4月23日聖ジョージ&ドラゴンの日に思ったこと
先日ふと、パリのノートルダム大聖堂火災(2019年4月15日)から5年になることを思い出して、なんか嫌な予感がしていたんですが、やはりフランスの教会の火災が続いていました。
またフランスの教会が燃やされる
Notre-Dame de Bringolo(ブリンゴロの聖母教会)は、ブルターニュ地方のコート・ダルモ県ブリンゴロ市にあります。17世紀の建物だそうです。
火災が発生したのは4月8日(月)の夜9時ごろだったそうです。
ブリンゴロ(22)。教会が焼失した (breizh-info.com)
原因は調査中とのことで、その後の調査結果までは見つけられませんでしたが、倒壊の危険性も高く取り壊しということになるということでした。
ただ、自治体(人口約500人)の財政能力をはるかに超えるため、再建は難しいようです。
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4月4日に、マンシュ地方にあるL’église d’Agneaux:サン・ジャン・バティスト・ダニョー教会(聖ヨハネの子羊教会)で火事が発生していたそうです。
こちら(放火)はボヤ程度で済んだようです。
創立は13世紀で、建物は1950年代に修復されています。
そして14日は、シャラント県ビオサックにあるÉglise Saint-Pierre (Bioussac):サンピエール・ド・ビアサック教会で火災が発生しました。
カテゴリ:Église Saint-Pierre (Bioussac) - Wikimedia Commons
投稿者の方が「私たちの遺産は徐々に煙となって消えていきます」と書いておられるように、フランスの教会の火事はほんとに多いです。
carto (Incivilités) Incendies https://cutt.ly/YrGXzzv - Google マイマップ
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2023年7月7日に、マヌル県にある17世紀の教会、L’église Notre-Dame-de-l’Assomption(église de Drosnay):ノートルダム・ドロスネー教会が全焼したのは覚えています。
Église Notre-Dame de Drosnay — Wikipédia (wikipedia.org)
その3日後の7月10日に、アンドル・エ・ロワール県のデカルトのÉglise Saint-Georges de La Haye-Descartes:デン・ハーグの聖ジョージ教会-デカルトで落雷によると思われる火事が発生し、屋根と鐘楼が焼失しました。
12世紀に建てられたそうで、哲学者デカルトが洗礼を受けた教会です。
数え上げるとキリがありませんが、パリのノートルダム大聖堂の火災以後からの4年間でも1500以上の教会がなんらかの原因で燃えているそうです。
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ノートルダム大聖堂の火災の前月には、パリ 2番目の規模を誇る聖堂であるÉglise Saint-Sulpice:サン=シュルピス教会で火災が起きていました。
警察当局は何者かによる放火としたそうですが、犯人は捕まっていません。
そうなんです。不思議なことに、いずれも犯人は捕まっていないんです。
2019年のIN DEEPさんの記事↓
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そして先日、ノートルダム大聖堂が12月に一般入場再開するというニュースが出ましたが、エジプト人移民でISIS工作員が逮捕されたという記事もひっそり流れていました。
デンマークで歴史的建築物が燃える
4月16日にコペンハーゲンの歴史的建物で火災が発生しました。
火災の映像を見て、ノートルダム大聖堂の火災の記憶がフラッシュバックした人も多かったんじゃないかと思います。
しかも、ノートルダム大聖堂と同じように改修工事中の出火でした。
建物はコペンハーゲン証券取引所(Børsbygningen)で、コペンハーゲンのスロツホルメン島(コペンハーゲンの港に浮かぶ島)に建っています。
1619年から1640年にかけて、デンマークとノルウェーの国王クリスチャン4世の治世下に建てられたそうです。
現在もデンマーク商工会議所(Dansk Erhverv)の本部として機能しています。
尖塔の形が面白いですよね。(詳しくは後述)
ソフトクリームみたいだと観光客にも人気で、コペンハーゲンのランドマーク的存在でした。
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火災発生時のホロスコープ
火災の通報があった時間(現地時間4月16日午前7時36分)がわかったので、コペンハーゲンでホロスコープを立ててみました。
実際の出火はもっと早い時間だったと思いますが。
コペンハーゲンは4月15日が上弦の月だったようですね。
天体の位置だけ見ると、月が獅子座に入ったばかりで、水瓶座2度の冥王星とオポジション。高緯度のためハウスが微妙ですが、MCIC軸にコンジャンクションしています。
建物の建設は1620年に始まり、特徴的な塔は1625年に設置されたそうです(399年前)。
冥王星の公転周期は、約247年。
1625年の冥王星の位置を確認してみると、1625年3月8日の皆既日食では冥王星は牡牛座15度、9月1日の金環日食では牡牛座19度の場所にありました。
当時、天王星が獅子座のなかほどにあり、冥王星とスクエアでした。
