バレンシアで起きた聖書的洪水(2024年10月末)
10月初めにアメリカ・ノースカロライナ州アシュビルで起きた「聖書的洪水」の痛ましい光景が、今回はスペインのバレンシア地方で再現されてしまいました。
スペイン東部洪水 200人以上死亡 対応遅れで被害拡大と批判も | NHK | スペイン
最初、私がバレンシアの天気に注目したのは、ハリケーン・ヘレンのときのブロッキングと似ている気がしたからです。
ジェット気流から切り離された空気のポケットが出来たのが共通点ですが、
ノースカロライナの場合は暖かく湿った空気ポケットで、バレンシアの場合は冷たく湿った空気でした。
地形に共通点があるのかわからなかったのですが(バレンシアは平地のイメージがあった)、もしも地形も似ていたら大変な災害になってしまうのでは?と思い、注視していました。
ハリケーン・ヘレンについては、以下の記事に書きました。
バレンシアを襲ったDANA
Depresión Aislada en Niveles Altos(DANA)は、スペインとフランスで使用される用語で、ジェット気流から切り離された空気の塊の形をした気象現象を指します。 一般的には、スペインの地中海沿岸に沿って(またはフランス全土で)秋に発生する影響の大きい降雨イベントです。
バレンシアでは、8時間の間に1年分の雨が降ったそうです。
バレンシアに警報が出されたのは29日でした。
地元バレンシアの人によると、スペインの国営気象庁AEmetが警告を出したのは午前8時前。
しかしバレンシア州のカルロス・マソン大統領と関係者は、正午に「夕方6時には小康状態になる」と会見し、人々はそれを信じて学校や会社からの帰宅や避難が遅れたということでした。
政府が避難警報を出したのは午後8時だったとのことです。
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いくつものビデオを見ましたが、とにかく水が市街地に入って来るスピ―ドがすごく早かったです。
まるで津波。でも海からではなく川の上流から下流の町へと。
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ラグーンの変化
洪水リスク
なぜ洪水のスピ―ドが早かったのか。
気になって調べてみると、バレンシアは地理的に洪水になりやすいことがわかりました。
記録が残っている1957年10月14日のバレンシア洪水は、少なくとも81人の死者が公式発表されていますが、実際数は数百人に及んだそうです。
独裁者と怖れられたフランシスコ・フランコ政権(1936年~1975年)の時代です。フランコは最終的に王政を復活させました。
ローマ時代からバレンシアではトゥリア川の氾濫が何度も発生していました。1957年の洪水に先立つ7世紀に、最大75回の洪水が発生したと推定されています。
この出来事によりさらなる洪水を防ぐため、川を迂回するプロジェクトが考案され、スペイン語で「プラン・スール」が実施されました。
トゥリア川に増水時期だけ放流される川床が建設され、水はバレンシア中心を囲む新しいコースに沿って南に迂回されて地中海に向かいます。
古い川床は、公園として文化施設が整備されました。
緑色の部分が古い川床です。
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被害が酷かった南部
しかし、川を迂回させたことでバレンシアの中心は守られたものの、今回の洪水ではバレンシアの南にあるランブラス・デル・ポヨ渓谷が溢れたのが南部に被害をもたらした結果でした。
しかし、渓谷という名が与えるイメージとは違ってかなり都市化しているんです。
さらに調べていくと、トゥリア川の新しい川床とポヨ渓谷をつなぐ水路の計画があったそうですが、工事の着手が遅れていたのだそうです。
その水路が完成(予定では2023年10月完成だった)していたら、今回の洪水は避けられた可能性があったとのこと。
CHJは15年間、浸水地域の洪水に対する取り組みを計画してきました-バレンシアプラザ (valenciaplaza.com)
国王と王妃に泥や物が投げつけられる
水が退いた翌日から、洪水被害を受けなかったバレンシア中心部の住民たちがデッキブラシやシャベル、バケツを持参して、被害が酷かった南部地域へ清掃ボランティアに徒歩で向かう何千人もの長い長い行列が見られました。
アメリカのハリケーン・ヘレンの時もそうでしたが、自発的にどんな状況でも出来る限りのサポートをしようと(たとえ政府が止めても)する姿勢には頭が下がります。
夜になると強盗や略奪が行われており、自警団が見回っているそうです。
極右による煽動
スペイン 洪水被災地で国王夫妻に泥 住民が支援の遅れなど抗議 | NHK | スペイン
フェリペ国王とレティシア王妃が、ペドロ・サンチェス首相とカルロス・マソン大統領と共に、一番被害が大きかったパイポルタを視察したときにそれは起きました。
王妃のボディガードは額から血を流していました。
メディアによっては意地悪く、住民が国王に「出て行け」「人殺し」と叫んで攻撃したと書かれていましたが、その場に居合わせたボランティアの男性によると、「ネオナチのグループが煽動していた」と。
住民も「この町の人ではない若者が騒いでいた」とXにポストしていました。つまり、清掃ボランティアの中にネオナチグループが入り込んでいたわけです。
ボランティアの男性が言うには、「みんな疲れ切っていて、ストレスがピークになっていた」と。だから集団ヒステリーが爆発したのでしょう。
怒りは悲しみの別の表現です。
首相と大統領は逃げ帰り、残されたの国王と王妃の被災者に対する態度は立派で、住民のやさぐれた心も多少は軟化しただろうと思います。
