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1947年4月16日テキサスシティ大災害"The city that would not die"

テキサスシティ大災害(Texas City Disaster)
1947年4月16日にアメリカ合衆国のテキサス州テキサスシティで発生した貨物船爆発事故。船舶の火災により、積荷である2200〜2300トンの硝酸アンモニウムに引火、爆発を起こし581人の死者と5000人以上の負傷者が出た。

硝酸アンモニウムは、主に高窒素肥料として農業で使用されている。
その他の主な用途は、鉱業、採石、土木建設で使用される爆発性混合物の成分として使用される。ANFO(アンホ爆薬)の主要な構成要素であり、北米で使用される爆発物の80%を占める普及した産業用爆発物である。

硝酸アンモニウムの爆発で記憶に新しいベイルート港の大爆発の検証記事。


貨物船グランドキャンプ号

今日は、76年前のこの事故のホロスコープを見ていきたいと思います。

貨物船の名前は、グランドキャンプ号。フランス船籍の船ですが、もともとは1942年にロサンゼルスで「ベンジャミンR.カーティス」と名付けられた、第二次世界大戦中の予備艦艇だったそうです。

戦後ヨーロッパの復興を支援するために、米国からフランスに提供され、グランドキャンプに改名されました。当時のフランスの海運会社は、Compagnie Générale Transatlantique(CGT、通称「Transat」)でした。

ブルム・バーンズ協定
この協定は、主に第一次世界大戦でフランスが米国に負っていた1939億ドルの借金を消去する取り決め。
米国は輸出入銀行を通じてフランスに低金利で650億4万ドルを融資し、マーシャルプランから3億ドルの無料助成金が返済なしで行われました。
引き換えにフランスは、市場を米国の製品、特に映画製作に開放しました。
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要するに、戦争の借金(武器提供など)を帳消しにする代わりに、メイドインアメリカの製品やハリウッド映画の上映などを通して、アメリカ文化をフランスに浸透させ、フランスはじめヨーロッパに「アメリカの生活様式を広める」(アメリカの価値観を広げる)目的だったようです。

米国が船を提供した経緯は、長い話なのでざっくり説明すると、Transatは第二次世界大戦で13隻の定期船と40隻の貨物船を失っていました。
その中には、フランスがドイツに侵攻されヴィシー政権になったとき、ドイツにフランスの艦艇を奪われ攻撃されることを恐れた英国(チャーチル政権)のカタパルト作戦によって、故意に爆破されたものもあったようです。

戦後、Transatは米国から合計65隻のリバティ船を受け取りました。

リバティ船(Liberty ship)は、第二次世界大戦の最中、米合衆国政府によって制定された緊急造船計画によって大量に建造された規格型輸送船の総称。

グランドキャンプ号は、その65隻の中の1隻だったわけです。

朝8時ごろ、グランドキャンプ号の貨物庫でボヤが起きました。
硝酸アンモニウムが放水によって傷むのを恐れたフランス人船長は、消火作業を行わず、ハッチを密閉し船倉を蒸気で満たすように命じたそうです。
貨物を保存するために、エンジンルームから蒸気を送るのは伝統的な消火方法なのだそうです。しかし、結局これが間違いのもとで、水蒸気により硝酸アンモニウムは液状化し始めました。

この硝酸アンモニウムは、フランスおよびヨーロッパの農家が肥料として使うためのもので、グランキャンプ号はこのあとフランスへ向け出港する予定でした。船員は全員フランス人だったそうです。

火が出た原因はわかりませんが、8時前に硝酸アンモニウムを積み込んでいた港湾労働者が「袋が温かい」と報告していたそうです。
港に到着する前の鉄道輸送の段階で、熱を帯びていた可能性がありました。硝酸アンモニウムは、テキサスシティで製造されたものではなく、アイオワ州とネブラスカ州の陸軍省の工場で製造されていました。そのため、爆薬製造ラインの不純物が混入していた懸念があります。

硝酸アンモニウムの爆発

上のホロスコープは、データバンクで発見したもので、最初の爆発の時間、午前9時12分で作成されています。

天王星(双子座18度)がアセンダントに乗っています。いかにも突発的なことが起きる配置です。
天王星は金星(魚座20度)とスクエア。アセンダント&天王星と金星は、5ハウス蠍座6度のカイロンとでトールハンマーを形成しています。これが大事故を表しているようです。

爆発の前、8時半ごろにハッチの扉が吹き飛ばされており、そのころにはグランドキャンプ号の乗組員からではなく、危険を感じた港湾労働者が消防に通報したため消防隊が到着していました。
美しい色の煙(二酸化窒素のガス)が立ち上り、大勢の野次馬も集まってきていたそうです。

災害の生存者の証言
「私はまだ子供でした。叔母が私の手を取って走ったのを覚えています。そして、私は振り返って煙を見たのを覚えています。とても綺麗でした。黒とオレンジで、本当にきれいでした。」

