み、そして徐々にその魅力にのめり込んでいった。今でも3000系は私にとって非常に大切な鉄道車両である。
京王3000系と一口に言っても、当然井の頭線のダイヤを回し切るだけの本数を揃えなくてはならないので、全盛期には29本の3000系が井の頭線を走っていた。テレビや冷蔵庫などの家電でマイナーチェンジが行われるように、3000系も製造が長きに渡ったために幾度となくマイナーチェンジが行われた。そのような多種多様な側面も、3000系の大きな魅力の一つだ。
さて、これらの中で私が最も好きな車両が、"初号機"3751F(編成)である。3000系は勿論好きだが、私が51Fに抱いている感情は、好きを通り越してもはや偏愛や憧れ、執念の域に達している。この51Fは私が生まれる前に井の頭線を退いてしまった編成であるにも関わらず、何故これほどまでの大きな感情を抱いているのだろうか。
1.3751Fとの出会い
2011年10月、私は東京の富士見ヶ丘車庫で行われた京王3000系の引退記念イベントに参加していた。既に3000系は営業運転を終了し、車庫内には運用を終えたばかりの29編成が佇んでいた。
私がそんなイベントに参加していた頃は鉄道の知識も浅く、3000系が29本もいたということは当然知らなかった。イベントも終盤に差し掛かったころ、私はグッズ販売コーナーに立ち寄り、ポスターやキーホルダー等の3000系グッズを購入した。その中にはクリアファイルと写真集も含まれていた。そしてそのクリアファイルというのがこちらである。
まだ写真が白黒の時代に撮影された、1本の3000系。この車両に私は違和感を感じた。そう、ドアが両側ではなく片方に開くタイプであり、車体の幅もどことなく狭い。そして極めつけにライト付近の手すりの位置が他の編成と異なり、その佇まいがやけに凛々しく、引き締まって見えたのだ。すぐに気になって調べたところ、この編成は51F、3000系の初号機として製造された車両であることが分かった。以降、私はこの編成の魅力に呑まれていくことになる。
2.実はスゴい形式だった!
さて、先程少しだけ触れた京王3000系の写真集。ここにも、51Fはしっかりと映っていた。
これが今から約60年前に撮られた51Fの写真である。この「ローレル賞」というのは、その年にデビューした優秀な鉄道車両を表彰すべく、1961年に鉄道友の会によって創設された賞である。このローレル賞を受賞した歴代車両は、現在でも名車と評されることが多い。そして3000系はその第3回受賞車に輝いていたのだ。51Fは、歴史が創られるその瞬間に立ち会っていたのだ。それを知った私は、俄然この編成にばかり興味が向き始めていったのだった。
3.3751Fに会ってきた!
さて、ここまでで私の偏愛の遍歴を辿ってきた。この編成が如何に素晴らしいかを語っていても皆さんは飽きてしまうと思うので、少し旅行記でも書きたいと思う。
この51Fは井の頭線を退いた後、石川県の北陸鉄道で活躍している。しかし経年の問題もあり、来年度での引退が決まっている。そしてそんな折、51Fと同期の52Fが井の頭線時代の装飾に戻される事が決まったため、その勇姿を見るべく、私は北陸新幹線に乗り込んで金沢へと向かった。
金沢駅で本場のゴーゴーカレーを堪能した後、私はイベント会場の内灘駅へと向かった。そのイベントで再現された52Fの姿はあまりにも美しく、無心でシャッターを切り続けていた。それと同時に私は「51Fでも同じことをやって頂けないものか」と心の中で呟いた。51Fが纏っていたのはこの52Fとは異なる、ブルーグリーン。その薄青のカラーは3000系によく似合っており、私も好きな色だ。しかし、51Fが引退するのはもう少し先の話。今回はこの52Fと、北鉄オレンジカラーの51Fをひたすら追うことに決めた。
イベントの最中、51Fが内灘駅に入ってきた。この湘南顔と言われる独特の表情が見られるのもあと僅か。私はイベント終了後、すぐさま浅野川線に乗り込んで撮影に向かった。今回は51F改め、北鉄8801Fの内容だけを紹介していく。
暗闇の中、貫禄のある音を立てながら金沢駅に進入してきた01Fを捉えた一枚。その雰囲気はどこか井の頭線の渋谷駅を思わせるものである。ふと昔を振り返ると、私は幼少期、母と共に渋谷駅で3000系を待つことが多かった。新型の1000系には目もくれず、ただただ3000系に乗るために駄々をこねていた。そんな10年以上前の我儘なエピソードを思い出しながら、快い気分で撮影することができた。
内灘駅で発車を待つ01F。アンテナや雪掻き装置も付き、その威厳ある表情により磨きがかかっている。この01Fも金沢にやってきて26年。私のような若い世代の人間には、すっかり雪国での活躍が板についているように思える。
金沢駅で撮影した01Fの大きなドア。今やこのような雰囲気の車両も全国的に珍しい。ゆっくりと一定の速度で開いていくさまは、まるでバスのようにも見える。
三ツ屋駅では、2本の電車が並ぶシーンが見られる。こちらがその瞬間である。どちらも京王井の頭線の路線改革の為に同期として生まれ、縁あって北陸の地で余生を送っている。京王3000系のウリは頑丈なステンレス製の車体だが、それが功を奏して現在に至るまで生き長らえているとも言える。
今回撮影した01Fの写真は以上である。もし01Fが復刻されるようなことがあれば、またすぐにでも金沢へ向かおうと思う。
4.おわりに
どうもStenplerです。今回も私のとっ散らかった文章をお読み頂きありがとうございました。私が01Fを好きになったのは、ファイルの購入と手すりの位置の違いという傍目には些細な理由です。しかし私はその時の憧れをこうして10年以上引き摺っているので、一目惚れの力は侮れないもののようです。
───みなさんは一目惚れ、してますか?
では、今回はこの辺で。またお会いしましょう。