もしも国王夫妻が怪我をしたり、首相が暗殺されたりしたら、とんでもない大事件になってしまったことでしょう。
サンチェス首相は、国王夫妻を危険な目に遭わせた責任を取らないといけないかもね。
まあ、イギリスのチャールズ王も何度も卵を投げつけられたり、君主制に反対する組織の工作員に攻撃されていますが、王殺しはもう止めたほうがいいと思うんですよね。
国王を殺して喜ぶ国民がいる国はろくなことにはならないと思う。喜びは一瞬のこと。「王政のもとで国民は奴隷だ」というのも思い込み。
(意見には個人差があります)
アジェンダ2030と陰謀論
スペイン語のポストのいくつかに、バレンシア政府批判やインフラ事業の失敗(ダム撤去)を非難するものがあり、調べてみると「2030年アジェンダでダムを撤去した」という話が出てきました。
WEF(世界経済フォーラム)のサイトを見ると、ダム撤去は2022年に開始されていました。
ヨーロッパで進むダムの撤去:河川再生と生物多様性の回復に貢献 | 世界経済フォーラム (weforum.org)
スペイン全土のダム撤去について学びましょう!- ダム撤去ヨーロッパ (damremoval.eu)
しかし、バレンシアで起きた洪水の増加を、ダム撤去と結びつけると「陰謀論者」扱いされるようです(苦笑)
Disinformation narratives on dam demolitions in Valencia - Maldita.es
という記事を読んでみますと、「洪水の影響を最も受けたバレンシア州を含むフカル川流域では、貯水池も大きなダムも破壊されていないから、今回の惨事とは関係ありません。」ということなんですね。
ところがよくよく読んでみると、2000年以降、フカル川流域では28のインフラが破壊されているんです。
でも、貯水池とは認められない貯水池とダムとは呼ばれない小さな堰だから、貯水池もダムも破壊していないんだということでした。
そして
「これらの障壁を取り除く責任は誰にあるのか。サンチェス大統領でもEUでもなく、水路連盟河川流域組織(organismos de cuenca)によって下された決定です。」と。
おいおい、責任転嫁か?と思ってしまいました(苦笑)
スペインの水路連盟流域組織は、水路連盟の名の下に1926年に勅令法によって設立され、水法では、独自の法人格を持ち、国家とは異なる公法上のエンティティとして定義されています。
スペインのダムやダムの解体を誰がどのように決定するのか - Maldita.es
現政権とプロパガンダ
さらに、2000年以降に行われた取り壊しは前政権で行われたもので、具体的にはバレンシアの場合は、現首相サンチェス氏が着任する前の2006年から2017年の間に行われたものですと書かれていました。
要するに、ペドロ・サンチェス首相とその政権を擁護するために、長々と書かれた記事なんだろうなと思いました。
サンチェス首相は、NATOとイスラエルに対する態度が私にはまともに見えるのですが、もともとスペイン国民の信頼を勝ち得ていなかったようで、今回の洪水対応でさらに支持率が下がったようです。
バレンシアといえば、イタリアが拒否したアフリカからの移民を、サンチェス首相が人道的見地からバレンシア港に受け入れるとし、何度か移民を受け入れたため、現地では批判が起こっていました。
バレンシアの人々の怒りは、サンチェス首相とカルロス・マソン大統領に向けられています。
とくに避難警報が遅れたのは、大統領が故意に遅くしたと思っている人が多いようです。
なぜ、そんなに疑われているかというと、6人が死亡した2019年の洪水の後に当時のシモ・プイグ政権が将来の洪水に備えて「バレンシア緊急事態ユニット」を設立したのですが、カルロス・マソン政権ではそれを余計な出費として閉鎖してしまったそうです。
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メディアと気候専門家は、バレンシアの惨事を判で押したように「地球温暖化のせい」「気候変動」と言っています。
たしかに気候は変動はあるのでそれは否定しませんが(地球温暖化は詐欺だと今も思っています)、ただバレンシアの住民は安易に「気候変動のせいだから」とは言って欲しくないでしょうね。
バレンシアでは、亡くなられた方が200人以上、また現在も約1900人が行方不明だそうです。
亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、行方不明の方が一刻も早く家族のもとに還られますように願っています。
エピローグ・ローマ時代のダム
2000年前に作られたダムのおかげで、アラゴン州のアルモナシッド・デ・ラ・キューバという町が洪水の被害を免れていたそうです。
ダムはアウグストゥス皇帝の時代に建設され、1世紀後半に放棄された時期を含め、何度も修理されていました。
最終的に貯水池が堆積物により埋まってしまったため、周辺の灌漑地域に流れを迂回させるダムとして現在も使用されているそうです。
そういうのを聞くと、むやみにダムを撤去するのは再考の余地があると思いますね。
ローマの建造物は、故意に破壊されない限り残っている頑丈な土台の建造物が多いので、特殊なのかもしれませんが。
昨年、リビアの大洪水について記事を書きましたが、決壊したダムの1つは2002年以来メンテナンスがされておらず、10年以上続く内乱でインフラ整備がされなかったのが被害拡大の原因でした。
地殻変動などで地形が変わったりしない限り、ちゃんとメンテナンスすれば長く使えるんじゃないのかなぁ。
ダム解体費をほかのインフラ整備に使えるだろうし。
今日はこのへんで。
最後までお読みくださりありがとうございました。
ではまた。
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