水瓶座冥王星時代の始まりとMAGA*19世紀と20世紀の大恐慌と万博
11月20日に冥王星が山羊座から水瓶座に再入宮します。
来年も冥王星の逆行はありますが、もう山羊座に戻ることは二百年以上先までありません。
そして水瓶座に約20年間留まります。
前回、冥王星が水瓶座にいた頃は、アメリカ独立戦争やフランス革命に代表される「革命の時代」でした。
今回の水瓶座冥王星時代(人間嫌い)も、対立や分裂が多い時代になると思いますが、ロボットやAI技術、宇宙開発事業はかなり進展する20年になるでしょう。
そして先日、トラ氏の大統領の再就任が決定。
後出しジャンケンみたいなことを言うと、カマラんのトランシットが弱かったので、トラ氏が勝つだろうと思っていました。
冥王星が山羊座に入った2008年に、黒人初の大統領になったオバマ氏が山羊座冥王星時代を象徴していたように、水瓶座冥王星時代の象徴はトランプ大統領になるかな。
でも、4年後の別の大統領かもしれません。
シンプソンズの予告では、2028年はトランプ大統領の長女イヴァンカさんになっていました。
バイデンお爺ちゃんの笑顔が最高。スマホの待ち受けにしたいぐらいです。
(お爺ちゃんはトラ氏に投票したんだろうという噂も)
しかもこの会見のとき、スタスタ歩いてハキハキ喋ってて、すっかり演技するのを忘れているお爺ちゃん。最後は投げキッスまで(笑)
中の人はジム・キャリーだったかもよ(笑)
そういえば、トランプ大統領がアメリカ建国の250年を祝って、任期中に万国博覧会をする計画があるとか。
なるほど海外から旅行客を呼び込むんですね。観光産業だけでなく、公共事業も建設業も潤いますね。
アメリカの経済状態も(ほんとは火の車らしい)持ち直すことでしょう。
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1893年大恐慌と万博
たまたま以前に調べたことがある2つの大恐慌と万博の話をしてみます。
1893年シカゴ博覧会①
私が密かにフリーメイソン大イベントと呼んでいる1893年のシカゴ万博(世界コロンビア博覧会)の建物のテーマは「ホワイトシティ」。
これは白人社会を表していました。
建物はほとんど真っ白で、7メートルを超す巨大な金ピカの共和国像が目玉でした。
1893年は、双子座8度~9度で海王星と冥王星がコンジャンクションしていました。
1891年から1893年の双子座でのコンジャンクションでは、自動車やエンジン、ラジオの初期の発展など、科学技術の画期的な進歩が見られました。
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1893年のアメリカ大統領は、グロバー・クリーブランド。
歴代アメリカ大統領において、「連続ではない2期」を初めて務めた大統領でした。
アメリカの「金ぴか時代」の終焉
金ぴか時代には、鉄鋼王アンドリュー・カーネギー(スコットランド出身)、石油王ジョン・ロックフェラー、銀行家ジョン・モルガン、鉱山王マイアー・グッゲンハイム(スイス出身のユダヤ系ドイツ人)、海運業から鉄道に転じたコーネリアス・ヴァンダービルト(オランダ系)など名立たる富豪が生まれました。
ほかの記事にも書いた、ヴァンダービルト家のビルトモアの邸宅は1895年に建てられました。
(ヴァンダービルド家のことも書きたいのですが時間が足りない(苦笑)
南北戦争後(1865年終結)、北部の経済は産業、鉄道、鉱山および農業で栄え、都市はめざましく発展しました。
クリーブランド大統領は1889年の選挙で、共和党のベンジャミン・ハリソン氏に敗れました。
ハリソン新大統領のもと、共和党は大規模な政府支出を行って大企業全般を支援し、金本位制への移行や高関税政策を行ない高度成長を進めました。
ハリソン政権が成立させたマッキンリー関税は極度に高税率で、輸入品に対する関税は50パーセント以上に引き上げられ、外国製品の価格は高騰、国内市場は国産製品の独擅場となりました。
一方で中小企業へはシャーマン反トラスト法を制定しましたが、こちらは大資本に牛耳られた連邦議会により骨抜きにされてしまい、抜け穴だらけのザル法でした。
金本位制か銀本位制か(1873年金融危機)
アメリカでは1840年代に始まったカリフォルニア・ゴールドラッシュで、海外からも含めおよそ30万人もの男女、子供がカリフォルニアに集まりました。(フォーティナイナーズ)
当初は金は採り放題だったわけですが、まもなく鉱山法が設定されて最初に鉱脈を見つけた人に採掘の権利が与えられ、それから鉱山会社や取引業者が現れました。
その後、1872年のチャフィー法(鉱山法)で最終的に法制化されました。
ゴールドラッシュが進展するにつれて、地元の銀行や金取扱い業者が金に交換できる「銀行券」を発行しました。
金はカリフォルニアの銀行からアメリカ合衆国国定銀行に送られ、それとアメリカ合衆国紙幣が交換されました。
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1873年から1879年まで、ヨーロッパと北アメリカで金融危機が起きました。
この金融危機の最初の兆候は、ウィーンの財政破綻でした。
(普仏戦争の影響があったのでは?)