市民を表す月は、9ハウス水瓶座29度にあり、6ハウス蠍座木星とスクエア、ノード軸とでTスクエア。
月が天頂にあるので、市民は安全な距離を取って様子を見ていたということだと思いますが、テンションが上がっていたとも取れます。
木星は増やす作用があり、ノードが絡むと大人数に影響が出ます。

3ハウスに冥王星(獅子座10度)が入っており、冥王星は、経済を表す2ハウスの土星(獅子座2度)とコンジャンクション。土星は、9ハウスの月とクインカンクスで、この事故が海外輸送に関係した港の壊滅的な事故であることを思わせます。
また、6ハウス木星は、多くの労働者という意味もあるでしょう。

テキサスシティは、石油精製や石油化学工業の中心で、古くから活気ある町でした。第2次世界大戦では、中東・南アメリカ・東南アジアの友好国からの石油製品の積荷は完全に途絶えてしまったため、石油精製所や化学プラントは戦時遂行努力として、休みなく最大限に稼働したそうです。

市は、合成ゴムに不可欠な原料であるスチレンを製造する石油プラント建設への資金を提供した。モンサントケミカル社が経営を請け負い、このことが戦後さらに大きな石油コンビナートとして発展する核になった。1950年までに市の人口は16,620人を数えた。

wikiより

9時12分、グランドキャンプ号は爆発し、船から600メートル以内のすべてが破壊され、爆風は15フィート(4.6 m)の衝撃波となり津波も発生したと言われています。
火のついた瓦礫が空から降り注いだため、周囲に火災が発生し、石油タンクやモンサント社、ユニオンカーバイドなどの工場火災も引き起こしました。

モンサント社の雇用記録は爆発で破壊され、港湾労働者の多くは出稼ぎでした。少なくとも178人が行方不明、63人の遺体が身元不明。
1回目の爆発で、合わせて400人以上の命が失われたそうです。

11ハウス牡羊座太陽は、6ハウス木星とクインカンクス。ここでの6ハウスは、医療衛生を表していると思います。負傷者も多く、医療現場の混乱を意味しているのでしょう。
何枚か写真を見ましたが、まるで原爆が落ちた広島や長崎のようでした。

2回目の爆発

2回目の爆発は、硝酸アンモニウムを積んだ別の船への引火爆発です。1回目の爆発で、近くに停泊していたハイフライヤー号が炎上、さらにハイフライヤー号の錨が外れたことにより漂流し、別の船に衝突しました。
ハイフライヤー号は、1,000トンの硝酸アンモニウムと2,000トンの硫黄を運んでいました。

日付が変わって、17日午前1時17分にハイフライヤー号は爆発。目撃者によると、爆発はグランドキャンプの爆発よりも強力だったそうです。
最初の爆発から約16時間後、魚座0度にいた月は魚座8度ぐらいまで進み、月は冥王星と海王星とでヨドになっていたと思います。満を持してという表現は適切ではないですが、まさに時が満ちたという感じでハイフライヤー号は爆発した感じがします。

船は木星が表します。グランドキャンプ号とハイフライヤー号がいつ建造されたのかわからないですが、6ハウスに木星が入っているのは、もともとは第二次世界大戦中に大量製造された軍事用(6ハウス)のリバティ船(木星)で、戦後は食料や肥料を運ぶ(6ハウス)の貨物船(木星)になったということもホロスコープは表しているように思います。

6ハウスは、医療衛生、労働奉仕、食物、軍事、公務員など、多様な意味合いのあるハウスです。

グランドキャンプ号の火災から始まった事故は、最終的に581人が死亡、5,000人以上が負傷する大惨事となりました。
爆発があまりに激しく強烈であったため、最初の爆発に巻き込まれた消防関係者の多くは消息が分からないままとのことです。

ホロスコープを見ると、アセンダントのルーラーの水星(10ハウス牡羊座0度)は、火星(牡羊座3度)とコンジャンクション、5ハウス天秤座海王星とオポジション。
これは爆発の規模や、死傷者の多さをあらわしているようです。また、経済的損失の大きさも表しているように思います。

この災害は当時100億ドルの被害をもたらし、今日では約1億ドルに相当するそうです。この後、テキサスシティ救済基金が設立され、チャリティコンサートなど大々的な募金活動が行われた一方で、訴訟も多く起こり、原告485,1946人が米国政府に対して集団訴訟を起こしました。
地方裁判所は、硝酸アンモニウムの製造、委託行為について米国政府に責任があると認定し、輸送、保管、積み込み、防火および消火のエラーによって爆発とその後の大虐殺につながったとしました。

テキサス州にとって石油産業は重要であるため、復興では石油関連施設が真っ先に復旧されたそうです。
現在もテキサスシティは、石油精製や石油化学工業の中心となっています。

テキサスシティのモットーが、"The city that would not die"(死ぬことのない町)ということで、1997年には爆発の50周年を記念して、災害の灰からの再生を象徴するフェニックスの記念噴水が建立されました。

フェニックスの泉


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