天王星と冥王星の会合周期は113~141年の間で、1597年~1598年の間に牡牛座18度でコンジャンクションになっていました。
この頃はユグノー戦争の終わりぐらいです。
そして、海王星が獅子座18度にあってスクエア。ノードが1625年ではハーフリターンです。
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三十年戦争
クリスチャン4世が三十年戦争(デンマーク・ニーダーザクセン戦争 - 1629年)に介入したのも1625年でした。
三十年戦争の始まりは、宗教戦争だったんですよね。この戦争では、プロテスタントが勝利し、神聖ローマ皇帝は名目的存在となり、ハプスブルク家は大打撃を受けました。
「最初で最後の宗教戦争」と言われていますが・・・終わるわけないじゃんと私は思っています(苦笑)。
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クリスチャン4世
クリスチャン4世はプロテスタント(ルター派)を信仰した王様です。
しかし、The Battle of Lutter(ルッターの戦い、1626年6月27)で、クリスチャン4世は惨敗。神聖ローマ帝国のフェルディナント2世が勝利をおさめました。
デンマーク軍はおよそ6,000の兵を失い、2,500の捕虜を出したそうです。
結果としてルッターの戦いは、大国デンマークの没落のきっかけとなりました。
神聖ローマ帝国のフェルディナント2世は、リューベックの和約後、プロテスタント諸侯が支配下に置いていた地域を、再びカトリックの諸侯へ返還するように指示しました。
ドラゴンの塔
焼け落ちた塔はとても珍しい形をしていました。
遠目で見るとソフトクリームのようですが、実は4匹のドラゴンがねじれ絡み合っているのです。
尖塔の頂上には、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの王国を象徴する3つの王冠がありました。
クリスチャン4世がなぜドラゴンの塔を建てたのかわかりません。
でも、「あれ?ひょっとして?」と思うことがありました。
ドラゴン騎士団
ちょうど少し前にX(旧Twitter)で「ドラゴン騎士団」についてのが英語のポストをたまたま見たのを思い出したんです。
ルクセンブルク家は、娘婿を通してハプスブルク家にも、フランスのブルボン朝(アンリ4世)にも繋がっています。
興味深い家系ですが、長くなるので今回はスルーします。
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ドラゴン騎士団については以前から知っていたのですが、カトリックの貴族のメンバーで構成されています。
あらためてWikipediaを見ると、団員名のところにデンマーク王クリストファ3世の名前があったので「おっ?」と思いました。
ただ、日本語wikiにしかクリストファ3世の名前が出ていなかったので、ちょっと信ぴょう性が・・・・。
デンマーク王クリストファ3世(クリストファ・ア・バイエルン)
クリストファ3世は、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの3つの国の国王でした。
クリストファ3世は31歳で急死し、ロスキレ大聖堂に埋葬されましたが、ここはローマ・カトリックの教会でしたが、1536年に宗教改革でルター派の教会になり、現在はデンマーク国教会(プロテスタント)です。
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クリストファ3世には嫡子がなかったので、スウェーデン王にはクリストファ3世の宰相だった、ボンデ家のカール・クヌートソンがカール8世として即位(1449年戴冠)しました。
チャールズ8世が戴冠したニーダロス大聖堂は、当初カトリックの教会でしたが、1537年に新しく設立されたノルウェー国教会(プロテスタント)の一部になりました。
オルデンブルク朝クリスチャン1世
デンマークは、オルデンブルク家のクリスチャン1世(1426年2月 - 1481年5月21日)が王位につきました。
クリストファ3世の王妃だったドロテア(ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯ヨハン(錬金術伯)の娘)はクリスチャン1世と再婚しました。
クリスチャン1世の父は、オルデンブルク伯ディートリヒ (テオデリック)。
母は、ヘートヴィヒまたはハイルヴィヒ・フォン・ホルシュタイン。
ヘートヴィヒは、オルデンブルク家およびグリュックスブルク家の先祖です。
現在のイギリス国王とノルウェー国王は、この家のアグナティックメンバーであり、スペイン国王とデンマーク国王は母系メンバーです。
ややこしいので、ざっくり言うと上述のスウェーデン王カール8世とデンマーク王クリスチャン1世の間では、ノルウェー王位を取ったり取られたりが繰り返されました。
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クリスチャン1世の子、ハンスとフレゼリク1世は、共同統治でデンマーク、ノルウェー、スウェーデンの3国を統治していましたが、1513年に兄ハンスが亡くなったのでハンスの息子クリスチャン2世(在位1513年 – 1523年)とフレゼリク2世の共同統治になりました。
しかし、1520年にクリスチャン2世がスウェーデン独立派を粛清した「ストックホルム大虐殺(ストックホルムの血浴)」を行ったため、スウェーデンとの同盟関係が決裂し、スウェーデン貴族族ヴァーサ家の蜂起により独立戦争が勃発しました。
