アダムとイヴと蛇のお話
タイトルから皆さんがイメージするのは旧約聖書の創世記(Genesis)だと思います。アダムとイヴ(エバ)が登場するのは、創世記2章 - 3章です。
実は、イヴの前にアダムには妻がいました。最初の女性も神もよって作られました。それは創世記1章27節に書かれています。
ところが、その女性は自らアダムとの結婚を破棄し、エデンの園から去って行ったのです。そのいきさつは聖書からは抜け落ちています。
最初の女性は、のちにサタンの妻になり「夜の魔女」と呼ばれるようになったリリスと言われています。夜の魔女については、聖書は1度だけ(イザヤ34章)言及しています。リリスの詳細は割愛します。
アダムと2番目の妻
創世記2章の終わりに、神はもう一度アダムのために女性を作ります。
今度は、最初の女性を作ったときとは違い、アダムを眠らせ、アダムの身体からあばら骨の一部を抜き取り、その骨をもとにイヴを作りました。
聖書には、その女性を見た時のアダムの喜びの言葉が書かれています。
「ついに、これこそ、わたしの骨の骨。わたしの肉の肉。これをこそ女(イシャー)と呼ぼう。まさに、男(イシュ)から作られたものだから」(創世記2章23節)
このときはまだ、女性には名前がありません。創世記3章前半では、「アダムと女」と書かれていて、エバ(命)という名前をアダムが彼女につけたのは、例の蛇の誘惑の後のことです。
楽園追放
創世記3章で、神が彼らに「善悪の知識の木」の実を食べないように指示したことがイヴの口から語られます。それは蛇がイヴに話しかけたときでした。
「わたしたちは園の木の実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の実だけは食べてはいけない。触れてもいけない。死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
そこで、蛇はイヴに「決して死ぬことはない。それを食べると目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存知なのだ」と答えます。
イヴは蛇にそそのかされて、禁じられた実を食べ、アダムにも勧めました。すると、二人の目は開け、自分たちが裸であることが恥ずかしくなり、イチジクの葉で腰を覆いました。
神は怒り、いいつけを守らなかった二人を呪います。アダムは食べ物を得るために生涯働き続けなければならず、イヴは出産の痛みを得ます。
そして彼らは楽園を追われることになりました。
蛇とは
ところで、蛇の正体は何だと思いますか?
多くの方は「蛇はサタン(悪魔)」と言われるでしょう。あるいは堕天使のルシファー、神がアダムたちの忠誠を試すために蛇を使ったという説、ノートルダム大聖堂のアダムとイヴの像のように、リリスが蛇が変身したという説もあります。
イギリスのリンカーン大聖堂にあるアダムとイヴのレリーフを見ると、蛇の正体がわかります。
アダムとイヴの性器に食いつくような2匹の蛇。アダムとイヴは蛇に襲われているのではありません。その部分は、根のチャクラ(第1チャクラ)のありか。
蛇はクンダリーニと呼ばれる生命エネルギーです。
クンダリーニは、サンスクリット語で「円形、環状」を意味します。コイル状の意味で「蛇」にたとえられます。
また、クンダリーニが目覚めると、精神的な解放につながると信じられています。
神話学者ジョセフ・キャンベルは、クンダリーニについて「コイル状の蛇の姿の女神が、背骨にある7つのうちの最初のsubtleなセンターに眠っている状態にあると考えるべきである」と説明しています。
背骨にある7つとは、7つのチャクラのことで、最初のsubtle(繊細?かな)なセンターとは第1チャクラのことを言っています。
霊的な進歩に不可欠なもの
おそらくタロットカード「世界」のカードの緑色のリースもクンダリーニだと思います。中央の女性は、ソフィア(知恵の女神)と言われています。
ヴェシカパイシスの重なりの部分は、アーモンド型になっており、キリスト教の絵画に描かれているアーモンド型は、イエス・キリストがクンダリーニの覚醒を経験したことを伝えていると言われます。
上記のアン・マリーさんによると、
「クンダリーニが目覚め、骨盤から背骨を通ってクラウン チャクラに上昇すると、背骨に沿った他のすべてのチャクラが浄化され、活性化されます。
第6チャクラに到達すると、いわゆる「第三の目」が開きます。 内なる二元性は神の一体性に取って代わられます。 この融合は、神との結合につながるため、神聖な結婚とも呼ばれます。
同時に、クンダリーニは頭の真ん中にある松果体を 活性化し、視床下部と脳下垂体を刺激してホルモンを生成します。 脳内で放出される物質は、エクスタシー、時代を超えたもの、団結の体験を提供します。 」
霊的な進歩にクンダリニーの目覚めは、重要なんですね。
なのに、なぜアダムとイヴは罰せられ、楽園を追い出されることになったのでしょうか?