1871年、ドイツが銀貨の鋳造を停止する決断を行い、銀の需要が減り価格が下がったため、その結果として銀を多量に産出していたアメリカも銀政策を変えることになり、1873年貨幣鋳造法が導入されました。
この法で事実上金本位制に移行しました(ただし、貿易ドルという形で輸出用に銀貨の鋳造を続けた)。
このときの大統領は、共和党のユリシーズ・グラント将軍。
貨幣鋳造法は直接銀の価格を低下させ、国内の通貨供給量を減らし利率を上げることによって、重い負債を抱えていた農夫などに悪影響を与えることになりました。
投資家達は長期の債券、特に長期国債を避けるようになりました。
さらに銀行破綻の連鎖とニューヨーク証券取引所の一時閉鎖という事態に陥りました。11月までに国内の鉄道会社の55社が破綻し、恐慌から1年以内にさらに60社が破産したそうです。
1876年の選挙では、共和党のラザフォード・ヘイズ氏が大統領に就任。
45日間続いたと言われる1877年の鉄道大ストライキは、ボルティモア・オハイオ鉄道による1年間に2回目の賃金カットに反応する形で始まり、労働者とメリーランド州兵との間で市街戦に発展しました。
連邦軍は群衆に向かって発砲し、11人が殺され40人が負傷しました。
ストライキはその後、合衆国の中西部や西部に拡がり、スプリングフィールドおよびカーボンデイルの炭田の坑夫達も同調してストライキを始めました。
このストライキの原因は1873年の不況にあり、国内でも最大の投資銀行で、鉄道会社の出資者でもあったジェイ・クック銀行の倒産の影響でした。
フリーシルバー*自由銀運動
1878年になるとブランド・アリソン法が制定されました、
これは財務省が鉱山会社から一定量の銀を購入し、それを銀貨として流通させることを要求するアメリカ合衆国議会の法律でした。
その結果、金と銀の両方が通貨を支えるバイメタリズムを回復するのに役立ちました。
自由銀運動は、銀の無制限の貨幣鋳造を提唱しました。
支持者には西部の銀山の所有者、銀を含めることで作物の価格が上昇すると信じた農民、そして彼らの借金を軽減すると信じていた債務者が含まれていました。
この法律は1890年に同様のシャーマン銀購入法に置き換えられ、ハリソン大統領はシャーマン購銀法を制定しました。
シャーマン銀購入法は、政府が毎月450万オンスの銀塊を市場価格で買い入れ、対価を額面1から1000ドルの財務省紙幣で支払うというものでした。
財務省紙幣はコインノートと呼ばれる大型(平均寸法は187.3 x 79.4ミリメートル)でした。 金または銀の相対的な価値が変動した場合に、金または銀を放出することをある程度制御することができました。
しかしこの法案の影響は、金の在庫に比例せずに流通するドルの量が大幅に増加し、銀ドルの地金価値が80セントから約50セントに暴落。
銀ドルと紙幣の交換に対する国民の不安が高まっていきました。
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1893年大恐慌
クリーブランドが選挙に勝利し、再び大統領に就任した1893年5月1日に万博が始まり、その4日後の5月5日にウォール街の株価が暴落したのです。
この暴落は何が原因だったか調べてみると、イギリスのベアリング銀行(1995年廃業)の名前が出て来ました。この銀行は、1995年の阪神淡路大震災の影響で破産しているんですよねぇ。
ベアリング銀行によってアルゼンチンへの投資が奨励されていましたが、小麦の不作とブエノスアイレスでのクーデターによって投資が止まったため、投資家がその投資を現金化し始めたことが引き金になったそうです。
余談ですが、別件でこの金融危機に関係しているんじゃないかと思う冤罪事件があるんですよね。長くなるので、またいつか書きます。
最初の兆候は1893年2月23日。過剰に拡大を続けていたフィラデルフィア・アンド・レディング鉄道が破産しました。
経済状態が悪化するという懸念から、人々はお金を引き出すために銀行に殺到し、取り付け騒ぎが起こりました。
イギリスの金融危機とヨーロッパにおける貿易量減少により、海外投資家はアメリカの株を売って、金の裏付けがあるアメリカの資金を得ようとしました。
クリーブランド大統領は、経済危機の主たる原因と考えていたシャーマン銀購入法を撤廃しました。
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この恐慌の結果として、銀行500行が閉鎖し、企業15,000社が破産し、多くの農場が経営を止めました。
