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水瓶座の不思議*水瓶の中身はなあに?

1824年のウラニアの鏡に描かれた水瓶座は、お腹がシックスパックに割れた筋肉質の初老?の男性の姿で描かれています。
ギリシャ神話では、美少年ガニメデを水瓶座として表しているのに、なんだか変だぞと思いませんか?しかもガニメデは年を取らないはずなのです。

調べて見ると、『ウラニアの鏡』の水瓶座は、メソポタミア神話のアッカドの英雄とエンキ(メソポタミアの神)が結びついたグラ(Gulla、偉大なるもの)が原型と考えられています。

グラ(Gulla、偉大なるもの)とは、医術の神様のことを指したそうです。
〇〇グラというように名前のあとに付けたとありましたので、偉大な〇〇という感じだったのでしょう。

そして、わざと逆さまにしたとしか思えない水瓶からは、大量の水がこぼれ出し、その水は「みなみのうお座」(フォーマルハウトの口に流れ込んでいます。

この瓶の水はなんだと思いますか?
ギリシャ神話では、ゼウスの大鷲に拉致された美少年のガニュメーデース(ガニメデ)が、オリュムポスの神々に不老不死で滋養強壮になるお酒ネクタールを給仕するために壺を持った姿を水瓶座に見立てたと言われています。であれば、この水は不老不死の水ということになりますね。

調べたところ、メソポタミアのアプスーという淡水の男神と、塩水の海の女神ティアマトが出て来ました。
シュメールでは、アプスーは人間が創造される前からその土地に住んでいたと信じられていたそうです。

アプスー

そしてティアマトは、シュメールで原初の海の神とみなされたナンムと同一視されます。
ナンムは、天地を生んだ母、全ての神々を生んだ母と言われており、つまり「生命の母なる海」です。エンキを産んだのもナンムと言われています。

ナンムならびにティアマトの容姿は、ほかの神々と違って人の姿ではなく、蛇の頭を持った女神(蛇女神)や巨大な「大洪水を起こす竜」というように表されています。

ナンムを表す楔形文字は表意文字で「海」「深淵」を意味しており、容姿はウルから出土した蛇の頭を持つ女神のように蛇女神として表現されている。メソポタミアでは宇宙は女神が宇宙を妊娠し、出産することで誕生すると考えられていた。

紀元前18世紀に3枚の粘土のタブレットにアッカド語で記された叙事詩『アトラ・ハシース神話』には、宇宙と人間の創造についても書かれています。
それによると、農業労働を不満に思った下位の神々が反乱を起こしたため、神々の代わりに働く人間を作ったいきさつが書かれています。

40年後、レッサーディンギール(下位の神々)は反抗し、激しい労働を拒否した。 エンキは、代わりにそのような仕事をするために人間を作るべきだと提案しました。
母なる神ニンフルサグ(マミ)は、殺された知恵の神ゲシュトウーエ (Geshtu-e) の肉と血を混ぜた土偶を形作り、次にすべての神々が粘土に唾を混ぜます。10か月後、特別に作られた子宮が開き、人間が生まれました。

人間創造の方法は、なんかアレですね。しかも知恵の神ゲシュトウーエは、そのために殺されたそうなのです。
この神話が事実であれば、私たちのDNAには殺された神の悲しみや怨恨、殺した神々の残虐性が入っているということになります。

バビロニアのシリンダーシール

ナンムを引き継いだティアマトの神話には、2つのパートがあるそうです。最初のパートでは、ティアマトは塩と淡水の間で結ばれる「聖婚」により、平和裏に秩序を一連の世代を通じて生み出す創造の女神。
もう一方『カオスとの戦い(Chaoskampf)』におけるティアマトは、原初の混沌の恐ろしさを具現化しています。

バビロニア神話の創世記叙事詩『エヌマ・エリシュ』においては、アプスーとティアマトの交合により、神々が生まれたとありました。

上にある天は名づけられておらず、
下にある地にもまた名がなかった時のこと。
はじめにアプスーがあり、すべてが生まれ出た。
混沌を表すティアマトもまた、すべてを生み出す母であった。
水はたがいに混ざり合っており、
野は形がなく、湿った場所も見られなかった。
神々の中で、生まれているものは誰もいなかった。
— 『エヌマ・エリシュ』冒頭部

要するに極端な言い方ですが、淡水と塩水が混ざり合うと命が生まれるということですね。錬金術ですね。
これで思い出したのは、タロットカードの14節制と、17星のカードです。

tarot card 14
tarot card 17

14「節制」のカードは、天使が「生命の水」を創造しているところです。
(長くなるので詳細は避けます)
手に持った杯は、交互に移し替えて混ぜ合わせています。この水が何なのかはわかりませんが、13「死神」の続きということを鑑みると、新しい命を生み出していると考えるのは間違っていないと思います。

17「星」のカードでは、裸の女性が両手に持った壺の水を、ひとつは大地に、もうひとつは海に注ぎ込んでいます。
これも長くなるので割愛しますが、裸には自然体の意味があります。この女性はお腹が少しふくらんでおり、妊娠していると思われます。
ひとつ前の16「塔」のカードの破壊のあとに、生まれる希望を表しているのかもしれません。

「節制」と「星」のカードに見られるのは、生命の創造という錬金術。受胎と誕生。そして再生(復活)は、究極の錬金術です。
この2枚を占星術に照応させると、14節制は射手座、木星。17は水瓶座、天王星でした。

しかし、ティアマトの最期は悲惨でした。『エヌマ・エリシュ』によると、ティアマトは自らの産んだ神々に夫のアプスーを殺され、復讐の戦いを挑みますが、英雄マルドゥクに敗れてしまいます。

戦いの後、マルドゥクはティアマトの死体に立ち、その頭蓋を棍棒で砕いた。さらに動脈を切り裂くと、北風にティアマットの血を運ばせて自らの勝利を神々に知らせた。
そしてマルドゥクはティアマトの亡骸を二つに引き裂いて、それぞれを天と地とした。ティアマトの乳房は山になり(そのそばに泉が作られ)、その眼からはチグリス川とユーフラテス川の二大河川が生じた。こうして母なる神ティアマトは、世界の基となった。

無念な結末でしたが、ティアマトは文字通り大地母神となったわけです。
私たちの足もとの大地にもティアマトが宿っています。

さて、長々書いてしまいましたが、水瓶座の瓶から流れ出た水について私が出した結論は、『ウラニアの鏡』のマッチョマンがメソポタミア神話のグラということに基づき、アプスーとティアマトが交わったときに生じたかもしれない「生命の水」ということです。

その水の行く先、「みなみのうお座」は魚座のシンボルの双魚の親とも言われ、占星術で魚座は魂の世界。新しい命が生み出す準備をする場所です。
水瓶座は未来を志向するサインでもあるし、新しい命を生み出す水を「みなみのうお座」の口に流しているのも納得できると思いました。

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