1523年にスウェーデンはカルマル同盟から離脱し、「スウェーデン王国」が成立した。
こういった失敗が度重なって、クリスチャン2世はオランダに追放されました。
オランダにいる間プロテスタントに改宗していたようですが、最終的にデンマークに戻りカトリックに再改宗しています。
<余談ですが>
クリスチャン2世について、日本語Wikipediaでは「荒くれ者で残酷」なイメージで書かれているのですが(ソース不明なことが書かれているらしい)、フランス語、スペイン語Wikiは人格否定はしていなくて興味深かったです。
Wikipediaの執筆者にも赤組、青組があると思いますが、日本語Wikiの闇を見た気がしました。
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カトリック最後の王フレゼリク1世
クリスチャン2世が亡命している間、ユダヤ貴族(おそらくオルデンブルク統治のシュレースヴィヒ公国とホルシュタイン公国の貴族)によって叔父のフレゼリク1世(1523年 - 1533年4月10日)が国王として擁立されました。
フレゼリク1世は、デンマークとノルウェーを統治した最後のカトリック君主でした。その後の君主はプロテスタントの宗教改革後にルター派を受け入れました。
デンマークのカトリック教会は、9世紀に聖アンスガー(フランク族)の宣教により始まりました。
1536年のルター派の宗教改革は、ほぼ1世紀半にわたるデンマークのカトリックの終焉を意味しました。
フレゼリク1世の息子クリスチャン3世は、1528年にルター派に改宗し、宗教改革を実施し、デンマークはプロテスタント・ルター派の国になりました。
カトリックの聖職者は逮捕、追放され、既存のカトリック教会はルター派に再組織されていったのです。
聖カヌート大聖堂は、デンマーク王カヌート4世(在位1080–1086)にちなんで名づけられました。カトリックの教会でしたが、宗教改革でプロテスタントに変更されました。
フランスでは神が燃え、デンマークでは金が燃え
と、英語圏で言われているのを見ました。なるほどですね。
コペンハーゲン証券取引所(Børsbygningen)は、現在は会議や催し物を行う施設ですが、1970年代まで証券取引所として使用されていたそうです。
北欧における貿易中心地としてのコペンハーゲンを象徴する建造物だったのですね。
証券取引所の火災は、下の写真のように壊滅的でした。
数百点の歴史的美術品と歴史的な家具は、スタッフ、救急隊員、通行人によって建物から救出されたそうですが、重さ2トンのクリスチャン4世の胸像は運び出せなかったとのことです。
下の写真は、ドラゴンの塔のてっぺんについていた装飾のようですね。
右の男性は、商工会議所のブライアン・ミケルセン会頭だそうです。
オルデンブルク家とドラゴン
偶然ですが、火災があった4月16日は、今年の新年の挨拶で突然のように退位を発表された女王マルグレーテ2世の誕生日でした。
コペンハーゲン証券取引所と宮殿は、目と鼻の先の距離だそうです。
マルグレーテ2世は、グリュックスブルク家(デンマーク語ではリュクスボー家)出身ですが、グリュックスブルク家はオルデンブルク家(オレンボー家)の流れを汲んでいます。
女王マルグレーテ 2 世は、本家・分家ふくめ575 年間デンマークを統治してきた王朝オルデンブルク家出身の最後の君主でした。
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上のほうで書きましたが、現在のイギリス国王チャールズ3世(マウントバテン=ウィンザー家)は、オルデンブルク家の父系メンバーなんですよね。
また、クリスチャン4世の妹アン・オブ・デンマークは、英国王ジェームズ1世の王妃でした。
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竜の子孫とイギリス王室
この記事もまた長くなってしまいましたのでそろそろ終わりますが、ドラゴンの塔が焼失したのはただの火事ではない気がしています。
そう思ったのは、偶然ドラゴン騎士団についての日付が古い投稿(英語)を見かけたあとに、4月23日の聖ジョージ(ゲオルギウス)の祝日でドラゴンの日とも呼ばれることを思い出したからです。
聖ジョージは英国やロシアの守護聖人です。
チャールズ3世は、ドラゴン騎士団のメンバーだったルーマニアのヴラド2世と、その子で『ドラキュラ』のモデルになったヴラド3世の子孫だと公言しています。
ちなみにドラキュラとは、ドラゴンの息子、というような意味です。
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エリザベス女王が亡くなってすぐに、以下のニュースがありました。
ところが、ギリシャのコンスタンティノス2世は昨年亡くなるわ、マルグレーテ2世は突然退位するわ、チャールズ3世は病気になるわ・・・(ウィリアム皇太子妃も・・・)オルデンブルク家に何かが起きている気がするんですよね。
チャールズ3世は、カトリックのドラゴン騎士団のヴラド(竜の子)の子孫。なのに本人はイングランド国教会(プロテスタント)のトップ。
うーん、どういうことでしょうね(苦笑)
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多くの人に「違うよ」と言われそうですが、私は現在、アメリカ、イギリス、ロシア、イスラエルで起きている事件は、カトリックとプロテスタントの争い(三十年戦争は終わってなんかない)と思っているんですよね~。
そう考えたほうが辻褄が合う・・・
まとまりがないですが、長くなりましたので今日はこのへんで。
最後までお読みくださりありがとうございました。