この時代のアメリカでは、イギリスのヴィクトリア建築様式(アン女王スタイル)が流行していましたが、せっかく建てた家を手放さねばならない中流階級も多かったとのことです。
失業率はペンシルベニア州で25%、ニューヨーク州で35%、ミシガン州で43%に達し、極貧者を救済するために無料食堂が開かれました。
場合によって女性は家族を養うために売春を行いました。
1896年にやや小さな恐慌がおきましたが、アメリカ経済は回復を始めました。ところが、その先にまた1907年恐慌が待っていました。
1893年シカゴ博覧会②
そんな大恐慌の時代に行われていたシカゴ博覧会でしたが、参加国は独立国39と属国43を数え、19世紀にアメリカが開催した博覧会中最も規模が大きかったそうです。
このときの大火災が実に怪しくて(殺人事件がらみ)、途中まで調べたことがあります。いつかまた点と点がつながるかも知れません。
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1893年のシカゴ万博には日本も参加していました。
宇治平等院鳳凰堂を模した日本館「鳳凰殿」と日本庭園を建設し、博覧会終了後、天皇からの寄贈という形でシカゴ市に無償で寄贈しました。
鳳凰殿は、日本が東洋の一大帝国であることを示すという意図で建築されたそうです。1946年、火災により焼失しましたが、1992年にシカゴ市の姉妹都市である大阪市により万博跡地のジャクソンパーク内に日本庭園が再整備されました。
2014年に「The Garden of the Phoenix(鳳凰庭園)」に改名されています。
2014年からジャクソンパークは、バラク・オバマ大統領センターの候補地になり、途中訴訟があり中断しましたが、2021年9月28日に着工し、2026年に開設することになっています。
エマニ総督は、当時シカゴ市長だったんですよね。(~2019年まで)
1933年のシカゴ万博
シカゴでは、1933年にも万博が行われました。A century of progress International Exposition.
シカゴ市制100周年を記念したもので、21ヶ国が参加し、会期中2232万人が来場したそうです。
1933年の建物のテーマは「レインボウシティ」。
当時アメリカは大恐慌の真っ最中でしたが、大成功を収めたと言われています。
当初、博覧会は1933年5月27日から11月12日までの開催予定でしたが、大成功を収めたため、1934年5月26日から10月31日までの追加開催されました。
このときのアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルト(在任:1933年3月4日 – 1945年4月12日)でした。
ルーズベルトは、ご存じのように第2次世界大戦を始めた大統領ですが、アメリカ政治史上で唯一4選された大統領です。
現在では大統領は2期8年(修正第22条:1951年)までと定められていますが、戦時・有事の場合は大統領を変更しない慣例になっているとか。
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ルーズベルトというと「ポリオワクチン」も浮かんできますが、長くなるので割愛します。
ルーズベルトは1933年4月から「ニューディール政策」を実施し、ほかに労働者の地位向上・社会保障の充実などの政策を行いました。
ルーズベルトが就任した1933年以降、景気は回復過程に入り、実質GDPが1929年を上回りましたが、1937年の金融・財政の引き締めによる景気後退があり、失業率は1929年の水準までは回復しませんでした。
その後、第二次世界大戦によって史上最大の軍拡、軍需経済、戦時経済が著しく増大し、アメリカ経済は完全に回復し失業者も激減しました。
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1929年のウォール街大暴落から世界恐慌への流れでは、日本も酷い巻き込まれ方をしました。
詳しくは以下の記事に書きましたが、アメリカが金本位制に傾くとき金融危機が起きたり、そのあとに戦争が起きている気がするんですが、気のせいでしょうか?
ところで、選挙後3日間、トランプ氏のSNSに投稿がなく、3日ぶりにUPされたのが下の画像だったそうです。
「GOLDEN AGE」とは、単にアメリカが金ぴか時代のように繁栄することを指しているのか?金本位制のことなのか?(あるいは暗号資産?)
それとも・・・
今日はこのへんで。
最後までお読みくださりありがとうございました。
ではまた近いうちに。