恐怖による支配
キリスト教圏ではない日本人にはあまりピンときませんが、キリスト教圏の人は「セクシュアリティは教会によって律せされている」と感じているそうです。ある人は「教会は性行為を監視することができないので、恐怖の教義を信者に強要しました。すべての知識と霊的な力を奪われた民衆(無知=恐怖)は、キリスト教の嘘の犠牲になりました。」と書いていました。
キリスト教にはたくさんの派があり、この方がどの会派に属しているかわからないですが、「神のいいつけ(たとえば十戒)を破った人は、天国に行けない」、あるいは「イエス・キリストの再臨で神の王国が建てられるとき、救われる14万4000人になるために神の教えを信じなさい」と強制されたと感じているクリスチャンもいるということですね。
恐怖は、人間の信念や思考をコントロールすることができます。
とくに聖書は何世紀も続くベストセラーですし、非常に強力な洗脳ツールだとそのクリスチャン氏は言っていました。
なるほど。それも多くの日本人にはピンとこない感覚だなぁと思いました。
日本人から見た一般的なキリスト教会は、アカデミックな印象があり、信仰するつもりがなくてもなんとなく自分も浄められそうな気がして、教会を訪ねるのだと思います。美術館に行くのと似たような感覚でしょう。
聖職者はもちろん支配者も、自分たちの権力を維持するために人々の恐怖を煽り支配してきた歴史があり、それは形を変えて現在も続いています。
霊的な覚醒と錬金術のマグナムオーパス(最高傑作)
私たちの殆どの人のクンダリーニは眠ったままです。
たとえば、マタイによる福音書26章36節。イエスがゲッセマネで父なる神に祈りを捧げようとした時、イエスは少し離れたとことろに控えている弟子たちに「起きていなさい」と言います。ところがイエスが戻って来てみたら、彼らは眠り込んでいました。
それは3度繰り返され、イエスは弟子たちに「あなた方はまだ眠っている。休んでいる」と言葉をかけました。つまり、弟子たちは、まだ霊的に不足だったという意味でしょう。
またアン・マリーさんは「福音書の著者たちは、この霊的な真実(イエスがクンダリーニ覚醒をした人物であったこと=錬金術でいうマグナム・オーパスに達したこと)を、想像力や言葉遊びの使用を含む独創的な方法でテキストに隠してきました。 教会の厳格な態度のため、真実は声に出して語ることはできませんでしたが、フリーメイソンなどの難解なグループを通じて、絵画で表現されました。」と言います。
キリスト教美術には、イエスのクンダリーニ覚醒のプロセスが多く描かれているそうです。
バチカンのサンピエトロ大聖堂にあるベルニーニが創った天蓋は、ねじれた柱が特徴的です。これも「蛇=クンダリーニ」を表しています。
上の絵は、たまたま見つけたミゲル・カブレラ(1700年頃のメキシコの画家)が描いたイエス。
赤白の花は、二元の統合で錬金術の過程です。アイリスは松果体を表しています。イエスが頭に指を当てているのは、その場所を指しているようです。
また左手に持った花の茎(ねじれている?)が、根のチャクラ付近に置かれているのもクンダリーニを表しています。
子どもの天使が持っているピンクのネジネジしたものも、クンダリーニっぽい感じがします。
それにしても、このイエス、色っぽいですね。
イエスは、人の子として33歳まで生きましたが、人の背骨の椎骨の数は33と言われ、フリーメイソンの階級も33です。
日本には三十三間堂と呼ばれる寺社建築がありますが、33は人間にとって重要な数字ということですね。
3も重要な数字です。イエスは午後3時に息を引き取り、3日後に復活しました。聖書にはほかにも、3回、3度など数字の3が多用されています。
ちなみに私は、クリスチャンでもないのに聖書を持っています。理由は研究の為と、おそらくクリスチャンだった過去世からの癖でしょう。
現世の私にとって聖書は、主人公が太陽の化身の壮大な創作ヒストリーと思っていますので、(イエスのような人はいたかもしれないが、作られたヒーローだと思っている)良いところだけ教訓として取り入れています。
聖書は占いを禁じているか?
聖書は、長い間に何度も支配層に都合が良いように書き替えられてきたのだろうと思います。新約聖書の最後の黙示録22章には以下のように書かれているのもかかわらず。
蛇がクンダリーニを表している事実を隠し、蛇=サタンということにして恐怖で信者を支配したキリスト教会ですが、ヘブライ語、ラテン語、英語などと翻訳が繰り返されるうちに、誤って訳された箇所、あるいはわざと違った意味にした言葉もたくさんあるのではと思います。
たとえば「聖書では占いを禁じています」と言いますが、確かに僧職者は占いをしないように注意するでしょう。信者が占い師のことを信じて、聖書を無視するようになると教会は困ります。
ガラテア5章20節 「肉の業(わざ)は明らかです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。」に書かれている「魔術」とは、sorcery、witchcraftで占いという解釈になります。
しかし、この箇所はギリシャ語ではpharmakeia(ファルマケイア、ファーマキア)=薬を意味します。 魔術は麻薬、薬物の乱用のことだったかも。
薬が、いつ、どこで、なぜ、魔術=占いに置き変わったのか、実に興味深いと思いませんか?
どこの国の王様に都合が良かったでしょう。やっぱり、あの戦争かな?
大いなるバビロン
このように故意に霊的な知識が隠されてきたため(他にもあるが)、人々は自分の霊性を目覚めさせる術を知らず、大人しい羊のように無力であり続けています。
少数の支配層が世界をむさぼり続け、ついに彼らはもっと支配しやすい世界を作るために結託して計画をスタートしました。誰の目にも一見良さげな看板を掲げて・・・
彼らがその計画を隠さなくなったのが2020年12月末、水瓶座で木星と土星がぴったり重なり、風の時代が始まった時だと思います。なぜなら、彼らは占星術を使っているはずだからです。風の時代は約800年続きます。
創世記の神は「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と地球の生き物を祝福したが、人間は真逆の方向を目指しているようです。
考えてみれば、人工子宮ベイビーは水瓶座冥王星的。水瓶座はテクノロジーの星なので。母体への負担もなく、出産の痛みもない。
そして、人々のクンダリーニはますます眠ってしまうでしょう。
今日はこのへんで。
最後までお読みいただきありがとうございました。